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2023年の書きおさめ
歳をとるということは怖ろしいものかも、と思いはじめている。 今年36になり、来年4月になれば37になる。西東三鬼は35にして余生に入る、と語っていたそうだ。それだけ苛烈な青年期を過ごしたといえ、昔の人の考えでは人生50年であった。 しかし、妻や実家の家族に言わせれば私は未だ現役大学生であってもおかしくない風貌らしいし、コロナで久しく人の往来をつぶさ、観察できなかったけれども、昨日、青いベンチに腰をかければ、人が皆、若々しくなっているように感じる。 なにせ人生100年時代なのだから。 今人の先を走る科学者が考えていることは「冬眠」の技術であるとホリエモンは言及する。 例えば今、治せない病気であっても、取り敢えず患者を冬眠させておく。その技術ができたのならば、解凍して病気を治してやる。 延命ということに関しても「冬眠」は一つの方法となる。しかし多くの人間が延命として「冬眠」を選択した場合、年金制度は崩壊する。 ここに一つの人間の「尊厳」の問題が浮上してくるであろう。 少子高齢化社会が、如実にその表に現れて、というのも、土曜日、郊外の大きな道を歩けば、車に乗っているのはお爺さんお婆さんばかりのようであるし、私の一番近くのセブンイレブンのバイトのイニシアチブを握っているのはお婆さん方だ。 ちなみにコンビニへ行ったとき、日本の内需を潤すという意味において、みな、雑誌を買うべきなのだけれど、買うに適当な雑誌が見当たらない。 だから私は今日も、故人の文庫本を買って読むし、ビーレビューをのぞく。 それじゃ駄目なのだけれど。 資本主義社会であるのならば、国内総生産が上昇しつづけることが肝要であるけれど、少子化になって人口がこれだけ減少すると、ピュアな資本主義だけではとうてい立ち行かなくなるから、それにとって代わる思想なりを人口に膾炙させなければならない。 といって、日本民族或いは日本人生来の特性というものがあるので、例えば一人勝ちをゆるした社会、勝ち負けをゆるした社会というのはやはり日本人のこころの深い部分で拒否されたのだと思う。一人勝ちしたもの、勝ったもの、というのも、じっさい銭をたらふく使いつつどこか自分がおかしいと思っているかもしれぬ。 若者が、消費行動に走らないから景気回復しない、と言われるが、そもそも1980年代から企業広告に対する不信感を抱いた若者たちは一定数存在し、じょじょに年数を経る内についにイメージ社会というものを拒否、そうしてテレビは観ない、という選択肢が行われるようになった。広告がもたらす効果は「あなたはこれがなきゃ不完全な状態である」、ということだけれども、テレビを観ない若者たちはほんとうに必要なもの、こと、を見つめかえし自己の尊さを保持しようとするので、ポジティブにテレビを観ない。だからお酒も飲まないし(ソーバーキュリアス)、煙草も喫わない。 彼らは対価を払って、YOUTUBE上の、サブスク上の広告を「消す」。 人間という存在自体に目が向いているので、ブランド品を持ってみるけれど、実はほんとうに欲しいバッグ、を買う。 その考えは行き届いていて、私が驚いたのが、結婚指輪、価格月給三か月分というのも、もう無いのだそうだ。ただ昔好きだったブランドが今価格を下げて、指輪を提供しているので、それで充分とのこと。二つ一万円の世界である。 「ただ、あなたと同じ種類の指輪を左薬指につけていたいだけ」。 あたらしい若者たちが、イベントに対して億劫であるか、これはコロナが明けきってないけれども、その町内会レベルの話であれば私はできて 彼らは東日本大震災というのを重く受け止めているので、防災意識が高く、その手のイベントにはできるかぎり参画する。 「いっちょやってみるか」という経験主義が彼らの中にあるので、きっと地域で祭りを企画すれば、彼らは参画してくれる筈である。 物を捨てること、断捨離、というのも東日本大震災「物が凶器になること」を情報として握っているので、ポジティブに行う。 経験主義。 