頑張るノミ ただ、ひたすら耐えるノミ
欲張らナイ 欲しがらナイ ただ、ひたすら生きるノミ
冬の寒空 ただ、ひたすら凍えるヨリ
欲望の薪を燃やし 凍った世界を、暖めタイ
騙されてたって 良いじゃなイカ?
生きる意味 探す趣味
迷い、立ち止まるヨリ 動くノミ
まるで、トカゲかケジラミ
思考し、答えに辿り着くヨリ
匂いに誘われ、動き続けるホウガ
動植物として、生きる 我、表現者としてのリアル也
♪ 頑張ルンバ トロピカルサンバ 迷いの小リス
マルゲリータ まるでナイトメア 王女と騎士のダンス
砂漠でのデザイア 飲み干すは、愛だ 魔法のスープ
ロマンチックコメディ It’s ファンタジー 愛と悲しみのワルツ
癒えぬ病だ 南無阿弥陀仏 この世は地獄
だからこそ、生きるさ 答えは、いつも風任せなのさ ♪
作品データ
コメント数 : 14
P V 数 : 899.3
お気に入り数: 0
投票数 : 3
ポイント数 : 0
作成日時 2024-07-10
コメント日時 2024-07-11
#現代詩
#動画
#歌誌帆掲載応募
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/23現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
| 平均値 | 中央値 |
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
閲覧指数:899.3
2024/11/23 17時23分13秒現在
※ポイントを入れるにはログインが必要です
※自作品にはポイントを入れられません。
顔出しでのパフォーマンスなんで Bとしては有難いとは思うけど まぁアレ芸術の幅が広がると言うか しかし、忌憚無い意見を言わせて貰えばやはりボケ倒しの地獄と言うか その寒さで震える 西野カナバリに震えると言うか うーん、ツッコミが居れば振り切れているのでもしかしたら良い反応になるかもしれないとは思いました 格的に渡辺八畳さんとどちらがアレか分からないケドこうボケとツッコミを芸術風味みたいな感じて上手くやれる気はするけどなぁ どうやろダメかもしれませんが しかしその気概は良いと思いました 海軍 准将
1前作に続き拝見いたしました。それで忌憚なく意見を言わせてもらえば同じシチュエーションでがっかりでした。 これ、文字だけで読むとノミが掛られていてけっこう見た目も面白い。完全に演出の失敗だと思いました。 室内で静かに気取りながら読んだほうがいいな。その様に感じるわたくし麻生阿僧祇でございました。失礼いたしました。
1良いなー 私は万太郎ワールドめっちゃ好きです。詩文の気概と言うか、私も行動ありきの人間なので生きる姿勢に共感出来るからだと思います。 幾ら思考を重ねても頭の中だけの概念ってやはり小さい。行動すれば失敗することも傷つくこともあるけど、それらの経験もやはり生きるということだと思うのです。そうやって見えて行くもの培って行くものに真実や価値を感じます。 テキストだとノミは〝のみ〟でも〝蚤〟でも面白く読めますね。蚤ならピョンピョン跳ねてる感じ。私は大げさなパフォーマンスや奇を衒うスタイルって引いてしまう人間だから違和感なく見れるこのくらいのスタイルは好感度が高いです。面白かったです!
2わたしは詩人たちが茶店や講堂を借りてやる 朗読というものをあまり好まないのですが、 どういうわけか万太郎さんの自然体の発話には 好感を覚える。今回は少し力が入ったのか、 朗読調のところと自然発話体がまだらに混じって 出てきたように感じましたが、しかし、 ラスト、帽子を飛ばすところ。ここでついに身体 表現も入ってきて 万太郎野外劇場にダンスへの兆候が垣間見られた。 いつか自然発話体の発声がついにダンスのほうへ 展開するのかどうか楽しみにしています。笑
2追記 ダンスというと大げさですが、例えば、 んー、個人的な願望としては後ろにある角柱の中ほど 迄よじ登りそこにしがみついて朗読するとかね。 あるいは50メートル全力疾走して急停止し、 はぁはぁしながら詩を読むとかね、そういう身体的 パフォーマンスが発声というものを、押し殺された 現代社会の声から解き放してくれるような気がするんです。 例の、抑圧されたままの自称詩人たちの朗読の声と違って。 万太郎さんの声も帽子を飛ばした瞬間、違った声にな ってましたよ。そういうのが個人的には好きですね。
