別枠表示
下校路
下校路を急ごうとすれば 君がぐいっと袖を掴み 引き止めてくるのです 仕方ないので 君と手を繋いでは 深まってゆく秋の、その夕刻を 共にするのです 虫鳴く林檎畑の細道 二人で踏みしめていくのです 街灯の下のベンチ そこで二人、肩並べ じわりと熱帯びた缶コーヒー 揃って飲み干すのです もうその日々には帰れないのは知っている それでも僕は あの赤々とした林檎が実る道を訪ねては 君の記憶の残り香に浸るのだ 星の帳が降りるなか 街灯に煌々と照らされるなか あの日々の缶コーヒーに そっと口をつけた ベンチの空白 コオロギの静寂 林檎が一個、大地に落ちました
下校路 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 710.4
お気に入り数: 0
投票数 : 3
ポイント数 : 0
作成日時 2024-09-03
コメント日時 2024-09-15
項目 | 全期間(2024/12/04現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
その缶コーヒーの味は苦いのだろうか、それとも甘いのだろうか。 思い出となった過去はまだ青いまま作者の胸の奥で留まっている。 私もこの詩を読んでありし日の青春を振り返った。
1サニーデイ・サービスっぽい気がしました。フォークっぽいけど、どこか新し気な。
1すごい世界観だと思いました。 このような風景を思い描けることがオリジナリティというか、幸せなことなんだろうと思いました(本当にそう思っています)。 わたしはこういう世界には含まれていなかったし、含まれていてもすぐにちらちら携帯とか見ちゃったりしてあまり居場所がなかったと思うので…
1コメントありがとうございます! 過ぎ去った青春系の詩は綺麗に書きやすいんだよね……
1コメントありがとうございます! ……(視聴中)…… なんだろう、この人たちを初めて知ったのに、なんか懐かしい曲調に思える……まあ、フォーク系にも影響を受けているからだろうけれども……でも、新し気、かあ。
0コメントありがとうございます! 大丈夫、Pixivでそういう絵を見るか、Youtubeでそういう動画や曲とか聞けば、なんとかなりますよ。多分……
0確かに、過ぎ去った青春系の詩は綺麗に書きやすいですね。 経験値から誰もが頭に思い浮かべやすく、親しみやすいところが良いですね。
1票いれとく
1ありがとうございます!
0前半のですます調がどのような効果を与えているのか考える。 ですますで終わらない、かつ連分けがされない場合この詩は、淡々と続いてどこにも引っ掛からない詩になっていたでしょう。「もうその日々には~」という連で、それまでが追憶の詩になっていたことが明かされる。その記憶の強さがですます調の丁寧さに表れている。踏みしめるように思い出している。 しかし、それだけじゃなくて、最後の一行も「ました」で終わる。ここは追憶ではない。そのため別の法則というか、「君」が行う、もしくは「君」と一緒にすることが丁寧に描かれているのです。(自分がコーヒーを飲む表現と違う) よって、林檎が落ちたのは「君」の力。万有引力よりも「君」の力。落ちたのではなく、下校路で無邪気に林檎をもいで持ち帰る、そんな力。 良い詩だと思いました。
1コメントありがとうございます! 実際に僕がそのような意図で書いたのが無事に功を奏して安心しました……。 でも、その一方で僕でさえ林檎の部分は「どうしてそう書きたいのかはわからないけれど、なんかこう終わらせたかった」といった感じにあやふやだったんだ。 でも、こうやってミハイさんが指摘したことで無意識的だった部分が明瞭になったのに驚かされたというか……。 ※僕の詩は設計的である反面、ノリや無意識で書いてるのも事実であるため、僕自身にとってもブラックボックスな部分が結構ある。
1