ガス燈の名残を偲びながら
横浜の馬車道を黄昏歩いた
赤い靴、履いてた女の子、
異人さんに連れられて行っちゃった
あの唄の女の子は私の前世ではないか
苦労したろう少女の魂がやっと故郷に帰ってきた
それが私なのだ
ふとそんな空想に駆られて目をやると
酷暑の照りつく道に陽炎を見た気がした
人はあまりに酷い経験をすると無口になる
帰還兵のおじいさんのように
凌辱された者のように
生々流転、インドを旅していたとき
ボロボロになり、鏡に写った裸の私の腹は
死んだ魚のようにへこんでいた
二等列車で知り合ったインド人は
立ち話で膝が抜けた疲労困憊している私に
何があったらそんなになるんだ、と心配して
日本に帰ったならおまえは働け、がむしゃらに働け
そうアドバイスして力説したっけ
連れ去られた少女の赤い靴が運命のようか
女としての未来を危ぶませて
茨以上の炎の道を歩いたか
彼女の嘆きも心も海の底の蟹の吐き出す泡だ
私はそんな泡を忘れまい
悠久の未来永劫のような孤独が時を打ち砕いて
モンスターめいているとき
永遠は煌めきを思う修辞で
時のさざ波に永遠という言葉を
耳にピアスするようなら良いと思う
中華街に寄り郷土料理の店でビールと空芯菜炒めを食べて、ゆるりとしていたら、
合間に仕事の電話が入って泡を食った
でもあの電話こそが今という錨なのかもしれない
感謝するのって難しいな
輪廻転生を思い、越えていけ、越えていけ、
そう、そっと自分に呟く
作品データ
コメント数 : 13
P V 数 : 1283.1
お気に入り数: 0
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2024-07-12
コメント日時 2024-07-23
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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2024/11/21 21時28分26秒現在
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幻想小説的な感じのする詩で良いと思いました。 ……ただ、ちょっと気になることがあるというか。『モンスターめいているとき』という表現を使ってるけれど、『怪物めいているとき』という表現にしなかったのはどうしてなんだろうって。 確かに詩の本筋とは関係ないような細かいことではあるけれど、「この部分を横文字にする必要あるんだろうか」とどうしても気になってしまって……。
0横浜百景ということですが.......わたしも横浜に少しの期間 住んでいました。寿町というスラムドヤ街です。木賃宿に泊 まって日雇い人夫をしていました。この町は山本周五郎の名作 『季節のない街』のモデルになったところで、小説を片手に 散策してみると、まさに小説通りの町並みになっていました。 ここでの生活は地獄の炎に焼かれるような日々でした。早朝、 センターに日雇い人夫を求めにくるのは韓国朝鮮人などの在日 の親方たちが半分以上で、この親方たちは日本人に恨みがある のかあるいは憎んでいるのか炎天下で造成地の穴をほってくた くたになっても、仕事の終わりになにかと因縁をつけて日当を くれないことが多かった。 わたしはブルドーザーやユンボ、それから32トンの巨大ダ ンプなどにも乗れますし操縦もできましたが、そういう山奥の ダムをつくる飯場に入っても一ヶ月後に給料をくれないことがあっ た。重機が傷ついた弁償せいといってね。岩を削るのだから爪に傷が つくのは当たり前なのにね。そういう飯場の親方は、たいていが韓国 朝鮮の在日の人たちで、わたしたち日雇いはかれらを恨んだものです。 わたしの韓国朝鮮人嫌いはそこから生まれたもののような気がします。 その後、わたしは運よく不労所得者になって、再度横浜方面に住むよう になったときはチサンホテルの一室を借り切ってサーフィン三昧の日々 を暮らすのですが....横浜ほど光と影の強い街をわたしはあまり知りませ ん。華やかにみえてひとつ裏に回ると、げっそり痩せ細った無惨な小路 がありますし、人もそれにふさわしい人たちがいる。例は山程いえます が、割愛するとして、そういう横浜のさまざまな顔が「百景」といいな がらあまり見えてこなかったのはまあ、しょうがないとは思いますが、 それにしてもなつかしい横浜のお話を読ませていただきました。
0コメントありがとうございます。 幻想的にさ迷う雰囲気を出したかったので本懐です。怪物でもよかったのですが、モンスターの方が巨大で狂暴そうな語感を感じまして。昔、怪物君というアニメが好きだった気がしますが。w
0コメントありがとうございます。 貴重な実体験には敵いませんがお聞かせくださり面白く拝聴しました。 昔、解体のアルバイトをした知り合いの外国人がお給料の支払いを値切られそうになって、交渉の手伝いをしたことを思い出しました。荒い人間関係や経験も外国人と付き合うと多いでしょうね!多様性という言葉が孕むダイナミズム、詩には持ってこいですが、気は疲れて、踏み込む気力が若い頃より失くなりました。
0少し気になったので簡単に、 生々流転という人生観を意味する四字熟語が既に用いられていますね。 なのでこの詩の綴りに未来永劫とか輪廻転生とか思想観で同じく語られるのはちょっと不似合いだと思います。意味は同じくもっと軽い表現でもいい。そのように感じました。
0横浜の中華街と言えば、中区の関内でしょうか。馬車道。 「人はあまりに酷い経験をすると無口になる」 こんなフレーズ。赤い靴の少女。本居長世作曲、野口雨情作詞の曲が思い浮かびました。
0強い言葉の力に依存しすぎだったかもしれません。ご指摘なるほどなと思いました。詩的ではないですね。コメントありがとうございます!