きっと彼らの目は詩作にも、クリエイティブ・ライティングにも向いている筈で、それはX上の創作アカウントの多さに表れている。 コロナがもたらした、ゴシップがもたらした、政治家の悪政がもたらした価値基準として「清潔であること」「心身共に清く正しくあること」という動きは、今後ますます加速してゆくような気がしてならない。 この歳の終わり、私は風邪をこじらせ、扁桃腺に炎症を起こしたから、マスクをして始終過ごしているし、人のいるところには行かない。 先の価値基準が、ブンガクに、ネット詩に、どういう影響を今後与えるかは、私にはわからない。 しかし、ビーレビューの詩を眺めても、その、「心の悩み」自体までが美しく、あるような気がする。 障害を負っていることさえ、それはドロドロとした人間味にタッチしない。この動きが進み、人間というものが、「清潔」「正しくある」「美しい」という価値基準の中で均質化されきったとき、文学は変わらなくとも、「ブンガク」は変わるだろう。 そうして徐々に文学をおかしてゆくだろうと思う。 私は以前からロックバンド、ザ・ブルーハーツが好きだったのだが「リンダ リンダ」はあまり馴染めなかった。 ドブネズミのように美しくなりたい 写真には写らない美しさがあるから この、ドブネズミたらん、とする、価値観は急速に排斥されていっているような気がする。 私たちは人間である。そうして、毎日風呂に入り、ユニクロの服を着る。 一体ネズミたちはどこへ行ってしまったのか?そうして彼らは、インターネット上からも排斥されているような気がする。 以上を2023年の書きおさめとする。大晦日は決まって高浜虚子の俳句を閲して終えるのを私の決まりとしている。それでは皆様、よいお年をということで。 一体来年はどんな年になるのだろう?
2023年の書きおさめ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 716.4
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2023-12-21
コメント日時 2023-12-23
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
引用間違っていますね。 ドブネズミ「みたいに」だ。もう、耄碌してますね。すんまへん。 読みかえしても、おかしな所が多々あります。 お目汚し失礼しました。
0読んで色々考えたりしたけれど真っ先に思ったのが田中さんが私より年が上だったという驚きでした笑。勝手に年下の方なんだと思っていました。 ちなみに私も西東三鬼が好きです。
2楽しく読ませて頂きました! 来年もよろしくお願い致します! 来年はもっといい詩を作っていきたいです。
2わら、ですねw昔はしっかりしていると言われましたが、今は精神年齢が低い、と言われます。 三鬼はいつ読んでも古くならないですね。当時の最先端俳句だった筈ですが。 何か味があるのでしょうね。 ・・・来年は辰年ということで、調べたらいいことも悪いことも光が射すように 地に明らかになるそうです。 入間さんの日頃の努力に、更に光が射したらば嬉しいです。
0何か漠然と書きはじめてしまって。 じっさい、若い方は?むたんちゃんさんを若い方と思って書きますが 全然わかってないなーこの36歳は!でもいいんですよ。 そうですね。来年も宜しくお願いします。むたんちゃんさんには継続の大切を Xにて教わったように思います。がんばりますね。
1>一体ネズミたちはどこへ行ってしまったのか?そうして彼らは、インターネット上からも排斥されているような気がする。 「七対三が奇跡のバランス」だと言っていたキャラクターが銀魂にいましたね。それが気づかぬうちに損なわれたか。 時代の流れとはいえ、ある意味では多様性がなくなっていくのかもしれません。 >障害を負っていることさえ、それはドロドロとした人間味にタッチしない。 少々みんな疲れているかもしれないですね。生きてりゃ色々ありますんで。 ちなみにおすすめの雑誌は科学雑誌のニュートンです。赤い縁取りが印象的な。 普段なかなか手が出ない最新科学や数学の基礎、知られざる身近な生物の事柄なんかをわかりやすく解説しています。 大体の図書館にバックナンバーがそろっているので、時間があればどうぞ。
