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な
ま、いいけど いいけどさ なんなの、それ、 え、うん あ、そう、え、うん うん? そうなの? そう、そうくる? うん、え、え? なに、なんで、 なんでよ まじで まじでか うそだろ はぁ、 つーか、え それな、 ほんと なんか かぁ、 あ、 そうかそか うん うんうんうん ちとまて ま、まぁ うん まぁそう だな、 かもな てか ぬきで そゆの うん、 まぁ、いいわ うん いいって、 まじまじ うん っちゃ まじ、 うん いいって、 ま、いいけど な。
な ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 923.8
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-01-11
コメント日時 2018-01-31
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
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技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
花緒さん。ありがとうございます。こういうミニマムな詩は多分腐るほどありますが重要なのはこのドラムビート的な詩に読者はどんな伴奏(ドラマ)を想像するのだろう、ということです。花緒さんは優しいイメージが伝わったと書いてありますがそれは花緒さんのイメージですね。読んでくれた方が様々なドラマを想像してくれたらいいな、と想像しながら書きました。
0花緒さんが書いておられますが、普段の会話って本当にこんな感じだと思います。そのぶん、この作品を読んだとき、いろんな状況でのありとあらゆるコミュニケーションが巨大な複合体となってぐわっと押し寄せてくるような感覚を覚えました。会話が、音が、表情が、笑いが、怒号が、スマホ画面が、光が...今まで自分が見てみたすべてのコミュニケーションの音像・映像がお互いにオーバーラップして巨大に膨れ上がって脳をブルブルにする感じです。で、最後の「な。」で一気に現実に引き戻される。痺れました。読む日によって感想が異なる作品でもありそうで、とにかく初読の印象としてはとてもゾクゾクしました。
0皆さんの感想が面白い。私は、辞書を想起しました。 つい最近、娘に それな って、なに?と聞いて呆れられ、息子に フラグが立ちました ってなに?と訪ねたものの、こちらは優しく説明してくれたけれど、やっぱり、いみふめい。何を言いたいかというと、息子は母に優しい、ということです(笑)
0嫌がらせがしたいのではなく、肯定的なレスが多いので敢えて書くだけですが、何が面白いのかさっぱり分かりませんでした。というのは、誰でも書ける上に誰でも思いつける作品にしか思えないからです。「はあ何もやる気でないし暇だし詩でも書くか」と思い、PCの画面に向かうも特に何も思いつかず、適当に擬音語などを並べて虚無感に浸ることは、多くの人が経験していると想像しますが(私は経験しています)、その程度のものにしか見えませんでした。
0こういう雰囲気の作品は個人的に好物ですが、私には冗長に思えます。 初見では、モチーフがどうにも焦れったくイライラしました。お言葉を借りるなら、そういうドラマとして私が再生しただけなので、甘んじて受け入れるしかありません。 二回目は、コメントにも目を通して、あえて違うドラマとして再生するように試みました。すると今度は笑ってしまう。 どちらにせよ、容易にリアルとして想像させるシンプルさが、この作品の魅力だと思いました。 ……と、ここまでは予め用意していたコメントですが、今、完備さんのコメントを読んで、ハンドスピナーだ!と一人納得して、書き込む決心がつきました。ハンドスピナーは触ったことありませんし、買う気もありませんが、私のコメントが冗長なのは認めます。
0皆さんありがとうございます。 背定も否定も何もこの詩には意味を排除してますから読み手の精神的状態でどうにも解釈は出来ますよね。誰でも書けそうな詩に見えたなら大成功です。ありがとうございます。それな、は、少し無理した感じがあるか、ありのあり、を使わなくて良かったかもしれません卍。ハンドスピナーだ! それな! ありがとうございました。
0対話している事が分かります。でもどのような内容を持った対話をしているのかという所は書かれていません。でも対話している事が分かります。ここが面白いですね。なんでわかるのかというと、この詩は実のところ内容による対話をしてないという所にあると思います。 この詩の形に当てはまるような内容を用意すれば、多分なんにでも当てはまると思うんですが、なんにもで当てはまるという事は、その「形」そのものの構造の方に意味があると思うのかなぁと思います。これを見て思うのは、言い訳をする方とそれを受け止める方という形ですよね。 話す方と、受け止める方、どちらがこの詩の主体になるのかというのは、多分、主導権を握っている受け止める方なのかなと思います。(なぜかというと、親しみのある文体をしているからです。それは+にも-にも作用するという意味合いで)本作は受け取り手のいない言葉というのが如何に脆いものかという事を言っているかもしれません。構造を抜き出してそれを観察した瞬間に露呈する物があります。おそらくこういう会話っていうのは閉鎖した空間でなされるものなのかなと思います。固い言葉で言えば秘私性の高いそれはラインとか、対面による一対一の説教とかでもいいかもしれません。単純に電話でもいい。そこできっと会話のメインになるのは内容のある話をしている方(きっとそれは読み手の視線に重ねられている)だと思いますが、実の所こうして受け答えの方だけを取り出してむき出しにすると、会話の体を為すには中身の双方向性がある必要なんてなく、受け答えが出来てればいいし、そのバランスがとれていればいい、そのバランスの取り方にも色々あって、本作の場合はその内の一つの形であるという事だと思います。こういうのを言語学的にいうとモダリティなのかなぁと思いますが、ちょっと浅学で詳しい事は言えないのでwikipediaから引用します。申し訳ない。 >モダリティ (modality) または法性(ほうせい)、様相性(ようそうせい)とは、話している内容に対する話し手の判断や感じ方を表す言語表現のことである。 >例えば、「きっと雨が降るだろう」という文では、「雨が降る」ということに対する話し手の推測が「きっと~だろう」によって表されているので、この部分がモダリティであるといえる。モダリティには「きっと~だろう」のような事柄に対する対事モダリティと「おいしいね」「おもしろいよ」の「ね」や「よ」のような聞き手に対する対人モダリティとがある。 ここら辺もうちょっと言語学詳しかったら言えると思うんですが、要は「対人モダリティ」のくりぬきともいえます。「な」とかで話が通じてしまうのは、「対人」だからでありますよね。そこに人がいるからこそ、この会話のくりぬきは成立します。対話の内容は分かりません。「何を話しているのかはさておき、きっとこの対話は成立しているのだろう」という、対事モダリティを僕らは脳内に描いているはずですね。
0丁寧なレス、分析、ありがとうございます。自分は本能型の書き手なので中々技術的な事は書けませんが百均さんのレスを読んで成る程、と感心しました。昔から繋がりをテーマにしたのでこんな受身側の詩が出来たのかもしれません。 ありがとうございました。
0私は若者言葉が大大大好きです。 なぜかというと、現代コミュニケーション速度に最適化してるからです。一つの目的に向かって洗練されていくものは美しい!! この詩の語り手は、ずっと聴き手なんですよ! ……あっ、言いたいことは概ね百均さんが述べられていますね! 全部スタンプでいいことをわざわざ書いている、語り手は優しい! 対話として成立するよう、扱いきれない若者言葉は廃してある、作者はクレバー!!
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