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ヘルタースケルター
頭の中に本がたくさんあって一冊ずつ緑の目の男がかいがいしく整理しているオブジェがだだっ広い部屋のすみっこで濡れそぼって甘く光っているの。私はたぶんそれを見つけてやわらかい布でくるんでから胸のまん中に持っていって抱きしめた。言葉なんていらなくていいし、会話なんていらなくていいし、足場があればいいし、それを支える理由があればいい。ないものとあるものを誠実に分別していく。きっと夢の中はさむい。洋服を探しにいく。煙のように自由に。下着はあとまわし。まずはスカートから探しにいく。そういう木があるんだって。今それにのぼったところ。 ここでピクニックができたならたぶん最高だって思うの。風はないし、小鳥の鳴き声しか聞こえないくらい静かな場所だから。誰かを気にしなくてもいい、ということは誰かから気にされることもなく、体温が空気を濡らして、それをまた太陽が暖める。差し込んでくるまぶしさのように、ここなら唾液だって笑っていられる。サンドイッチと水筒。忘れものだろうか?目の前に。おそるおそる手にとって。他にもあるのかもしれない。私はバランスを保って、はやあしで、針できつく縫うようにうごきだす。あまりはしゃぎすぎると、おちてしまうことになるけれど、どちらにしても、最低はない。木の上は見晴らしがいいの。ずっといたいな。ずっとここにいるには、どうすればいいんだろう。 このままいくともう大丈夫というところまでくるとそれとなく安心してしまい手に持っていたものをなくす。そして満たされていたという感かくだけを手のひらが教えてくれる。はらぺこだった。何を食べたいか考えてキャベツにしたらそれをふっとうした鍋の中に入れてふたをして煮込み終えたころに私は肉を食べていて一言もしゃべらない。発音とかそういうのに頼ってばかばかしいわーってくらい肉がうまい。なんかうそみたい。動物は肉になるけど、素直さとか関係なくて、人間が勝手に皮とかはいで包丁とか使って肉にするだけ。それを私がもぐもぐ食ってる。つけあわせの草とかまずくて食べたくないの。草の血は緑で苦くて皿のすみっこでぐったりしてもしそれに生まれかわれたらいい。誰とも話さず、話しかけられず、何も共有したくない。心を共有したくない。それを思うの。肉を食べながら、草を食べながら、お風呂に入って、ひび割れたお化粧をおとしながら。 気づいたら眠っている。眠ることは、目ざめることは、死ぬことに、生まれることに似ている。おやすみなさいで私の意識、他人のところにとんでって、その人のものになる。その人が眠ると(かわりに私が目ざめる)また、私の中に戻ってくる。だから時間の進みぐあいや感じかたは人それぞれちがうことになるし、同じ時間を過ごしているようでそうでない。つまり眠るということは、意識がだん線するというか、そう、私が一度死ぬ。そういう機能は自動的に、自分の意志とは関係なく、身体中にあらかじめ備わっている地図みたいなもので、意識がそれを見ながら、あちこちとんでいくところを想像する私はまだ、眠っていて。 低いタンスがひとりでに動きだし、上に乗っていた緑の目の人形が差しだした両手をすり抜けてぽとりとおちた。赤いしずくも一緒におちて、床を見ると血がわだかまっていて、それがやがて訪れるべきことも本を読んで知っていたから、人形が赤くなってもちっとも怖くなんてなかったの。緑と赤は混ざりあわずにお互いのままだから、私はじっとして、ながれでる音がぽろぽろとすり切れるまでそこにいる。 どなり声がちらほらと聞こえた。太陽の光も通す薄いガラスのせいだ。ふたりくらいいるかな。高い声と低い声。黙って聞いている人もいるのかもしれない。耳が見えるようになったら、人数が分かるのに。耳は聞くだけのもの。聞きたくなければ耳をふさげばいいよと低い声がいった。だから私の耳はふさがれていてもうない。 この身体は私のものだけど、頭はきっと他人のものだ。他人の視線とか他人のしぐさとかがうんと気になる。ここで遊んではいけないよ。どうして?葬式をしているからだよ。そうしきってなに?亡くなった人をとむらうことだよ。とむらうって?ずっといてくれた人にありがとうをいって永遠のさようならをすることだよ。 えいえんってしってる? 