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方眼用紙
人を殺した事がある、私は11歳だった、表面上は机に向かい、白地に青の線が引かれた美しい方眼用紙を、汚す要領で文字を記していた、人を殺す物語をその時の私は書いていた。 方眼用紙上での私は東欧に居た、寒村から始まったこの血筋は未だ寒村に留まり続け、縄張りだけを広げていた…そのような物語を私は、東洋の果てで誰にも知られないように書いていた。 物語の中の私は主人公と同一化していた、大人の男だった、その年のクリスマスに叔父を殺害した、死体は、石を積み上げて出来ているワイン倉庫のさらに地下へ、タマネギを積み上げている場所のすぐそばに、農具と一緒に並べて置いた、汗をかいていた、叔父の血に触れたくはなかった、火薬の匂いが漂っていた、自分もこのように死ぬのだろうと、私にはわかっていた。 「雪が…振ってきましたよ」 石段の上から女の声がした、僕の恋人、と私は思った、ぼんやりとした明かりの中彼女は佇んでいた、僕は階段の下から言った「こっちには来るなよ」私は、自分のその声に棘がないか気になった、来るなという意味じゃないんだ、お前はそこに居てくれと僕は願っていた、そう私は記した。 それから黙って、大人の男である私は、石段を上がっていった、自分の革靴が別の生き物のようにぬらぬらと光っていた、恋人は濃い色の髪をきつく束ねていた、給仕の役割をしているのだ。 「僕が頼んだ通りにしてくれよ」 そう私は言ったが、彼女は青白い顔で震えたまま返事もしなかった。 私は急に恐ろしくなった、誰かに見られている気がした、不意に恋人は言った。 「そうです、見られています」 私は冷や汗が出た。 「すべて見ています、あなたが好奇心から人を殺したことも、それを隠す事さえあなたが楽しんでいることを、すべて見ています」 私は手を止められなかった、方眼用紙を走る文字はそのまま私に話し続けた。 恋人は言った。 「あなたがどこへ逃げようとも駄目です、あなたが外国へ行こうと、空想の果てで別人になろうと駄目です、あなたが人を殺してみたいという欲求を具現化させたことは、全部ばれています」 私は対抗した、「でも空想でしょ?」どんな返答をしてくるのか、楽しみですらいた。 「いいえ」 いつの間にか空想上の恋人の声は、母親のものに変化した、私は暗い石段の感触を足に覚えた、畳と違ってずいぶん冷えるなと思った、そこは土の匂いのするワイン倉庫の中だった、干し草が天窓に敷き詰められている、日光を遮るためだ。 振り返ると農具と一緒に父が、暗がりの中、頭から血を流して転がっていた。 「お母さん、お母さん、ごめんなさい、お母さんの好きな人を私、殺してしまった!」 私は文字を借りて叫んだ、母の姿は、私の空想した見知らぬ女のままだった、その視線は虚ろだった。 「でも、お母さんの信じている神様以外を、崇めたりしてないよ!」 11歳の私には父殺しよりもそのことの方が重要だった、私は、母であるところのその女に駆け寄った、私はあなたを裏切ったりしていないと伝えたかった、裾のたっぷりとしたスカートが足に触れた、彼女は泣いていた、涙の粒が私の手の甲に落ちた。 「命が一つしかないように、あの存在もひとつしかないの、一緒に祈りましょう」 女は、静かにそう言った、後ろの方から、寒村の親族達が唄っている声が聞えてきた。 私は女を止めようとした、空想をそのまま書き連ねることはたまに、書き手にも予測できない事態を引き起こすことがある、もちろんそれは、表面的には方眼用紙上での話なのだが…私には、現実の母が信仰する祈り以外の文言は、禁忌であった、しかし手を止められなかった。 「こら!!!」 私は背後から怒鳴られてはっとした、文字そのものも逃げだそうとしているかのようだった、父がそこに居た、足先に畳の質感が甦った、ペンを持つ手は止まっていた、何度も呼んでいるのに食卓に私が来ないということに父は腹を立てていた。 「ケーキもあるから、早く来なさい」 母は父をなだめていた、母に、走り書きとはいえ異教の言葉を見られるわけにはいかなかった、下敷きを取り去って上の一枚、白地に青の模様に記された文字を剥がし、丸めて捨てた、しかし心の内でつぶやいた。 「あの祈りはお母さんが口にしたんだから」 そして気づいたのだ。 「だとしたら私は、きっと、人殺しもしたんだ」 もう夜だった、居間のTVからクリスマスの音楽が流れていた、その機械音を聞いているうちに涙が出てきた、私はどこへも逃れられないのだ、どこに居ても、誰になっても、私は自分から逃れられない、泣きながら頬張ったケーキの味を、今でも覚えている。