2田中さん、まだまだお若いじゃありませんか。私よりも一回りもお若いんです。これから楽しいことがたくさんおありになりますよ。
2興味深く拝読しました。 文学の悩みについては杞憂ではと感じます。 生き物すべて自分可愛さの体現が生命ですし 極限を見ればなんだってありますよね。 人間に限っても欲望は形を変えて肥大し続けている気が…。 清く正しく美しくも欲望の一形態なので 文学のネタが尽きることはないのではないでしょうか。
2コメントありがとうございます。 小林秀雄は個性だ、個性こそが大切であると言って その考え方は1987年生まれの私の世代でも残っていたのですけれど 本当に均質化されたわたしたち、として、生活がそれはあたらしい伝統に なるのも知れないですけれど、本当に生活がワンパターン、マンネリ化している。 それが正しい、正しくないかは置いておいて 詩人という存在は、まあ所謂、人口に於けるウィルスみたいな存在で AIとかにしてみたらば、人間としてエラーなのだと思います。 先、五年くらいは、コロナの清潔運動(言いすぎか)とか、戦争に対する平和意識の高まりで 詩人と大衆意識、大衆のエゴの方向性みたいなものと 共闘したり、又は詩人が逆らったり、またはそれを意識してないと苦しくなったり ってなっちゃうと思うんですね。 種を知ると、じゃあどうすればいいんだろうって考えが建設的な方へ行くと思います。 しかし若者の動向をみると、しんどい児とかいそうで。 その為にも漫画なり、それこそブンガクが必要になってくると思います。 よい年をお送り下さい。すいません、熱っぽく語ってしまって。ありがとうございます。 ニュートン読んでみます。
1こんばんは。 ありがとうございます。 私自身はこの数奇な世に生きつつも、それを知ったり、まあ生きていることが まだ楽しめるのでいいでしょう。ちょっとしんどい時もありますが。 しかしこの歳になるとカンボジアの里親支援のホームページとか 真面目に見ちゃうんですね。 その、今年の私の一番のニュースに入院した!って大きかったのですが 今、なんか人の為も、大きく、考えてしまいますね。 じぶんのことも大切なのですけれど、人を意識しないと、社会を意識しないと 日々のリハビリ、できませんね。ありがとうございます。 よいお年をお送り下さい。
2失礼ですが、なるほど、そうですね。 その、遅いんですけれど「コンビニ人間」という小説を読みまして。 主人公がコンビニで働くことをめっぽう気に入ってそのライフスタイルを選択しているのに 同じ世代の人からは「彼氏つくらないの」「結婚しないの」「ヤベェ」とか 言われてちょっと動揺するシーンがあるんですね。 あっ、これネタバレしているかな、すんまへん、まあ間違って書いてる可能性もあるので。 そのコンビニ人間が、きっと文学のネタの尽きることなき、の「今」を突いているな って思ったんですね。 その詩人は詩だけでは食べていけないので、他に仕事を持っているじゃないですか。 それにしても極プライベートな行為ですけれど、精神的作業ですね、詩を書いている。 きっとその裏側で何かを犠牲にしている可能性もあるんじゃないかな、と。 しかし、その佇まいが私は美しいと思いますし 今年少な、来年も皆さんの貴重な詩を、読んでいければいいと思っているんですけれども。 ありがとうございます。いいお年をお送りください。
1高浜虚子と言うと、「五百句」などが有名ですが、全般的に、人の冬眠の話、難病を治す消極的な方策や、若者のテレビ離れ、ブルーハーツの話、少子高齢化の内実など、興味深い内容に満ちていました。年が詰まって来て、矢張り話題になるのは今年の一年を振り返りつつ、来年はどうなるかだと思うのです。「どんな年」と言う問いが終わりで決まって居ると思いました。
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