2「デザイア」で吹きました。砂漠のデザートと掛けてますかね。この寒さが平和なんです。 これをノミやトコジラミの湧いてそうな四畳半の和室でやるとよりアートな感じがしますが、白昼の田園風景をバックにしても露出狂チックでナンセンス加点が付きます。 サングラスにベレー帽、なんでこんなエセ監督みたいな格好してんだろ。冒頭の「お願いします!」も大先生感をかもし出してますが。これも、ファンサという「あざとさ」も見えて一層笑いを誘います。 あと、テーブル上の舞台装飾などにも目がいってしまいます。台本用紙に乗っている白いかたまり、これはペーパーウェイトかな。それがくしゃっと丸めたボツ作品みたいに見えたりして、監督の職人気質が匂ってくるようで楽しい。 彼はノッてくると肩を揺すりだすんですね。気分と共に連動するからだ。拳をうずかせて、落語家のように扇子でも握りたげに。いや、メガホンか。さすがタコさんの着眼点も鋭い。 演者として作家として、器用に立ち回る彼のオールラウンダーっぷりは、抑圧された詩人たちの起爆剤となるでしょう
3本心からなのか、これくらいのパフォーマンスを喜んでいられる人たちが多いので日本のB級娯楽作品はつまらないのです。 あなたは変態です。変質者です。ニヤリと微笑んで隣に座れば嗅覚の鋭い女性はピン!と来るでしょう。 そうです。素人芸のまま終わらせたくない。一応プロのパフォーマーを目指したいんでしょう? 傍目からでないと気がつかない魅力がある。そうですよ。先に挙げた変質者云々はあなたの個性、役者としての魅力にもなり得るのです。プラス、普通にサラリーマンも演じれますか?自衛官警察官は?ちょっとトム.ハンクスにも雰囲気が似てるので真面目な表情が見てみたかったのです。これくらいできれば容易いでしょう。その度胸を買いたいのです。 詩人の演劇集団。既存にはないパフォーマンス。いいですね。演劇に関しては素人です。舞台劇もあまり好きではない。なので朗読なんて真っ平。でも何故か音楽劇。オペラはわからなくても眺めますね。特に現代調にアレンジしたもの。エログロの多い。根がスケベなのでしょう。 どこかに廃校ないですかね。Bレビ詩人演劇会作ってくださいよ。作りますか?短い台本くらい本気になればわたしにでも書けそうだ。こちらにも書けそうなお方は幾らでも居そうです。 もう素人詩を投稿し始めて30年くらいになる。アルバイトしながらの年金生活者になりました。微力ながら若いやる気のある人の支えにもなってみたいかな。 死ぬまでに。そんな気持ちでも居ます。
1此の度は、歌誌「帆」自由詩掲載欄へとご投稿を賜りまして、允に有り難うございます。 未だ、ご応募受付開始よりは間がございます。 暫し、(一から三ヶ月程度)お待ち下さりますと嬉しく存じ上げます。 御作、拝読、及び視聴をさせて頂きました次第でございます。 何と申しましょうか、酷く皮肉が利いてございますね(誉め言葉でございます)。 酷さへと一層、御磨きが掛られました様にも存じ上げます。異国情緒に馥郁と、狂気じみました薫香が放たれておりまして。 朗読の声音の調子の上手さに於かれましては、脱帽を致します外にはないのでございますが。 更にテクストの強度をご研鑽に為られまして、一体何を拝読させて頂いておりますのでしょうか、と申します様な心持を甚だしたたかにも、 覚えます様な詩文を、朗読に頼らずとも屹立を致します様な成果を、貪欲にも期待を致してしまいます次第でございます。 身銭をお切りに為られ、襤褸襤褸とも為り果てます様な、自己思想性向‐イデオロギーへの笑いをも、待ち侘びて仕舞いますのは、貪婪が過ぎますでしょうか。 然し、此の超然且つ悄然たる朗読の佇まいのあらせられ方は、類稀でございますね。 途轍も無く不敬な提案ではございますが、玉音放送のパロディー、諷刺等をテクストに起草なされれば、猶の事面白いかも知れませんね (今様の時代性のぐづぐづに崩れたモラルが翻って、表現できましょうから)。 昭和天皇のご口調を擬きまして、功利主義‐資本主義礼讃的な国家、思想潮流宣言を(洗濯洗剤等の商品のコマーシャル附きにて)、 語り(騙り)ましたならば、致死量の毒ともなり得ましょう、と存じ上げます。 悪戯が過ぎますとも存じますが。 それでは、復のご挑戦をお待ち申し上げております。 此の度は、ご応募ご投稿を賜り、允に有り難うございました。 そして、皆様に通知をさせていただきたく存じます。 discord上の歌誌「帆」チャンネルにて、前号第三号が閲覧可能となっております。 アクセス可能な方に於かれましては、 誌面の傾向を通読為されて後より、応募作品の程を構想、起草為されて下さりますと心嬉しく存じ上げます。
2吸収様 発想の飛躍とか、そういうものがなくて、結局頑張るみたいなところに落ち着いているところに、西野カナ的な幼稚さ、面倒臭さ、ひいては寒さを感じたということなのかなあと感じました。 詩を書いてたり、歌を作ったりして、アーティスト肌だとか褒められてその気になって、そのそこまで褒めた人も最後まで応援してくれるわけではないというか。そう思うと俺ってやっぱり大したことないとか、大したことやってないとか思い直すんですけど。 おっちゃんなんですよね。多分居酒屋で客商売やってる、お兄ちゃんみたいなところがあるんで。にわか居酒屋。 天然人。寒い男万太郎をよろしくお願いします。