方眼用紙 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 874.8
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-12-25
コメント日時 2017-12-31
項目 | 全期間(2024/12/22現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
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構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
物語に絡めて作者自身を読ませるという作りですが、面白いタイトルなので、何か升目にちなんで策でも労しているのかと思いました。 ちょっと期待を裏切られた感はありますね。 書き慣れておられるのか文章の作り自体には力量が認められる。が、創作物を読点でずっと引っ張っておられるのはどうかな。脳の呼吸が続かなくなる気もしますが。
0花緒さん 読んで意味が通じるかどうかが一番心配でしたので、一安心しています。 再読していただけるようで嬉しいです、クリスマス記念ということで投稿した作品です。
0アラメルモさん 恥ずかしながら言われてみてはじめて気づきました…無意識的にハマっていたようです、句読点。 方眼用紙であることの意味は無いですが、強いて言えば、綺麗な模様を汚しているイメージでしょうか。 どうにも私自身が感覚に寄りすぎている部分があるので、国語的なひねりに関しては完全に力不足というか、センスが足りないのですよね。 批評していただき勉強になりました、ありがとうございます。
0意識的に書かれた文章というよりは、自分の中に眠っている無意識を自動筆記的に抉りだそうとしている作品だと思います。書く事というのは、外的な要素を孕んだ物でもありますが、内省的な文章に限っていえば「自分」という内部回路を剥き出しにしようとする事なのかなと思います。加藤典洋『テクストから遠く離れて』今読んでいる所なのですが、こういう文言が出てきます。 >人がある作品を書くという場合、そこでの執筆動機は彼自身にも十分にはっきりとはしていないのがふつうである。彼は、書くことを通じてそれを自分で確認していく。なぜ書くという行為が、それを自分に対してもはっきりさせる契機になるかと言えば、書くという行為の中にいわゆる作者(主体)の意図なるもの、もっと言うなら考えることそれ自体に対する抵抗の要素があるからである。…(中略)… その抵抗物との交渉の中で、自分の脳裏の「意=動機」が、「モノ」となって現れる、両者の間には当然差異がある、その「ズレ」を通じ、自分の欲していたものが何であるかが、彼自身に対し、明らかになってくるのである。 なぜ作中で人を殺すのかという事に十一歳の語り手が気がつくというのが、本作の構造なのかなと思います。それは作中に登場する人物、或いは土地を逆転させたからと言って、それは作者による些細な抵抗に過ぎない訳です。 本作の場合は色々交渉しまくったんだろうなっていう痕跡が沢山あって、どんどん登場人物も変わっていって、いつの間にか父親を殺してしまっている。それが語り手の父の姿に投影され、更には最初殺人から始まった物語が最終的に母親の方に向いてしまって、 >「だとしたら私は、きっと、人殺しもしたんだ」 人殺し「も」という風に気がついてします。父を殺した事よりも母親の方に目が向いてしまっているし、そして自分は自分が無意識の内に思う事しか書く事が出来ないという事に気がつく。自分がいくら抵抗した所で、書いた物は父を殺してしまうし、母を求めているし、それが祈りなのだと、気がつく事しかできない。
0百均さん 小説を読んでいるとき、あるいは書いているときに「別の人間の視点に自分の視点が宿る」という現象が起こる事をいつも不思議に思っていました。 本作も漫然と書き、クリスマスという単語が出たので12月25日に載せようと思った次第です。 自分でも気づかないことを、批評という場で解き明かしていただいたようで…嬉しさと恥ずかしさを感じます。 コメントありがとうございます。
