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日経新聞と東洋経済に包まれて
日経新聞と東洋経済を携えて スーツはダーバンだったり、 ネクタイはブルガリとか 岩波文庫や光文社古典新訳文庫も読む 創作はしないが お金に多少余裕があって勉強も好きな男 知性らしきものと自信ゆえに 表情はいつも引き締まっている 仕事に勉強に遊びだ いい気分だ 「でもキミ、これはキミのことだよ キミはまだ若いのだし 小さな会社に勤めている小さな成功者にすぎない だからもっと腰を低くして、 つましくしなければいけない 今のキミがあるのはなかんずく 社長のおかげなのだ キミ一人で今のキミがあるわけではない だから社長や、 社長の奥さんや社長の愛人には、 礼と恩を示すことを忘れてはいけない キミは努力家で有能で みんなが恐れをなすほどだ 現実は確かにそうだけど、 その余裕たっぷりのいい気分は幻想だということ、 人には全然ウケないということ、 覚えておこうね そして最後に言っておく 社長は日経新聞も東洋経済も読んでいないよ」 「ふん、若いくせにというわけですか 僕だって自分の小ささくらい分かっていますよ 地球は広い でも所詮みんな小さいんじゃないですかね 小さい成功者がいいモノを買っているのです 別に背伸びをしているわけではないけど 自然に腰も高くなりますよ 確かに今の僕があるのは社長のおかげだし 同僚の力も無視できない 妬まれているのを感じることもあります しかし気にしているひまはないのです 礼と恩なら十分返しているじゃないですか この頑張りで 僕が文学好きであることを笑っているようですね あなたのように創作しないからって 正直書く必要を感じないのです 書かなくても生きていられるんですから あなたはあなたなりの事情がおありなのでしょう 最後に言われたこと 僕の余裕たっぷりのいい気分が幻想だって そんなこと分かっていますよ この僕が分からないとでも思いますか そして人にウケるかどうかなんて知りません 僕はひたすら働きます 仕事します たまには遊びます そうですね 社長は日経新聞も東洋経済も読んでいませんね 僕は生意気ですか けっこうですよ 僕は僕の自由の範囲であれこれやっているだけです 誰にも侵されない範囲でね」
日経新聞と東洋経済に包まれて ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 995.7
お気に入り数: 1
投票数 : 4
ポイント数 : 0
作成日時 2023-11-02
コメント日時 2023-11-05
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
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総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
僕が文学好きであることを笑っているようですね そんな風潮かもしれない。
0我が身に突き刺さるかのような心境で、拝読をさせて頂きました。 日経(産経ではないのがせめてもの、)と東洋経済新聞の選択も秀逸。 機知に富んだ(とは自分では思っている)、うすのろの自由意志の矮小さ。 自分の言葉を持たぬ愚かさ、或は他者の言葉を鵜呑みに自己の言葉とする愚かさを、見事に書き切っていると思いました次第でございます。 斯うした、凍て付く様な批評、諷刺に特筆すべき視座を具有していらっしゃることは、 他の方にはあらせられない美点であると感じ入りました次第でございます。
0我が身に突き刺さるかのような心境で、拝読をさせて頂きました。 日経(産経ではないのがせめてもの、)と東洋経済新聞の選択も秀逸。 機知に富んだ(とは自分では思っている)、うすのろの自由意志の矮小さ。 自分の言葉を持たぬ愚かさ、或は他者の言葉を鵜呑みに自己の言葉とする愚かさを、見事に書き切っていると思いました次第でございます。 斯うした、凍て付く様な批評、諷刺に特筆すべき視座を具有していらっしゃることは、 他の方にはあらせられない美点であると感じ入りました次第でございます。
0何だか日頃の不満を書き表した感じですね。 でもこれを対岸の火事と見るのではなく、他山の石としなければならないのでしょうね。 幻想を幻想と自覚することは大切だと、そんなことを思いました。
0面白いなぁ。 社長は何読んでいるんだろうなぁ。ビックコミックオリジナルとかかな?
