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願望
心にハンマーを叩きつけられました。 私がいつだか自分や他の生命を殺すことを自覚していなかった報いだったのでしょう。 恥ずかしい。あまりにも恥ずかしい。苦しみを紛らわせるのに、恥ずかしさを使いました。 他の人々が、自由に感じていることに鈍感で、私自身は怠けたり励んだりしていました。 美しいものばかり見てきたようでも、公害や殺人や戦争や、世間が物騒であることも認識してはおりませんでした。 愛というものが世にある、というようなことも、全く自覚してはおりませんでした。 ゆえに私は堕とされる。奈落の底へと。 ファンタジーに夢中になるばかり、自らの身内に起こった不幸を、どうしようもないという理由で遊びにばかり凝っていました。 人々の舞う極楽の時間にも、蔭りはあると知っていたはずなのに。 私は人々の応援を受け、少しづつ自覚してきました。 何を考えているのかと、分かっていたのに怪我の痛みから、恐怖から、臆病になり、一人でご飯を食べていました。 声をかけてくれる友とも、いつか別れるさだめ。当たり前の事。 もう誰とも会わないのかと、死すべき運命に自分を考えておりました。 今までずっと救われていたのに、その幸運さえも理解ができないのでした。 くだらないものなんてない、私はこの頃自覚します。 人々は自分の運命と戦っているということを、そして私も同時に戦っているということを。 誰か私に応えて下さい。私の最後の望みだけは、絶対にかなえなければならないのです。 沢山の漫画や小説を読み、冒険譚、浪漫、勇者が世界を救ったという話。 それらが物語の原型であり、構造というものである。 どこに愛情のない人がおりますか。 やまびこのように返って来る声、山頂で、家族に先駆け真っ先に叫んでみました。 私の中の湖に、誰かが石を投げたのです。 波紋は広がり、私は怒りを抑えることもできず、宇宙の果てに思念波が届くのです。 私は悪魔か極悪人か、誰も見たことの無い生き物なのか。 私は自分が人間ではなく、呪われた奇形生物であるのかと思い、自らの汚い姿を見ながら、こんなはずではなかったのに、と思い。 美しいものがこんなに欲しかったのだと、渇いておりました。 なぜ私が私であり、人が人であるか、考えに考え続けました。 結論は、どちらでもいいということになりました。 では、私は、すべきことを自覚し終えて、まだ待っています。 人を傷つけたくないと思っています。傷をつけることが愛の証と私は思っておりましたが、他の方法をとることができないことは、私の運命によって、予定されていたのです。 地獄の苦しみは形容しがたく、もう一度と言われれば、躊躇します。 でも、私はそれでも望む。愚かなことをしない。最後の私の望みを。私の、望みを。
願望 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 551.9
お気に入り数: 1
投票数 : 1
ポイント数 : 0
作成日時 2024-05-12
コメント日時 2024-05-16
項目 | 全期間(2024/12/22現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
>心にハンマーを叩きつけられました。 とは裁判官が叩く木製のハンマーなのかもしれないし、 裁判官ではなく、ほかの何かかもしれないです。 >公害や殺人や戦争や、世間が物騒であることも認識してはおりませんでした 戦争犯罪を裁く被告人の独白のようにも読める、 し、リアルな真摯な信仰告白と読める。 わりにあわない賭けに負けた敗北者とも読める。 詩以上にリアルなんですよね。
1心に、やましいことばかりしてきた私は、当然の報いとして病を得ました。 犯罪歴はありませんが、被告です。 まだ敗北者ではありませんが、反省と内省、苦悩がにじんでいるでしょう。 ロマンチック一筋でやってきました。リアルを感じていただけて良かったです。
2「苦しみを紛らわせるのに、恥ずかしさを使いました。」にガーンとそれこそハンマーを叩き付けられたかんじです。 後半から詩的さが強くなり切望が印象的に伝わってくと思いました。
1Thukinikoさん、コメントありがとうございます。 「恥ずかしさは、一見ネガティブな感情のように感じられますが、社会的な生活を営む上で重要な役割を果たしており、個人が社会的なスキルを向上させ、集団内での適切な振る舞いを学ぶのを助けています。」(GPT-4) 無明と言って、物事の理解が足りないと、苦しみが起きます。なぜそんなことをするのか、 と問うた場合、全てに説明ができないといけないのですね。怒らせたり、苦しませたり することが、一番いけないことで、恥ずかしいというのは、必要なことなのです。 恥ずかしいから隠すのですが、恥ずかしいと思っているということは、苦ではないという ことなのでしょう。恥ずかしくても、人に迷惑をかけなければよいのです。ただ、人を 裏切ってはいけません。自分自身の恥ずかしさは、きっといいものを生むだろう、それが、 僕の生きてきた道であり、否定したって事実は変わりません。立派な大人になりたいです。 痛みとは、耐えがたいのですが、破壊とは違います。やましい気持ちに付き合うことが、 自分の暗闇と向き合うことであり、人生の長い時間を、そうした修行に使うのが、立派な 行いだと思います。どんどん時間は過ぎて行くのですが、朝昼夜のサイクルを与えてくれる 日月に、感謝しなければなりません。僕は、今は他力本願ができません。全ての生命に、 慈悲と憐れみをもって、見て、感謝して、喜び合おうと。子供の夢は、例えば動物のお医者さん。 全て正しくして、慈悲の心を持つならば、どんな困難も、救い出せる。そう思ったら、恥ずかしい 行動を、理解したことになるでしょう。そうすれば、僕のやましさも、理解できるでしょう。 仏教での教えは、全て論理的になされるのであり、智慧も論理と経験に基づくものです。 苦しみの体験からさとりを得ることが、私の今現在感じている、私なりのさとりです。 共感共苦の想いを、皆と一緒に強くしていけると思っています。少年老い易く学成り難し とは言いますが、体験なくして大成することも、ないと思います。
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