わたしはどんな大人になりたい?
ママみたいになった私はぞっとする
パパみたいになった私はぞっとする
授業参観の親御様たちの入り混じった香水の匂いが臭くてむせた
どんな花の香りもごった煮にすればドブ臭くなる
田中の母ちゃんはあれだな、
あの口角の上がり方とどろんとした瞳孔の色が奴のそれにそっくりだ
プールの授業で見た田中のレーズンみたいな乳首も
あの無駄に巨乳なかあちゃん譲りなんだろうか?
かあちゃんの焼いたレーズンのパウンドケーキを毎週たべてるからあの色になったんだろうか?
ああ!親御様の遺伝は恐ろしい!
クラス替えで後ろの席になったアリス
縦割りの出席番号で私の次の番号になった子
憂鬱な中学生活2年目にして
初めてわたしより後ろの番号の子ができた
私も含めてみんな無名の病に侵され始めていたけど
彼女だけはそんな世界から無縁に思えた
儚い顔の輪郭と
身にまとった甘い麝香のような匂い
瓶に詰めて閉じ込めてしまいたかった
机の上に伏せられた彼女の読んでいる本を
そっと裏返した
三島由紀夫の「午後の曳航」
わたしも真似して読んでみた
さっぱり理解できなかったけど
いつかこの美学をわかるようになりたいと思った
大人にならなくったっていいから
彼女のようになりたいと強く思った
彼女はわたしにそっと囁いた
「自分だけの言葉を使えるようになりたいよね」
アリスと私はあまりお互いにお喋りしあったりしなかったけど
その言葉だけは理解できたような気がした
私の中で身勝手に、彼女は私の親友だった
アリスの座っていた席に残されていた薄茶色の髪の毛は
今も私の机の引き出しに、小さな箱に入れて密かにしまって置いてある。
多くの人々が成長する過程で遺伝という運命には逆らえないけど
わたしだけがその例外になれる未来だけが希望だった。
アリスとはもう会えなくなってしまったけど
もう法律の定める成人年齢もとっくに過ぎてしまったけど
心のどこかでまだその未来を信じているわたしがいる。
作品データ
コメント数 : 6
P V 数 : 461.2
お気に入り数: 0
投票数 : 1
ポイント数 : 0
作成日時 2024-05-09
コメント日時 2024-05-10
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/12/22現在) | 投稿後10日間 |
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2024/12/22 15時11分18秒現在
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>彼女のようになりたいと強く思った >彼女はわたしにそっと囁いた >「自分だけの言葉を使えるようになりたいよね」 >アリスと私はあまりお互いにお喋りしあったりしなかったけど >その言葉だけは理解できたような気がした >私の中で身勝手に、彼女は私の親友だった アリスさんは、リアルの異性というか、「母」の原像に思えます。少なくともですがわたしの抱える青春=トラウマからすると。 例えば飲み会とかで話してても、何かこちらがイイ話をしようとした途端に、「あっ」とか言われて、ちょっとあっけにとられている隙に、まったく話がどこかへ消失させられる。 ...というような具合で、異性とまともな対話が成立した記憶がない。それはまさに「逃走の流儀」といえるが、身体で覚えさせられまくったわけですよね。青春時代。まあ、しごきですね。 ただ、青春ってどこまでの年齢までそういうのかな?ってことはまず前提としてありますね。ふつうは、中学から高校くらいまででしょうか?(異論あるかもしれません)だから、考えてみると青春にも幅があります。 ゆえに、このような作品で考えないといけないのは、青春というモチーフは、リアルじゃないといけないのか?というところですよね。 必ずしも、それを悪とは思いません。例えばブルーハーツも、不良キャラでヤンキー万歳だけど、じつはマーチ卒だし、ある種の嘘があるわけです。 だからつもり、わたしの趣味からすると、青春なら、青春のトラウマをモロに出してみてほしいという希望があるということです。
1親のようにはなりたくないと思う気持ちと、アリスという女の子のことを思い出にしたいという気持ちが入り交ざった、主人公の複雑な気持ちが鮮やかに描写されていて引き込まれました。 若干お耽美な感じの作風、好みです(*´ω`*)
1おまるたろうさん、コメントありがとうございます。 青春とはリアルでないといけないのか問題ですが、議論の余地がありますね。私は例えばポカリスエットのCMの描くような青春像には唾を吐きかけたくなる衝動にかられるようなひねくれたキッズでしたが、同時にその圧倒的な幻想に憧憬も抱いていたことも認めざるを得ません。 この詩はご想像の通り半ば私の実体験、すなわちリアルに基づいており(アリスという名前の由来や、彼女のはなった言葉など)そこには私自身の青春のある意味ではトラウマといえる要素もあります。それをオブラートに包んだつもりはなかったのですが、それをあえてやんわりというレベルにとどまらせ、わたしの体験に幻想のベールをかけることで正当化したいという願望がこの作品を書いた主な動機でした。 そういう意味ではリアルと虚構をないまぜにして書きました。わたしは青春というテーマは虚構100%では描けないと強く感じます。 ブルーハーツを例にあげられましたが、あの不良の伝道師的な存在だった尾崎豊でさえもしれっと青学出身のぼっちゃんでしたもんね笑 しかしそういった事実がありながらも、彼の描く詩には彼自身のこれ以上にない切実な葛藤が現れていたのは紛れもないリアルですよね。(とくに熱烈なファンだったわけでもないですが、吉岡忍氏による「放熱の行方: 尾崎豊の3600日」という評伝を読んだことがあります。名著でした)詩では虚構がリアルの強度を高めるための手段なのではないかというのが私なりの持論です。 なにがともあれ!おまるたろうさんがこの詩を通してどのような方法で読んだにせよ、私の青春、そしてご自身の青春に想いを馳せられたならうれしいです。
1三島由紀夫の『午後の曳航』って、子供たちが彼らにとって英雄的な存在じゃなくなった男を殺してしまう話でしたよね。小説の中の子供たちのそういう大人との対抗と、この作品の主人公の、大人に対する抵抗がなんだか連動するような気がして、おもしろいと思いました。これは作者の意図していたところだったかどうかは別として。 「自分だけの言葉を使えるようになりたいよね」ってかっこいいですね。最初読んだときに「あっ、わかる!」って思ったのですけど、考えれば考えるほどそれは本当にどういう意味なのか分からなくなってきました。すごい直感的で、色んな解釈ができる言葉だと思いました。親の遺伝子などを継がない自分の、親や他の大人の言葉ではない、自分だけの言葉、、それはどこまで可能なのでしょうかね、、 ちなみに、私もあまり喋らない同級生に、当時の私にとても響いた言葉を言われたことがあります。久しぶりにそのときのことを思い出しました
1ほりさん、コメントありがとうございます。 わたしは、意図しない引用はしませんよ!なんとなく汲み取ってもらえたみたいでうれしいです。
0田代ひなのさん、コメントありがとうございます。 この詩は、鬱屈した青春の思い出がお耽美であってほしかったという願望の体現なのです…
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