すべてのくじらが歌うのなら
すべての露草が雨滴を抱きしめる
単純な対応関係ばかりの夢では
エンドルフィンに支持された
懊悩が硝子体を濁すばかりだ
雲のあわいから垂れる雷は
鉛直方向に空を切断する時
誰も聞こえない泥の涙を謳う
煩雑な波のもつれに目を瞑り
真っ直ぐにはもう歩けない
紙芝居を見ている淀んだ眼に
安息日は虚に映る
一連の営みは続く
二つ目の瞼を閉じて
三つ目の瞼を閉じて
ずっと奥であらゆる灯を大切にしたかった
この先に怯えることが
二次応答の証左となるにはまだ碧い
地割れに吸い込まれる鼓動
外核にあっては鉄の心
朱雀の方位に太陽は止まる
我々はいつから左脳でそれを
見るようになっただろう
私は
あなたは
いつから我々から独立だと
信じていたくなっただろう
作品データ
コメント数 : 9
P V 数 : 935.7
お気に入り数: 2
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2024-03-06
コメント日時 2024-03-08
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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閲覧指数:935.7
2024/11/21 21時14分40秒現在
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よく題材として扱われる鯨の喩ですが、このように詩情を対として併走させられるのならば陳腐感もそぎ落とされるでしょう。 鯨たちの謳う周波数は何百キロも届くと言われています。二連、雲のあわいから垂れる雷は~泥の涙を謳う。この言葉たちから、安息日や二次応答の証左、そして地割れに吸い込まれる鼓動~を紡ぎ重ねて読んでみれば、その根底には争い事に対する憐憫さへの思い、謳が読み取れてきますね。鯨たちの哀しい叫び声は365平方キロ先「ガザ」の外へも届き響き渡るはずだ。
1おはようございます。 「くじらの歌」というだけにスケールの壮大さをどことなく感じる詩だと思いました。 その中のとてもミニマムな存在の「切実な」感情の葛藤。渇望。 そういったものが、どこか端々に洗練された血管もしくは、しなやかにのびていく枝木たちが彩っているような言葉たちが自生しているような。 そんな手触りの文章に感じました。 よい作品をありがとうございます。
1理解できる言葉の意味を読み手を自身を通して生やし、なにかが見えるよりも先に、それぞれが感じさせられることが出来る良作
1こんにちは。 くじら、、というと私は雄大でたくましく強大な自然の象徴のようなものと思っていました。 この作品はそんな私のイメージを具体的に表してくれた最適解だとおもいました。 良作をありがとうございました。
1クリシェの重層によって陳腐化された言葉を再生させる試みを行なっているのか 意味の意味性にとらわれ、その細部に目を向けることなく選択される名詞群が行を変えるたびにまさに >(…)左脳でそれを/見るようになっただろう という憂愁を感じる 言葉の指示するもの、そしてそれらに伴う時間の価値と肉体の相剋(線と点の相剋)を作者の本来の言葉で読んでみたいものだと思った
2お読みいただきありがとうございます。言葉を解釈いただき嬉しく思います。
0お読みいただきありがとうございます。とても嬉しいご感想です。
0お読みいただきありがとうございます。 「何かが見えるよりも先に」というのは、私自身良いと思った詩に対して得る直感ですので、とても嬉しいご感想です。ありがとうございます。
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