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四月へ
春となり、やっと来た小鳥も菜種梅雨の到来にその姿を見せなくなった。 一週間前、庭の松や橙の木に、しきりに舞い降りて、ピーピー鳴いたり橙をついばんだりしていたものだ。 いなくなってしまうんだなぁ、消えてしまうんだなぁ、という感慨に、空が湿っている内に、次いで浮かんだ言葉は、四月は残酷な季節、であった。 思い返せば、あたらしい学校、中学校というのは、二つの小学校の生徒の、併合された形で、いつも夕方、仄かな陰鬱とうつくしすぎるピアノの調べによって、或いはそのときに、もう私を襲っていた乱視によってか、微妙、傾いているように思われたし、ひそか、持ち込んだウォークマンからは、ザ・ビートルズの「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」が、左耳から外したイヤホンから溢れ出ていたはずだ。 ストロベリー・フィールズ・フォーエバー。この語に、2024年、37歳になった私が何か台詞をぶつけるとしたら? 決まっているじゃないか。「永遠なんて無かった」。それがいい事か悪い事かは分からない。しかし、さいていでも、頭の裏の湿疹、中学生のとき、勿論、私は坊主頭で、その頭の裏の湿疹を、同級生にからかれたりしない。それはいい事だろう。 或いは、かの宮沢賢治の熱心なファンだった私には、デクノボー、というのは一種、存在として目指すべき、理想像であったわけだけれど、実際、デクノボー、になってみては大問題だった。 脳はニコチンでやられ、肺はタールで重たく感じられ、ついにシガレットも義務で喫うようになり、もはや、吸いはじめた当初の感興もなく。 私はキャンパス・ノートに、本日のリハビリ日記としてすべき事を書く。これも美化された文句である。書く気がある時だけ書く。或いは書かない。 すべては占星術師しか、知らない存じない世界で、呼吸に集中しようとすれば、10分が、1時間に感じられる事があり、あゝ、今日は服薬していなかったな、と、その時気づくのだ。 荒涼としたこころもちで、妻が呼んでいるのをふりかえると、このテクストももはや書かされたものなんだ、と気づくのだけれども、その正体は一向にわからない。 鬼か、幽霊か、精霊か、天使か、或いはそれらになんにも関わらない、自己の性分の、「無意識の私」ってやつなのか。 妻は鼻をかみすぎて、くちびるの先が紅くなっている。その、紅さを起点として、この書斎は展開されている。ここが宇宙なんだ。息苦しい。酸素を入れてくれ。窓を開けてくれ。 小雨の中を一人テクテク、歩いていたら、財布以外は置いてきてしまった事に気がついた。歩道、グングン自転車を押してゆく女学生の目は真剣だ。いつから、私はあんなに真剣な目をする事をやめてしまったのだろう。その長い道の向こうには観覧車があった。私はその観覧車に乗って、時計にして4時の位置で、それまで、一切外を見ていなかった事に気がついた。
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作品データ
P V 数 : 566.5
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2024-03-29
コメント日時 2024-03-30
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
イヤミが効いてるよい文章ですね。 喫煙に高邁な思想があるわけでもなし、 「人生なんてくだらねーよっ」と、 高みから社会を下に見るような感覚というか。 「一丁死んでみっかー」的な。 端的に「サブカル的」といってもよいですが。 (二度言いますが)よいです。読んでて楽しかった。
1おまるたろうさん、こんばんは。 その、色々思う事もあるのですけれどなんでハンドルネームが「おまるたろう」なんだ?(笑) という所で、突っかかってしまいコメントがまとまりません。ずるいですよ。 「読んでて楽しかった。」この言葉でさいわいです。ありがとうございます。
1菜種梅雨。句に精通された方だな、というのもわかるのですが、今晩わ。New田中恭平さんお久しぶりです。選者としても頑張っておられますね。お世話かけてます。して、これですね、散文でしょう。前半部分句読点で(読点)で切りすぎて詠みの流れを止めてしまいますよ。もしも朗読されたら詠み手は悩むでしょうね。だから気になって内容まで入ってこない。短く切れるところはもうちょっと長くできるような工夫があればな、そんなふうに私は口を開いて黙読しましたよ。ええ。
1おはようございます。 お久しぶりです。どうぞ宜しくお願いします。 そうですね、確かに前半、句読点で、切り過ぎており、つまっている感じがしますね。 しかし、なんでしょう、ビューするといいますか、眺めいるような感覚で読んで頂くと それは肉声には絶対、再現不可能なのだけれど、声みたいなものはのってこないですか、と。 それを指して、散文、と呼ばれても、まあ、致し方ない感じがします。 すんまへん、お目汚し、お耳汚し、ありがとうございました!!m(__)m
0ただの回想では無いと思うのです。印象的な形でビートルズが出て来ます。ストロベリー・フィールズ・フォーエバー。この曲はジョンレノンが故郷のリバプールを思い出して作ったそうなのですが、「無意識の私」。孔子は怪力乱神を語らずと言いました。この詩での女学生の真剣な目。書かされたテクストと言う発想がこの詩を包んでいるような気がしました。宮沢賢治のデクノボー。理想像、詩の理想像を考えたときに何度でも出て来る、「永遠なんてなかった」。我々は実は外れたイヤフォンのような生き方をしているのかもしれません。
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