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魚とバナナとラクダの話
魚のキーホルダぶら提げて、この通りを下ってくると、彼が追いついて耳の上にキスをくれる。黄緑色のリュックサックの下に手を突っ込んで、わたしの腰を抱えながら彼は歩くのが好きで、彼の彼女になるんなら、ハイヒールなど捨てっちまいなさい。 お豆腐みたいな携帯電話に頬ぺたをくっつけていると、横目で見たバナナの茶色い斑点がキリンに見えなくもない。 わたしはいつも首を傾げているので、この前独逸語の先生に首がおかしいのかと聞かれた。その独逸語の先生はもう一人の独逸語の先生とうりふたつで、独逸語の先生になるには資格がいるなと思った。 黄緑色の、象の貯金箱の鼻が上を向いている日は、珍しく店長に二回も褒められて面喰う。その横でバナナはどんどん熟していくが、どうしたことか、渋いにおいを発している。 彼の首にまとわりついてわたしはいい気分だ。そんな気分をぶち壊しにするのは、プロレスの技をかけられた人がする合図。ギブ、ギブ。わたしは彼に丸められたいのに、わたしの尖った顎の先は、彼の頸動脈に刺さって血を止める。 魚を腰にぶら下げて、腰を魚にしたような気持ちでこの通り下ってくると、彼はやってこないで、わたしはスイスイと歩いてゆく。 コタツの上に置いたお豆腐みたいな携帯電話が青白く光って、照らされるバナナは部屋に帰ってきて一番に正座して眺め入りたいほどキリンのようだった。 ラクダの背には二日間滞在したが、ラクダの口は百八十度開くので、流されないように傘をさした。傘をさしかけてくれたのが魚みたいな顔をした彼で、魚のくせに足が二本もあって、青春なんとか切符で京都へ行ってしまう。置いてけぼりをくらっては、わたしは風邪をひく。肺炎になったりしたら、島国の有名な指揮者みたいでしょう。 彼はリュックサックの下に手を突っ込むのは好きでも、生活なんて生臭いものに足を突っ込むのは好まないようだし、わたしはわたしで砂漠の夜は寒かろうなどと考えながら、首を傾げてバナナのキリンに眺め入るのだ。 ※2012年
魚とバナナとラクダの話 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1078.0
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-01-15
コメント日時 2018-02-03
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
<わたしはいつも首を傾げているので、この前独逸語の先生に首がおかしいのかと聞かれた。その独逸語の先生はもう一人の独逸語の先生とうりふたつで、独逸語の先生になるには資格がいるなと思った>の部分、秀逸だな、と思いました。描かれている情景は徹頭徹尾とてもシュールで、まるでシュールレアリズム絵画のようなのに、どこかものすごい現実感というか日常感というか。違うな、正確にはデジャヴかな。この景色知ってる気がする、見たことある気がするという気持ちにさせられるのがとても不思議です。冒頭の連の最後の<捨てっちまいなさい>に始まり、随所随所、細かいところで独特の言い回しが魅力的なリズムを産み出していて、しかもそれが内容にしてはグロテスクでもなく、どこか爽やかさのある軽快でコミカルなリズムがとても洒落ているなと思いました。大好物なスタイルであることもあいまってか、非常に印象的で刺激的・魅力的な作品でした。
0survofさんへ コメントありがとうございます。 なんだか手放しで褒められて面喰らいました。嘘です。素直にうれしいです。 これを書いていた当時(ネットに上げたのは2012年だけれどおそらく2010年頃)は、安部公房からシュールレアリズムへ興味が移行して、アンドレ・ブルトンの『ナジャ』や『溶ける魚』をわからないながらも必死に読んでいたように思います。「実際の出来事にフィクションを混ぜることで作品化する」ことを目的として書いていたのですが、最近またそれに向き合いたいなと思っています。日記みたいな文章であれば詩の形を借りなくてもブログで十分であり、詩作品として立つために、私には何ができるのかと考えています。 言い回しによるリズムに関しては、今見ると、もうちょっと手を加えたい気持ちもあったりなかったり。言葉遊び大好きなので。書きだしたらキリンがない(じゃがりこはじゃがバターが好き)。
0この詩は以前にも何処かで読んだ気もするのですが、一読してから気になっていました。 日常会話に絡めて彼のことが語られるわけですが、様々なモノや動物たちが入れ込まれて発露される。 それは日常からおとぎ話の世界へ移行するように。このことは筆者も述べておられるように現実とフィクションの混交でしょう。 より喜怒哀楽を強調しようとするとき、対象的にかけ離れたモノを入れ込んでみる。そのことが旨く機能すれば、対照の狭間の中に置かれた存在者(読み手)のイメージは強調される。象徴的な存在として。雑踏の都会の中で孤独が強調されるとき、鳥籠に閉じ込められた一匹のカナリアを一瞬映し出すように。 このような異化的な効果とは、象徴的な対象物として我々のイメージに訴えてきます。 しかしここではそのような異化作用の対象が制限もされてはいない。この詩文は交錯だらけで、より特定の対象が強調されているとは受け取れない。 このことから解釈してみれば、この詩に受容されるイメージの効果とは、その感じ取れる詩情全体にかかってくるのではないだろうか。 つまり、語り手の対象である彼自体をモノの一部として扱っているのである。そのことが詩全体を通しての異化的効果として、バナナなどのモノを同化させ象徴的に物語っていく。この際どい操作を成功に導いているのは、やはりそれを意識し発露に優れた日常会話があるからこそでしょう。欲を言えば~をして。この接続助詞が多様されている文面が少し気にはなりましたが。
