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夢という事象について
「い章」 一本調子の木魚が鳴っている… まるで俺が死んだかのようだ。 或いは、不可思議な色調である… まるで冥界に臥しているかのようだ。 そして、神社の景が移ろう… まるで俺の故郷が手招いているかのようだ。 最後には、何も無い… 何にも無いのだ、何にも。 暗闇という、孤独だけが俺に残る… 夜明けはまだ来ない。 「ろ章」 死んだ! 俺はとうとう死んだのだ! これ程不思議な死はあるまい! 俺は夢に死んだのだ! 夢に飲み込まれて、苦もなく! 俺はこの夢なる麻薬に溺れたのだ! 社会にも、または友人にも用は無い! 思い出は一つも思い出せない! 本当に、死んだのか? 俺には感情が残っている! 夜明けはまだ来ない。 「は章」 夢というのは、 一つの不思議な事象である。 夢というのは、 一つの麻薬のようである。 夢というのは、 いつか終わるものである。 夢に溺れた人間は、 目覚めてもまた眠りにつく。 夢は、自分を忘れさせる。 自分は、夢を忘れる。 そろそろ夢から覚める。 夢の不可解さは、 即座に移ろう感情と景色である。 夜明けが来た。 「あとがきの章」 これが夢なのかは、誰にも分からない。 自我というものは、夢にもある。 これが夢なのかは、夢にも分からない。 夢は、ただ一つの事象であるから。 夢は、事象であると同時に 神から出される処方箋である。 用法は、就寝前に 枕元に一つ置いて置くだけ。 それで、おしまい。 これも、おしまい。
夢という事象について ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 706.8
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ポイント数 : 0
作成日時 2024-03-23
コメント日時 2024-04-20
項目 | 全期間(2025/02/04現在) | 投稿後10日間 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
夢という不思議な現象。 夢からやっと抜け出せたと思ったらまたそれが夢だった時の雁字搦めの絶望感。 まるで蜘蛛の巣に引っかかりそのまま餌食となる虫の如く。 夢は醒めるがまた目を閉じ深い眠りと共にやってくる。 それは貴方が夢の牙によって囚われの身となる元凶かもしれない。
1「これが夢なのかは、誰にも分からない」 というのは、もしかしたら「これ」が「現実」だという可能性もあるということ。「これ」というのは、おそらく「い」「ろ」「は」の章のことだとすると、本当にこれらの「章」が「現実」である可能性があるのか、と強い疑問が生まれてくる。そんな詩である。 中でも、「現実」を「麻薬」のようだと思えている人はどれくらいいるだろうか。寝て、夢を見ることよりも、現実の方が楽しい、不思議なことが起こる、という現代人がいるかどうか。 おそらく少ないだろうが、そうすると、「胡蝶の夢」のような、今が現実かどうかの認識を問いかける哲学的思考もこの時代では虚しくならざるを得ない。 この詩は、そんな現代人の疲労感に一石投じるような、それこそ処方箋のような想起薬で、夢も現実も判別できない我々なんだから、どうせなら現実でハイになろうぜと、言っているように、思いたかったのですが…… それよりも単純に、「夢」は「現実」と対立する別世界ではなくて、「現実」と「現実」なんだ、という考えの方が詩全体として筋が通るんでしょうね。「夢」は、「現実」に内包されてしまった「事象」の一つ…… だったら、本当の「夢」って、どこにあるんだろう。
0僕は「dream is not over」という詩を書いたことがあるので、興味深く拝見しました。 全て終わってしまったと思っても、まだ終わらない。夜はいつか開ける。夢の夜空が、 毎日やって来る。まどろみのなかで、宇宙と同じ夢を見ている我々が、呪われている わけがないじゃないですか。
0わたしも「dreaming fuck!」という詩を書いたことがあるので(未発表) 興味深かったです。 夢をみる理由は、科学でも未解明とのことらしいのだが、 要は、その日一日分の記憶の反芻なのだと、直観的には思う所です。 きっと身の周りで起こったこと、受けた印象、わきおこった情動、等々が、 シンボルに変換されて立ち現れてくるのだろう。 眠っているときは、大脳皮質があんまり働いていない分、 モジャモジャと沸き起こる、余計な考えや常識ぬきに、 自分の経験について、より直接的というか、 「正直に」反省することができるのではないか?と考えます。 わたしは眠りから覚めると、よく夢を吟味する。 おぼえているシンボルの数々は、自分でいうのもなんだが、 客観的に自分を俯瞰したものと解釈できる。 と同時に、自分は自分に対して、よく嘘をついている、とも思わされる。 こう気づかせてくれるというのは、夢による自分自身への自浄作用というべきで、夢は、肉体に備わった、きわめて優秀な機能ともいえるのではないだろうか。 逆に、平常時に、大脳皮質から湧きおこる「思考」というものの、 いい加減さは、何なのだろう?とも。 思考よりも、夢のほうが、よっぽど信用できるとでもいうのか。
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