0メルモsアラガイs様 いつもコメントありがとうございます。 別詩人様のコメントのところで読みましたが、つまらないと思う詩でも耐えて読み、コメントをつけるようにしているそうで。 その原動力に、会話好きと言うのがあると言うのは、江戸時代から続く日本人の会話好きを思わせるようで、面白い! 私の詩もお茶菓子程度の話題のきっかけ作りになればと思います。 私自身が、ロジャーコーマンと言うB級映画の帝王と言われた人がアーティストとしてお気に入りで、そうするともう趣味の問題になってしまうのかもしれませんが。 私がある種の変質者と思われてしまうのは仕方ありませんね。 楳図かずをさん的なスカトロジックな変態性の持ち主ですから。ある意味では健全で健康人生命力の強さからくる好色艶男だと思ってます。 地元の劇団の方に言われたのです。 才能がある、と。 なんだかどこかでお会いして、一緒に演劇活動でもやるかみたいな面白そうな話ですが、根は吉本新喜劇でドリフターズなベタベタなものが好きだったのですが、どっちかと言うとスネークマンショー路線のエキセントリック型ですかね。 中島らもやタモリさんだなんて、ああ言うのが好きでした。 軽薄軽妙。そんな私です。
0rona様 分かります。伝わる人には伝わるものが、私にはきっとある。 そこには、シンプルなフィーリングがある。 どっかで言葉や思考だけで生きる限界を感じると言うこと。だけど言葉とは元々言葉だけであり思考だけであるかと言うこともある。 身体性を伴った言葉とも言うように、言葉や思考はそれだけでは元々存在し得ないですもの。 AI思考より、アナログ思考で見ると、僕の作品の五感で感じて読む強さを感じられると思います。 そうそこまで今風の奇のてらいはなくて、マイペースな脱線みたいなところがある。それをアートと言うのかもしれません。 またのお越しをお待ちしております。
1takoyo2様 偉大なる二番煎じという体で、前作の内容を引き継いだ感じの今作の反応はいかがなものだろうか? とやや緊張した面持ちで、演じました。 そこに肩の力の入りを感じたのかも知れませんね。 おそらく年配の方は私の持っている自然体のブルースに共感されているのだと思います。それは僕ぐらいの年代の人から抜けているものでもあると思うから。 ダンスのアイデアについてですが、それが自然な流れであるなら、取り入れてみる価値はあると思います。詩を読んで自然な流れで少し奇を衒ったことはやるかも知れませんが、その時の思いつきの範囲内で、無理なくやりたいと思います。 抑圧から解放する強さを私にもし感じるとしたら、それは、自分の中にあるやはりブルース魂なのかなあ。 結構我慢強いのです。今の人は直ぐ暑いとエアコンをつけるではないですか? ああいうのが自分には分からない。そこも含めて江戸っ子の気骨があるんだと思います。
0べえ太様 >「デザイア」で吹きました。砂漠のデザートと掛けてますかね。この寒さが平和なんです。 その寒さというか、少し抜けたところとか、安心を感じさせるところなのかも知れませんね。 砂漠で水を飲みたくなる欲望デザイアーそんな感じですが、デザートのイメージは確かに無意識でありました。 >これをノミやトコジラミの湧いてそうな四畳半の和室でやるとよりアートな感じがしますが、白昼の田園風景をバックにしても露出狂チックでナンセンス加点が付きます 野外露出ですか。その開放感もまた良しです。 >サングラスにベレー帽、なんでこんなエセ監督みたいな格好してんだろ。冒頭の「お願いします!」も大先生感をかもし出してますが。これも、ファンサという「あざとさ」も見えて一層笑いを誘います。 福祉のスタッフの方にお局さんがいて、そのお姉キャラも含めて時々からかってます。 >彼はノッてくると肩を揺すりだすんですね。気分と共に連動するからだ。拳をうずかせて、落語家のように扇子でも握りたげに。いや、メガホンか。さすがタコさんの着眼点も鋭い。 演者として作家として、器用に立ち回る彼のオールラウンダーっぷりは、抑圧された詩人たちの起爆剤となるでしょう ゲームソフトをやっている時に、体が画面に合わせてくねくね動くので、一緒に遊んでる子から揶揄われるのです。 天然的なもの、動物的なもの、忍耐強さとエネルギー。次世代を担う起爆剤になれるかも知れません。自分の素質に気づかされました。ありがとうございます。
0鷹枕可様 皮肉や毒。その根底にあるヘヴィな現状認識。それをお感じになったようでなによりです。テキストを読まずとも、詩の内容を丸暗記で読めれば自由自在にカメラの前で演技も出来ますか。確かに来月まで、二十日ほどある。その練習は考えておきます。 思想イデオロギーにどこかで依存しているところがあるかも知れないと深く反省を致しました。芸術動物臭の漂うもの。所詮は動物でありますから、思想やイデオロギーを吹っ飛ばす笑い飛ばすようなもの、書きたい作りたいと思っております。 玉音放送のパロディー、タモリ的なものですか? 正直ありだと思います。ただやばいかなあとは思いますね。色々思いつくようですね。私などひとたまりもないです。 ありがとうございます。
0