0コメントありがとうございます。 素晴らしい日本の童謡ですね。日本の古い歌は哀切で陰影深く、歌詞も素敵です。野口雨情という名前も素敵です。
0横浜のレトロな外観をバックに過去に起こった壮絶な出来事や歴史が織り混ざる中でやるせなさや哀愁が感じられました。 終盤の「合間に仕事の電話が入って泡を食った でもあの電話こそが今という錨なのかもしれない 感謝するのって難しいな 輪廻転生を思い、越えていけ、越えていけ、 そう、そっと自分に呟く」のフレーズがかなり印象に残り、苦しい時期を乗り越えて穏やかな今があるんだと前向きになる作者の気持ちが伝わりました★
0そうですね。四字熟語はそれだけで完結しちゃってる。よほど意図的に用いるのでない限り、詩としては避けたほうがいいような気はします。
1素敵な感想をありがとうございます! 辛い経験は潜り抜けた分だけ自分が磨かれたのだと信じたいですね。艱難辛苦、汝を玉にす、といいますものね。
1いきなり個人的な話になって恐縮ですが、最近、詩、ってなにだろう、詩人、ってなにだろうとよく夜に考えたりします。 >日本に帰ったならおまえは働け、がむしゃらに働け >そうアドバイスして力説したっけ 詩の中に、こんな言葉をかける人が、詩人だと思うのです。 作者の、一応人生の多くを経験したのちの、まだ収まりきらない、しあわせと不幸の擦り合わせのできない、あるいは心を自由に生きることのままならない境遇の、己の影絵として模しているのでしょうか? 赤い靴をはいた女の子を、みずからの転生前の人生だと感じてしまったことがあるというのは。 なんというか、自覚していまして、感想とか評論がすごく不得手なんですが、そんな私でもこの詩にはひとことでも、リスペクトの念を伝えておきたくて。 リスペクトついでにリクエストもありまして、前にどこかでお読みした記憶があるのですが、作者のギリギリ赤裸々みたいなインド旅行の話、また聴きたいと想っていることを告白、違うか、リクエストしておきます。
1素敵な感想とお褒めの言葉を下さり恐縮です。詩ってなんだろう?そんな疑問を深く考えるよりも大好きな詩人たち、文学者への愛募を胸に走るように十二年ほど詩を書く行為を続けてきた者です。詩を書く行為は人間性を整える、そんな志を言葉という行為に重ねる営みな気がします。だから醜いことは書きたくないし、心の芯を詩に求めているのかも知れません。杖のような機能もあるかもしれません。荒れた獣のように悲しく劣った状態にも人間は簡単になれます。だから詩は人間性へのチャレンジで励ましに成りうる詩道みたいに呼べるものかもしれません。それがプライドを人らしさを守るのかもです。 生きながらに輪廻転生を繰り返したかのように病苦や犯罪被害など激しい人生をくぐって疲れてもいるのですが、赤い靴の少女のような神話的伝説的ダイナミズムに自分を重ねると慰められます。 気が向いたら又インドのこと書きますね!あと、私は小部屋の方で時々書いていますので見覚えなさっていらっしゃるのかな。又お話させてください。
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