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屍
光が額に当り、心地よい熱を捧げる。 幽邃な路地裏で、極寒の夜を越した私は、奇妙な感心に浸った。昨晩、皮膚を刺す寒さに唸ってまぶたを閉じたとき、死が蔓草のようにひたひたと体に巻き付く幻覚を見た。如何にも確固たる断末魔の成り行きが、思いも寄らない軌道を描いたのだ。 一晩中、私の体は不明瞭に、霧に流されるかのような瀬戸際で、時を刻んでいた。生の欲望と、死の覚悟が、対立し、互いをすり減らした。朝焼けを迎えたとき、生の欲望は勝つのだと私は確信を得た。 依然として闇に包まれた体の振戦は続く。髪から眉までの小さな領域にだけ、光は棲み着き、頭を覆った朝の霜を跡形もなく溶かしていった。 雪を踏みしめる音。単調な息遣い。不動の立像。鋭利な目の輝きは、私の体を射、問うた。 「君は死人かね」 「どうやら生き抜いたらしい」 私は自分の声を聞いた。 「奇遇だね。私も君と同じ、死んだ生者だ」 「生きた死人とは違うのか」 「それは区別しなければなならない。私たちは死人のように生を渇望しない」 「確かにそうだ。生の欲望は、死に直面した際に、殆ど使い果たしたのだから」 「残りは行動するための微量だけだ。私たちにとっての死はもう覚悟ですらない。行動の終止符に過ぎないのだ」 私は彼の威容で冷たい手を掴み、立ち上がった。体温、冷酷さ、雄姿、向かい合った彼と私はあらゆる点で似通っていた。 光が充満する通りに導かれた。雪解け水が敷石を伝って、排水溝へと吸い込まれていく。物理法則の不変性。不思議と、同様な絶対的な法則に強いられ、私は行先を選ぶ暇もなく、ただただ進んでいた。 戦火の跡が目に飛び込んでくる。血潮に顔が染まり、性別も知り得ない死体。倒壊した壁によって、外気に晒された無人の住居。瓦礫の中に埋もれ、手だけを日光に伸ばす死体たち。立ち込める汚臭と、風が舞い上げる砂塵に、鼻が疼くが、私は一度も足を止めなかった。 やがて彼は広場にたかっている人々の方を指差すと、違った死んだ生者を求め、路地裏に姿を消した。 トラックの傍で列を成した数十人は皆、何処かが破れた衣服をまとい、うつむいて、散らばった硝子の破片が輝く様子に見惚れている。砲音に慌てふためく者はいない。 街路の突き当りの家が、まだ微かな炎の舌を出している。他の木材建築は既に灰燼と化している。この凄惨な光景は、誰一人の涙も誘うことはなかった。死に対する恐怖を欠いた精神は、無条件に悲嘆の声も失くすのだ。 私の順番がまわって来た。トラックに積まれた多種な武器から一つ選べと言われ、一挺の短機関銃を手に取る。軍服を着た男の指示に従い、弾薬を詰める。 徴兵期間ぶりの不慣れな手つきだ。だが殺意は巨大なきのこ雲のように沸き起こり、もう引き返す術はない。
屍 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 454.6
お気に入り数: 0
投票数 : 1
ポイント数 : 0
作成日時 2024-03-03
コメント日時 2024-03-04
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
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平均値 | 中央値 | |
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可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
感想として、戦火の街での生き残りの人を描いたのかなと思いました。 兵士は、このように招集される。ただし、冒頭の死の瀬戸際の夜の不思議な感じが、 独特の色と起点を与えていると思います。生の欲望を使いつくし、死んだ生者として、 兵士以外にはなれない。こういう風に一人の兵士は誕生する。殺意が残った生者。 >鋭利な目の輝きは、私の体を射、問うた。 ここがいいなと思いました。人の姿が明らかにされるので。 >雪解け水が敷石を伝って、排水溝へと吸い込まれていく。物理法則の不変性。不思議と、同様な >絶対的な法則に強いられ、私は行先を選ぶ暇もなく、ただただ進んでいた。 ここも好きです。 感情に還元されない描写を読むこと自体の喜びがあります。 >血潮に顔が染まり、性別も知り得ない死体。倒壊した壁によって、外気に晒された無人の住居。 >瓦礫の中に埋もれ、手だけを日光に伸ばす死体たち。立ち込める汚臭と、風が舞い上げる砂塵に、 >鼻が疼くが、私は一度も足を止めなかった。 この箇所は、戦争の悲惨さを描いていますね。 日頃考えてもいないことばかり描いておられますが、この戦争に立ち向かうにはどうすればいいのか、 そもそも、人間が戦争を戦わざるを得ないことは、こうした日ごろと違う現状に否応もなく 巻き込まれた結果の事なのか、などと感じられます。上層部の意向というものは、 戦争を続けろ、ということなんだろうなと思いました。最前線を描いて価値ある書き物であると 思います。長期間訓練された兵士ではなく、市民兵士、以前徴兵された兵士。狂気ではなく、 覚めた意識の兵士。主人公の気持ちが、何となくわかるのが、悲しいです。もう引き返せない。 心の様子を、きちんと描いて、難しい題材を成り立たせていて、素晴らしいと思います。 ガザやウクライナの例を、持ち出すのはやや距離が近すぎてためらわれますが、 『地獄の黙示録』のベトナム兵などは、こういった感じだったのではないかと思いました。
1ありがとうございます。戦争というのは、残酷ですがこういう文章を書いて、じっくり考えていくことで、解決していくと私は思っています。正しさ、正義というのは、わかりません。誰かを弁明したいわけでもありません。書きながら手当たりしだい探っているだけです。
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