0もう少し追記しておくと、彼をモノして扱いたいという願望でしょうか。喜怒哀楽のすべてがモノに喩えることで収斂されていく。 妙味に優れた詩だと思います。
0アラメルモさんへ コメントありがとうございます。 アラメルモさんの記憶に残っていたなんてうれしいです。もしかして、現代詩フォーラムに載せてあるのを読んでくださったのでしょうか。 今月投稿した二作はどちらも過去作で、現フォにはそれぞれ2012年と2014年にアップしています。たしかビーレビューは他で公開していても投稿可能だったはずなので投稿しました。 この二作は私の中では続き物で、「実際の出来事にフィクションを混ぜることで作品化する」という同じ目的のもとに書かれています。 ご指摘のあった異化効果について少し考えてみたのですが、たぶん私が書いていていちばん異化されたいのは、作者である自分自身なのだと思います。 小説なら、作者が自身の体験をもとに書いていたとしても、読者にはあくまでフィクションとしてたのしまれる。けれど詩は、作者の固有の体験が多く含まれるほどに、作者そのものを表現しているかのように取られる。一人称のままで、作者から離れたところで成り立つ詩を書くにはどうしたらいいか。試行錯誤した結果が「体験にフィクションを混ぜる」という行為なのかな、と思い至りました。 ここ最近はずっと、言葉遊びを多用することでそれを実現しようとしていた気がするのですが、もう一度フィクションという形に向き合いたいと思い始めています。 それから、「〜をして」という接続詞が気になるという指摘にはびっくりしました。私の書き癖なのかもしれません。魚について言及するときだけ使っていたつもりなのですが、赤ペン持ってきてチェック入れなきゃと思いました。妙な書き癖がついたら困ります。助けて、赤ペン先生!
0生活はとても生臭い。でも足の爪の黒いのみたいに、たまに嗅いでみたくもなるくらいの距離感。
0逸々いつかさんへ コメントありがとうございます。 あ、爪伸びてる。なーんか靴下すぐダメになると思ってたらこれかー。あとにするとめんどくさくなるから今、切っちゃお。パチパチ。ずり落ちてきたメガネを上げようとした瞬間、あ、おふろ上がってからにすればよかったって軽く後悔するくらいの生臭さ。
0ものすごくぐるんぐるんする文体で、酔いますね。魚のキーホルダーが彼になって、彼は魚になるし、バナナは多分キリンになる。それで、多分ラクダはわたしなんだろうと思います。 正直、レス出来ないですね。こんだけぐるぐるしているので、何の話か整理付けたい欲がないわけではないのですが、しかし、それが出来ないなぁ。survofさんも指摘されていますが「わたしはいつも首を傾げているので、この前独逸語の先生に首がおかしいのかと聞かれた。その独逸語の先生はもう一人の独逸語の先生とうりふたつで、独逸語の先生になるには資格がいるなと思った。」ここが凄くいいなぁと。 もうこれは独特ですねといって、逃げたい。レス出来ない。白旗です。結構読み返して一週間くらい経ったんですけど、やばいしか言えないなぁ。アラメルモさんのレスの方が僕よりも理解が進んでいて、書ける事がないですね。 もうちょっと他の人の読みも見てみたいなぁ。
0百均さんへ コメントありがとうございます。 ぐるんぐるん酔いますか。笑。レス出来ないと二回も書くくらいだから相当困ったんだろうなあ。たのしい(にやり)。 survofさんもよいと言ってくださった独逸語の先生の話は自分でも気に入っています。先生から首がおかしいのかと言われた時は、無自覚だったのでただただびっくりしたけれど。不真面目な学生と思われていたのかしら。 何の話か整理をつけたいとのことなので1つだけ説明を。タイトルが「魚とバナナとラクダの話」になっていますが、魚もラクダも男性です。その間でフラフラしている女性の話を書いたつもりなのでした。 まあでも、どうぞ好きに読んでください。 ネット詩は作者と直接作品について話せる場合が多いので、作者の意図を伺うような場面も見受けられます。けれど私は、作品は読者に手渡されたら読者のものだと言ってもいいくらいだと思っているので、どう読むかは、その読者の自由だと思います。さすがに見当違いのことで批判されたりすれば反論するけれど、「こんなふうに読みました」を否定することはしません。 というわけで、自由に解釈してもらえたらうれしいです。
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