知ってる。 にんげんはえいえんにいきられないんだよ。 それからわたしはとおくのこうえんにいきました。すべりだいがながくてゆうめいです。なまえはしりません。すべりだいのうえにつうじるかいだんをのぼっていきました。いちばんうえまでいってだれかいたらじゅんばんをまたなければなりません。わたしはそれがいやでした。はやくすべりたいきもちと、もしだれかいたらいやだなというきもちがごちゃごちゃになってやがてゆっくりとむねのなかにしずんでいきました。けっきょくすべりだいのちょうじょうにはだれもいませんでした。ほっとしてすべりだいのてすりにてをかけてしたのようふくをおりこんでしゃがみました。あとはすべりおりるだけでした。
ヘルタースケルター ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 631.2
お気に入り数: 1
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2023-12-14
コメント日時 2023-12-15
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
>・言葉なんていらなくていいし、会話なんていらなくていいし、足場があればいいし、それを支える理由があればいい。 ・あまりはしゃぎすぎると、おちてしまうことになるけれど、どちらにしても、最低はない ・何を食べたいか考えてキャベツにしたら~私は肉を食べていて一言もしゃべらない。・眠ることは、目ざめることは、死ぬことに、生まれることに似ている。 等々、兎角、考えさせられるワードがたくさんあって、素晴らしく、惚れ込んでしまった。これはまっすぐに死と読解するよりも、私がわたしを堕胎した、とそのような解釈と引き出された、だがこれがカラダなのか心なのかはどちらでも受け取れるのではないだろうか。または、なにごともなかったとしても時の経過でもなく思いの落とし所としても、どうとでも感じることが適うと思った。だから邪魔なものはもう何もなくて >あとはすべりおりるだけでした。 とラスト締められる。 読後なんかさめざめとして、あげたくなります、「わたし」の代わりにね。とても良いものを読ませていただきました、ありがとうございます。
0いつかこれはうそかほんとかもわからないのだけど。あるしまいがふたりそろってぜんせのきおくをもっていたらしくおねえさんのほうがいもうとのほうに。きっといっしょにうまれてこようねといってすべりだいをいっせいにすべったのだけどなにかのひょうしにいもうとのほうはひっかかってしまい、いちねんとかまたなければいけなかったこと。またくらいところでさみしいよとおもっていたということをおぼえている。 という話があって俺はなぜかそれをずっと覚えている。ヘルタースケルターというものはなんか威勢のいいビートルズの曲ということは浅学にも知らず今ググったらやたら威勢のいいアトラクション的なにかがでてきた。なるほどこのポエムはこういう感じかと。輪廻転生という言葉はなんか回るイメージがある。ニーチェは全部回ってまた戻ってきてながーーーい時間をかけて回ってまた戻ってくるんだって言っていた。そしたらえいえんしかなくないか。ってニーチェは言う。 えいえんはあるかないかえいえんにひとびとはえんえんとはなしはじめる。これはなんのポエムなんだろう。なんでこんな長いんだろう。なんの話をしてるんだろう。でもけっきょく結論がだいじなのかな。いやでもそうでもないか。家族と話してるみたいな詩だね。
0ありがとうございます。生と死は公園にある螺旋の遊具に似ていると思ったのがこの詩を書くきっかけでした。ぐるぐる回りながら生活をして、やがて下に到達する。そしてまた、順番を待っている次の人が滑り降りてくる。その循環がどこまでも続いていって、でも本当はどこへも続かないと知っているヘルタースケルターは、永遠を持たない人の歴史みたいなものかもしれないと、コメントを読ませて頂きそんなふうに思いました。
1ありがとうございます。僕に家族はひとりもいないんだと思わず書きたくなる素敵な形容でした。
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