姿を消し去らねばならぬほど
鮮やかな輪郭を持ったこともない
影がレインコートの隙間から話しかけてくる
「雨はまだ降りますか」
キリンの足が目の前に二つ並んだとして
頭上の顔と目を合わせることが出来るかい?
誰に話しかけるでもなく
僕はそうつぶやいた
影は何か言葉を探しながら
もそもそと背中で動いていた
水を含んでパンパンに腫れ上がったミミズが
足元に転がっている
水風船のように
そのうち破裂するんじゃないかと思うほど
太陽の恩恵とは
指揮者のように腕を振りながら
雨を払う
一枚の影を僕に与えた
「君を回収しきれなかったのかな」
レインコートの襟をきつく合わせながら
そのまま
雨の風景に立ち止まる
ペンを置いてから始まる
脳内の音の洪水
ひろうのは
ほんの少しの音
ペンを握れば
またすぐに沈黙する
椅子を引いて戻さないのは
もはや伝説なのだ
蛙のような賢い声で
何かが笑った
僕はぼんやりとフライパンに残る泡を見ていた
もうすっかり落としました
何を?
もうすっかり落としました
音を
もはや蟻一匹這い出る隙間は無いでしょう
泡のように消えていく雨の音
こびり付く青い空
聞くべきだった
それで幸せですかと
太陽の熱を感じて
僕はレインコートを脱ぎ捨てる
傘で空を切る時に
耳を澄ましてみたけれど
もうどんな音も聞こえなかった
作品データ
コメント数 : 13
P V 数 : 1036.7
お気に入り数: 1
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2023-11-03
コメント日時 2023-11-05
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 0 | 0 |
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可読性 | 0 | 0 |
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技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
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可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
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閲覧指数:1036.7
2024/11/21 23時19分45秒現在
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>椅子を引いて戻さないのは >もはや伝説なのだ 飛躍するこのフレーズが良かったです。
1かなり前に別の詩サイトで同じようなことを、とある詩人に言われたことがあります。 小説などで話を飛躍するとその後のフォローが大変そうですが、詩の方がいくらか気楽かもしれません。 コメントありがとうございました。
0この作品に感じた大切な何かを、筆者の方に言葉として提示できればと思ったのですが、この詩にめぐらされた想像が、僕の頭の中では上手く像を結ばないところがあり、例えばたくさんの言いたいことがあって、でもそれを全部上手に伝えきる前に言葉が消えてしまうように、分かりかけては、分からなくなる、(あやふやなコメントで申し訳ありませんが)、そのような感想を持ちました。
1脳内というより目で見えるものを無作為にスライドしているかんじ。その筆記は、一行分も記憶する前に見えなくなるから、この思考のなかに太陽という恩恵に気づいているから、経験や常識。titleの蛙という題材だけで、感傷に浸っている、そんなイメージが紐付けられる。風景に溶け込む、蛙。それは蛙を見ている自分なのか。カエルが見ている自分なのか。もれなく引き出される読み手によって。
2詩を書くことは自分の内面のアウトプットのように思っているのですが、自分でもよく分からない部分があるのですから、そういう感想を持たれるのは至極当然のことだと思います。最近そう思えるようになりました。 ここ数ヶ月間は一行詩のような短いものしか書いていませんでしたので、少し長めのものを書く体力はまだ戻っていないかもしれません。力不足ということも多分にあります。 率直なご感想ありがとうございました。
1>脳内というより目で見えるものを無作為にスライドしているかんじ。 身体性のようなものを差し込んで、詩がふわふわしすぎないように重しをしてみました。 蛙のことですが、確かに私の詩の中にはよく出てきます。 たぶん俳人の松尾芭蕉が好きなので、例のあの有名な俳句「古池や蛙飛び込む水の音」の要を担う小さな生き物として何となく思い入れがあるのかもしれません。 ご感想ありがとうございました。
1明瞭さが無く、かといって曖昧でもないのですが、キリンや雨があらわす心象にもどかしさ、人は簡単には分からない複雑な存在かもしれないな、などと思ってしまいました。
1脳内というより目で見えるものを無作為にスライドしているかんじ。とA・O・Iさんがコメントをなさっていて、多分イメージの広がりについて言及されているのではと勝手に思っているのですが、紅茶猫さんのおっしゃるー自分の内面のアウトプットのように思っているのですが、自分でもよく分からない部分があるのですから、そういう感想を持たれるのは至極当然のことだと思います。最近そう思えるようになりました。ーという心情についてもとても良く理解できます。詩というのは、読み手の想像に訴えたり、刺激したり、寄り添ったり、時々追い越したりする生き物のような生命があって、小学生くらいの子どもたちが書いた詩が、時に大人が書いたそれを凌駕することがあるのは、そこに宿された生命があまりにも瑞々しく目に映る、それはわずか4・5行くらいの短い詩であるのですが、文章量を凌ぐイメージの広がり、深さを感じたこと、詩の長さはあまり意味を持たないものであると、それをきっかけに実感しました。僕の読解の弱さが前面にあって申し訳なく思いますが、紅茶猫さんの詩にはとても良い響きを感じます。その響きがさらに広がっていく先に、響き合いが生まれてくるのではないかと思いました。
2>人は簡単には分からない複雑な存在かもしれないな、などと思ってしまいました。 同感です。 ダブルスタンダードだとか便利な言葉に乗っかったりしなければならないほど、人間も世の中も複雑になる一方だと思います。
1>紅茶猫さんの詩にはとても良い響きを感じます。その響きがさらに広がっていく先に、響き合いが生まれてくるのではないかと思いました。 誰かが読むという前提で詩を書く訳ですから、誰しも書きながらどこかで読み手を意識していると思います。 私は俳句も詠むので俳句はどうだろうと考えた時に、他者の前に対象物(自然界の動植物、自然現象など)が来るかもしれません。 読み手より目の前の花と私が優先事項なのです。 時々そうした視点が顔を出すのかもしれないと思いました。
1そうですね、私の言い方が下手糞だった、外側に開かれるようにイメージして内面を書いてるということですね。さだまらない心象風景を見て書いてる。それは意識的なものではないから無作為なスライドと書きました。在った出来事を書いているわけでないです。コレでも通じねえか、言葉難しいね。でもさ、こういうのって、受け取りてがどう解釈するかでしょ、正しさなんてないし。なにか気づきのようなことがあれば素敵なことだからさ。なんてね
2>外側に開かれるようにイメージして内面を書いてるということですね。さだまらない心象風景を見て書いてる。 そうだと思います。そして内面に重心を置きすぎないのが俳句だと私は解釈しています。 これは詩なので若干自分の内面が目立っているかもしれません。 そうですね。現代詩は決まり事が圧倒的に少ない、そこが自由で良いですね。
2紅茶猫さんへ >私は俳句も詠むので俳句はどうだろうと考えた時に、他者の前に対象物(自然界の動植物、自然現象など)が来るかもしれません。読み手より目の前の花と私が優先事項なのです。 対象が同じであっても、詩として記述されたもの、俳句として記述されたもの、(僕が)言葉にできなかった感覚というのが、そこに生じる違い、に収束するのではないかと感じました。 お話をさせて頂けて良かったです。ありがとうございました。 A・O・Iさんへ 解釈を取り違えてしまい、申し訳ありませんでした。 >外側に開かれるようにイメージして内面を書いてるということですね。さだまらない心象風景を見て書いてる。それは意識的なものではないから無作為なスライドと書きました。 補足のコメントを読ませて頂き、気付きに繋がりました。 ありがとうございました。
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