0小さなサラリーマン仲間では、文学のことなどこの世に存在しないがごとく通用せず、話題にしようとしても、みんな初耳だといった様子に実際なります。それでも別にいいんですけどね。諦念。
0教養は大切ですが、教養主義も一種の俗物であるかもしれない。でも、世渡りを第一に考える傾向に比して、やはり教養は、より神聖であるように思います。今現在の世界に危難は多いのは確かですが、それでも過去の世界の野蛮さは少しは克服されているはずです。それは、優れた頭脳が今現在まで考えに考えてきたからだと思っています。諷刺の調子で書いた本作ですが、世の中が自由で、より多くの人が安全に生きることができるものであるように願うのは、ブレない事として銘記されたいものです。
1もっと詩的に仕上げようと思い、原稿と向き合って考えたのですが、最終的にはこういう肉声のような、ありのままっぽいものになりました。不満の要素もありますが、それを乗り越えて寛容になろうといった感じですね、そう、他山の石こそ用いるべきですね。 自覚は寛容へと向かうはずです。
0(笑)面白かったですか、ちょっと微笑んでしまう読者もいるかもしれません。この社長、何を読んでいるのかなぁ……、想像して楽しんでください(笑)。
1都会の会社だとこのような会話が交わされているのでしょうか。 田舎の陸上自衛隊普通科連隊と田舎の牧場で牛にどつきどつかれる仕事しか経験がないので全くわからないのですが。 ではこの作品の人物二人に変な世界線に入ってもらいますね。なんだか思いついてしまったので。 筒井康隆「鬼」見たいなノリで。 モー 会話を交わす二人に聞きなれない声が届いた。 見るとすぐ横に、牛がいた。 推定体重800キロ、文句ないホルスタインだ。それもでかいホルスタインだ。 「キミ、なんだねこれは」 「牛です。それは間違いないです」 「だからなんでここにいるんだ?!」 「こっちが聞きたいです。東京の真ん中でここはビルの中です」 牛は好奇心旺盛な目で、二人を見る。 歯をちらり見せながら、鼻をゆっくりゆっくり近づけてくる。 フンフンフン、コーン風味の息を放ちながら社長が読んでいない手に持っている日経新聞と東洋経済に興味を示す。 「牛も興味を持つ日経新聞と東洋経済なのに社長は読まないんですね」 「牛が文字を読めるかよ」 長い大きな牛タンを伸ばし、日経新聞と東洋経済を舐め回す。 ついでに牧草の様に、日経新聞と東洋経済を咀嚼し出す。 「あ、こら。止めろ」 「食うんじゃない! 腹壊すぞ!」 すると牛は二人の手に舌を伸ばす。 金たわし並みの、下手なヤスリ以上のザラついた牛タンで二人のロレックスとその周囲の肌に襲い掛かる。 「痛い!」 「うわ、嘘だろ!」 その声に驚いた牛。 ぶもおおおおおおおおおおおおおお! 一気に駆けだした! 「うわ、止めろ!」 「そっち行くな!」 もう日経新聞も東洋経済もない。 知性も自信も意味がない。余裕さえも消え失せる。 社長にも社長の奥さんや社長の愛人に恩義を感じる暇もない。 ブルガリもダーバンも役に立たない。 ジムで鍛えはずの体力も一切通じない。 人の十倍以上の体重を誇る、遠目にはかわいい牛の暴走を押し留めるのに精いっぱいだ。 パニックになる会社中で、奮闘するのみだ。 牛は丁寧に磨かれた床に大小便を容赦なく垂れ流しそれに足を取られ、咀嚼しかけた重要書類を取返し、パソコンに近づけないので全体力を持っていかれる。 想定外の重量で椅子を壊し、机をひっくり返す。 扉は頭突き一発で破壊され、観葉植物は次の反芻のために第一胃に送られ、気分で放った後ろ蹴りで重い金庫が倒れた。 牛の匂いが会社中に充満した頃、二人の奮闘で牛を廊下に追い出すことに成功する。 牛は、なんだか満足した様で、まっすぐエレベータの方に行くと、鼻でスイッチを操作し、いい気分で悠々と一階へ降りて行った。 「…………」 「…………」 「あの……意見は色々違いますが仲良くしましょう」 「そうだな」 「もう体力は尽きてますが、片付けしますか」 「……だな。掃除道具を持ってくる」 最近読んでいる岩波文庫が足元に転がっている。 何となく読み出した原始仏典スッタニパータを訳した「ブッダのことば」が風にめくられ、ひとつの言葉が目に入る。 ”牛は友達である” 「……なら、本当はみんな友達なのかな」
0こんな感じの人で私の詩を何年も読んでくれた人を思い出させられて微妙な気持ちです。書く方よりも読む方の方が豊かな場合もあるかもしれない、なんてね。語るものよりも聴く者のほうが賢い、とも言うそうですし。詩を書くという行為は自分の人生を削っていて、生きがいにもなりますが、心のためにやる趣味で、プロの詩人になるのは困難です。谷川俊太郎になれなければ意味がないのなら、それは詩の価値を問うことですが、物質主義的成功と心の成功の両方を人間は必要としているんだよね。そんなことを思わされました。考えるチャンスになりました。ありがとう。
0羽田恭さんの筆力、想像力はもうずっと前から知っていました。推理して知る力もすぐれていますね。私の作品など、羽田さんの描く牛に全部呑まれてしまいましたよ。書き起こしたのは私なので自負はありますが、こうまで書かれるとさすがにすごいなと思いました。「牛は友達である」「本当はみんな友達」。いろんなところで「寛容」という語を使う私ですが、実際はこの語のとおりには生きることができていない。理想ではありますが。世の中でも個人の生活でも、衝突や絶縁がどうしても起きてしまう。でもここを起点として人間は思考を始めるのでしょうね。拙作のコメント欄に貴重な作品を載せてくださりありがとうございました。
0私はけっこうヘンリー・ミラーが好きで読んでいた時期があるのですが、彼の言葉でよく思い出すのが以下のような言葉。 「小説を書こうとは思わなかった。そんなことをするのはとても恐ろしいことに思えた」 「本当に偉大な人々は何も書かずに死んでいったにちがいない」 だいたいこのような言葉を書いています。二箇所とも出所と正確な文字は今記すことができないのですが、確か大久保康雄氏の訳になる『南回帰線』の中にあった言葉です。 とても謙虚で、また深い言葉ですよね。湖湖さんからのコメントを読んですぐにまた思い出しました。書くということ、書いて成功するということ、読まれるということ、どれだけ考えても十分ということはないけれども、考え続けながら、私はやはり書くことはやめないと思います。おそらくは湖湖さんも。
1小さな成功とか、社長の奥さんや、愛人さんに対する感謝の念など、ひっかりやとっかかりがありました。日経新聞と東洋経済、タイトルでもあるのですが、読んで居ないと言う事と、生意気と言う事は、どう言う意味を持つのかと真剣に考えてみました。
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