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語り手と聞き手のいる風景
語り手と聞き手のいる風景 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1070.8
お気に入り数: 1
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-01-20
コメント日時 2018-02-07
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
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エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
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構成 | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
投稿ありがとうございます。 「語り得ぬこと」が詩情だとすれば、聞き手は沈黙する。詩情を求める聞き手だとすれば、その書物を読むことに意味がない。詩情は語られてはいないから。聞いて沈黙し、全ての冬を感じたい。 今後ともよろしくお願いします。
0色々考えたのですが、白旗ですね。色々レスこねくり回したのですが、僕がこの作品に対してレスするには何も足りないなぁとという感じです。語り手と聞き手を俯瞰する誰かが多分この詩の語り手でそれらを風景という形で遠巻きに見ている。詩の中身は、でもなんかの鳥になっているし、鳥に向かって多分言っているんですけど、でもこれを読んでいる僕は人間ですから、言葉を介してこの作品を読むけど、この詩の語り手は鳥に向かって言っているので、僕は今どういう立場でこの詩の命令といってもいいかもしれませんし、箴言でもいいかもしれませんが、そういうものに対して何も言い返せないなぁと思いました。 >語り得ぬことへの沈黙を破らぬよう >全ての冬を抱いて黴の煙吹く書物に 語り得る事と語り得ない事の差違と、それから沈黙とは何かとか、色々僕には何も言えないフレーズばかりですね。たった四行ですが、強靱です。僕に言われたからどうなのかという事ですけれども、まぁ、これ以上僕はレス出来ないし、それは語り得ない事なのだと思います。白旗です。もう少し他の方のレス読みたいですね。
0この作品は読めば読むほど美しいです。言葉一つ一つがもつ響き、そしてその言葉が作り出す力学をとても大切にされていて、丁寧に文章を紡ぎ出されていると感じるので読めば読むほど味わいが深まる。詩句から立ち上がるイメージが非常に立体的で広大ですらあるのに、非常に引き締まっていてコンパクトに収束する美しさがあります。そして読み手自ら「語り得ぬことへの沈黙」へと誘われていくようです。
0拝読。 「語り得ぬことについては沈黙しなければならない」という文章をどこかで読んだような気がします。ウィトゲンシュタイン?違うかも。 それはともかく、語り手と聞き手という二者が示唆されているようで、語り手と聞き手が同一のようにも読めました。語り手が自身に語りかけるとき、聞き手(おまえ)もまた自身というように。 《全ての冬を抱いて黴の煙吹く書物》に昔から《語り得ぬこと》があって、そのなかに閉じていくというのは、(きっぱりとした語調も手伝ってか)哀愁をともなった強い決意のように感じました。 それが作品として開かれている点、語り得ぬことが語られているというのが面白いです。
0すばらしい。音楽研究者としての経歴もさることながら、イタリアを旅したことが影響しているのか、近づいては遠ざかっていくものであるところの《鳥》の存在感が強く出ていて、まさしく『語り手と聞き手のいる風景』になっていた。
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