0投稿有難う御座います。大熊あれいさんの前作でも個人的に感じたことなのですが、描かれている物語(もしかしたら物語など書かれていないのかもしれないのですが。なんと云いますか、、作品の底に流れている何かしらの脈みたいなものです)が私の個人的に昔から持っている「何か」を叩くのです。大熊あれいさんの作品は。それが何なのかを言葉としてお伝えすることが出来ないのですが。今作にある、その「何か」を頑張って表現してみますと、それは「異次元の出来事」。異次元という言葉から一般的に認識されるものではないのですが、一番近い言葉です。ただ、作品としての完成度はまだまだ不足しているような気がします。私も人のことは云えないのですが。へんてこりんなコメントで申し訳ないのですが、次回作も楽しみにしております。
0三浦さん そうなんです、私は、作品として完成させると言うことにまだ感覚がついてゆきません。 あともう一つは語彙の無さ、言葉の使い回しが未発達なんです。 国語そのものが苦手だったなあと、投稿してから気づかされます。 皆様の作品を読んで、これを自分が(感性というよりかは、そもそもの日本語として)書けるだろうかと、頭を抱えております。 個人的に昔から持っている「何か」を叩く なんだか嬉しい言葉です、それはきっと良くも悪くもでしょうから、出来れば完成した…心地よいものとして誰かの「何か」を叩いてみたいものです。 コメントありがとうございます、なんだか元気が出ました、よいお年を。
0原稿用紙、ではなく、方眼用紙。五ミリ方眼の、その升目に・・・この勢いなら、升目に関わらず文字を書きなぐっていく、のでしょう。升目があるのに、マスに収まらない文字のうねり。 前半は、書いている私、を、ある程度客観的に見ている、印象の文が続きます。 丁寧に前連を受けて、次の連に引き継いでいく、若干もたつきすら感じられる速度。 それがやがて、物語そのものの中に取り込まれていく。丁寧な言葉の重ねが消えて、スピーディーに紡がれていく。 その速度感と共に(時々、方眼用紙に書いているのだ、と自ら言い聞かせるように言葉が挟まれるのに) 自分の手が、意志とは関わらずに文字を生み出している、そこからどんどん世界が立ち上がって行って、 自分ではもうどうにもならない。そんな世界に取り込まれていく、ような、切迫感や恐怖感を感じて、 創作のスリルを味合わせてくれる作品だと思いました。 ゆめオチ的に、悪夢から解放されて、日常に回帰する。読者をほっとさせるための仕掛け、なのか・・・ 「こらっ」の前であえて止めて、物語の中に読者を取り残すような中断の仕方も、面白いかもしれないと思いました。 日常に戻って来ることが、安心であると同時に、そこから逃れられないことを実感する、というアンビバレント。 母の信仰を、自分は受け入れることも、同化することもできない、かといって愛する母を悲しませることはできない・・・オイディプスの呪いといえば良いのでしょうか。私は父を殺さなければ、自由になれない、という強迫観念のような・・・。 日常、にとらわれていた、としても。日常に居る限り、「父」を殺さなければならない、という強迫からは自由でいられるのかもしれませんね。父よ、なぜ、私をお見捨てになったのですか、と言葉を発して十字架上で死を迎えた、キリストの生誕を祝う夜に、父殺しから解放されたことを確かめながら、甘いケーキをほおばる・・・しかしそれは、物語の中に埋没することは許されない、そのことを実感すること、でもある。
0まりもさん オイディプスの呪い まさにこの状態なのかもしれません、父殺しというものが何故だか私にとって確信的なものとして、常に現実味を帯びているのです。 家族に関する事を書いたときに、根底に流れる話の筋道は父殺しなんです。 私自身の脅迫概念なのでしょう。 タイトルを方眼用紙にしましたが、肝心の方眼用紙のイメージが欠けたまま文章が終わっていますので、もう少しひねりをきかせれば良かったと思っています。 コメントありがとうございます、いつも勉強になります。
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