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ほば『しけしけのしけしけのしけしけのぱれーど』減圧蒸留
なんという蛮勇の叙述トリック(ほめてる)。伏線を回収しないどころか張りすらせず、ただ最後の最後に鍵句をひとつ置くだけ、それも唐突きわまりない飛躍(ほめてる)しかも突拍子もない掛詞(ほめてる)。こんなでたらめな構造(ほめてる)が、どういうわけだか完璧以上に機能している。その証拠に、作品コメント欄を見ろ。「火炎瓶」に酔いどれたおじさんたちが結集して、詩に予言された通りの誘爆大宴会に、すっかり興じているじゃないか。 「ときは今、車に跳ね飛ばされ、 火炎瓶持ったおじさんの群れに 落ちていく、破裂、誘爆、脂肪 いや、 死亡、おじさんたちの一瞬のパレード」 (作品10聯) つまり、自爆テロと見紛うこの描写は実のところ、飲み会における酔っぱらいの盛り上がりだ。車に跳ね飛ばされたとあるので、語り手自身は運転要員の下戸なのかもしれない。酒の代わりのアイスクリーム等で頭が冷えているのか、猫の餌の心配をしたり、酒と自己陶酔と共通の敵がなければ結束できないおじさんたちのメタボリックなスピリッツをうまいこと言い表したりしている。この聯をこのように詳細に読解できるトリックが、作品末尾の一行に凝縮されているのだ。 「放流され遡上して喰われて、また放流する」 (作品末尾) この話の流れでいきなり鮭の話が出てくるなどの不自然に、意図のないわけがない。この謎の鮭は酒との掛詞だ、すなわち「火炎瓶」が酒瓶の比喩であることを示唆している。燃えるほど強い酒といえばスピリッツ(蒸留酒)、スピリッツ(精魂)だ。 いかにも自己陶酔の燃料であるその「火炎瓶」は、スピリッツの容器であると同時に、鮭の稚魚の放流に喩えられるようななにものかの比喩でもある。瓶に詰められて流される精魂と言えば、ボトルレターだ。言われてみれば「火炎瓶」はたしかに、きっと届かないと思いながら投げる(ゆえに語り手も隣の部屋の爺さんも投げられていない)無謀なメッセージに違いない。 シケた世間の時化た荒波へ放流され、またたく間に砕け散る瓶はもちろんだれにも届かず、なかのメッセージも海水(あるいは海水のごとく苦い涙)で湿気って字がにじむので、運よく拾われたとしても読まれなどしない。まさに『しけしけの時化時化の湿気湿気』。 このような虚無の事態に喩えられるような、シケた飲み会のシケた酒は、大五郎サワーかストゼロか、燃えるわけもないうっすいスピリッツなのに違いない。現に語り手の導火線は忘れ去られているが、隣の部屋の爺さんのには火がついたのね。 「火炎瓶に 火をつけて 爺さん忘れて 逝っちまったぁ 慌てた俺は昨日から 猫を二匹飼ってんだよ」 (作品5聯) ハートに火をつけたのね猫がね。こまかいとこまでいちいち気が利いている。トリッキーなレトリックだがべらぼうにうまい、「火炎瓶」の含蓄として的確きわまりない。酒瓶もボトルレターも割れたら意味をなさないが、火炎瓶は逆に割れなければ意味がないのだ、この進退窮まったダブルバインド。大五郎サワーとは思えない余韻がある。 つまりもちろん、この詩の本当の美点は、叙述トリックでもトリッキーなレトリックでもないわけよ。おばちゃんには語れないから、コメ欄のおじさんたちに尋ねてくれ。
ほば『しけしけのしけしけのしけしけのぱれーど』減圧蒸留 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 813.9
お気に入り数: 0
投票数 : 0
作成日時 2023-06-09
コメント日時 2023-06-10
ごちそうさまでした。相変わらず澤さんのヒヒョーは面白いです。 「飲み会における酔っぱらいの盛り上がり」から「スピリッツ(蒸留酒)、スピリッツ(精魂)」にいくものの、その魂は「大五郎サワーかストゼロか」とくる。ビーレビに投稿されているほとんどの詩よりもユニークな比喩がじゃんじゃんでてきますね。
1こひもさんのお目に留まり光栄です。コメ欄でもこの観点はわたしの独壇場でしたので、澤あづさならではの味が活きるよう、あえて減圧蒸溜で仕上げた軽口のヒヒョーでございます。 この被推薦作品は(わたしの批評対象はぜんぶそうですが)大変な傑物で、常圧蒸留すれば別物に化けることはわかっておりますので、機が熟したらそちらにも挑みたいですね。
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