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ああ
神様、ああ、の感覚、あの感覚を、ぼくは感じました。ぼくは布団のなかで、おしよせてくる、ああ、の感覚を感じながら、自分を停止させようと、試みました。ぼくは、ああ、の感覚をおそれていました。ああ、に飲み込まれると、ぼくのおそれは消えてなくなる予感がし、ぼくにはその予感がおそろしく、自分を停止させようと、試みました。ああ、は感覚というよりも、指向性のようなものでした。ああ、の方へ向かうと、ぼくは、何もかもから、遠ざかっていきます。その時、ぼくは強いおそれを感じ、ああ、から遠ざかろうとします。すると、少しずつ、何もかもがぼくのもとへと戻ってきます。 神様、ああ、は、ぼくが生きていて、ぼくの脳みそが働いている限り、ぼくとともにあるのでしょうか。 点きかけた電球と、消えかけた電球のちがいを、ぼくは思うのです。
ああ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 986.5
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-01-06
コメント日時 2018-01-14
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
背中から底がないような落下の感覚に時折見舞われるのですが、 あれって「ああ、の感覚」だったのか、とおもいました。 仏教的ないわれのある感覚だとだいぶ前に聞いたことがあり、自分では納得したのですが。 それだと「ぼくが生きていて、ぼくの脳みそが働いている」あいだだけでなく、もっと長い間の繰り返しの感覚のような気もします。 勝手に「ああ、の感覚」を自分のと同じものにしましたが、またべつの「ああ」だったら、ごめんなさい。
0ああ、とは、何か・・・ 行き着くところまで行き着かないと気がすまないような、そんな性的な興奮、淫夢に襲われたときの体感の中で、自分を引き留めよう、としている場面。 死にたい、と念じ続けて、気絶寸前の感覚、「落ちる」瞬間の感覚を体感し、幽体離脱的なところにまで行きたがる自己を、なんとか留めようとしている場面。 クイズ番組でアハ体験、という言葉を知りましたが、疑問にとらわれたり、わからないことに苛立ったりして悶々としている状態が、スッキリ解消した瞬間の快感・・・ 「点きかけた電球と、消えかけた電球のちがい」点滅する命、弱まるのか強まるのか、いずれにせよギリギリの不安定な時間。フィオリーナさんのコメントを、興味深く拝見しました。私があげた中で、2番目にあたるのでしょうか。
0始まり、が始まる前の不安が伝わりました。 今度はんん、の感覚も書いて欲しいです。
0お読みいただきありがとうございます。 みなさまに、さまざまな解釈をしていただき、ありがたいです。
0私にとっては、引っ張る力が強い詩です。引きずられないように注意しないといけません。 しばらく健やかに生活したいので。 ああ、の感覚。あの感覚。怖いです。
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