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日清戦争
あおなみ線の 野跡(のせき)駅に降り立つと 急に日清戦争が勃発した様な気がして 過信が深まる 家臣を呼ぶ 弥生時代が私を呼んで居る 田の中にはゴミが遺棄してあって 空き缶や木切れなどが遺棄して あった 仏の座や犬ふぐりやタンポポや ナズナが生えている 田の縁の土がある所を眺める 勿論田の中だって土だらけなわけで 土の無い箇所は無いと気付く 帰りに猫は居なかった 行きには居た猫 猫の居た東西道 仏壇屋の有る東西道を帰った 勿論行きもと 春のお月さまに話しかけながら 歌作をする我
日清戦争 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 887.9
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-03-06
コメント日時 2017-03-23
項目 | 全期間(2024/12/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
>春のお月さまに話しかけながら >歌作をする我 とあるから、色々と野跡駅近くを散歩しながら歌とか考えている語り手の思考、を行訳でざく切りにした物を見せられたような感じがします。それがそれでいいと思うんですけど、まぁ面白いかと言われると、全部は面白くなかったです。他人の思考してる最中という意味でのプロセスの追体験っていうのは厳しい物があります。もうすこし情報が欲しいなぁ…という意味で投げやり感がまず最初にきました。といいつつ気になる表現もあるので、種はちゃんとあると思うんですよ。 >帰りに猫は居なかった >行きには居た猫 >猫の居た東西道 >仏壇屋の有る東西道を帰った ここが凄く不思議、その後春の夜、お月様が出てきて話しかける自分は猫の鳴き声のように歌を作っている感じみたいな感じでなんか風流みたいな感慨を勝手に覚えました。
0エイクピアさん。お待ちしておりました。先に花緒氏もふれております通り、エイクピアさんが、当掲示板の投稿ラッシュの口火を切られた方なのです。ずっとお待ちしておりましたよ。本作『日清戦争』、じっくり読まさせていただき、また、改めてコメントさせていただきます。
0そのまま読めば、それなりに年輩の方による野跡駅を降りた後の気ままな散策記録ということになりますが、実は若い方がそういう手法で書いたものかも知れません。書き手の情報がゼロに等しい状態で読むというのは、本当に楽しいものです。 名古屋と日清戦争と言えば第三師団。「家臣を呼ぶ」から織田家や徳川家と繋がりの深い名古屋城へ。さらに弥生時代へと思考は自由に飛躍する。筆者はかなり歴史に詳しい方のようです。名古屋で弥生時代と言えば晴海大遺跡などが有名ですが、かつては非常に大切にされた田んぼに、今はゴミが捨てられている描写から一気に現代へと引き戻される。タンポポやナズナや仏の座はともかく、今の若い人は犬ふぐりとか知っているのでしょうか。知らない人は、山岸凉子の「天人唐草」を読みましょう。 個人的に一番「詩」を感じるのは、「勿論田の中だって土だらけなわけで/土の無い箇所は無いと気付く」の部分です。この語り手の「気付き」が、読者をハッとさせる。地形を考えれば、おそらくこの散歩はかなりの長時間だったものと思われますが、当然のことながら行く時に見かけた猫の姿は帰り道はなく、空には春の月が浮かんでいる。優れた私小説のような詩でありました。
0hyakkinnさんレスを有難う御座います。野跡駅はあおなみ線と言う名古屋市内の結構新しい路線の駅で、一回だけ利用したことがあるので、使用してみました。なげやり感ですか。他人の思考の最中と言うプロセスなど、刺激的なセンテンスですね。種はちゃんとありましたか、それを聞けただけでも、安心できたような気がします。引用して頂いた、4行は、実体験に根差す物でしたね。思い入れは強かったのですが、その分ぞんざいに投げ出してしまったのかもしれません。
0花緒さんレスを有難う御座います。まだオープンして居ない、という段階と言うのは不覚でした。2月度は少し不参加ティックだったのかもしれません。日清戦争は私も少し大胆な感じがしましたが、勇気を鼓舞して出してみました。食べ物に根差している、と言うのが根底にあります。やはり日常生活は外せないからです。
0三浦果実さんレスを有難う御座います。そうですね、じっくり読んで頂ければ、有難いですね。是非、じっくり読んで頂いてレスをして頂きたいです。「日清戦争」は結構思い入れのあるタームでした。日常性に根底を置いたタームだからです。
0もとこさんレスを有難う御座います。野跡駅は、あおなみ線を利用したことがあると言うのに根差したものでした。上記にも書きましたが。但し、野跡駅で降りたのは虚構です。なので虚実なのかなあと自分で言うのもなんですが。ああ、第3師団、帝国陸軍ですね、今では自衛隊で、名古屋市守山区に第7師団があるようですが、やはり「日清戦争」なので、帝国陸軍ですね。私も、犬ふぐりは、長らく、名前と実態が一致して居なかったのですが、もう、記憶が蘇って来ないぐらい、地続きの物ですね。見過ぎているのですね。物としては。だから、具体的な記憶がないと思えるぐらい、何度も見て来たと実感が出来るものではありましたね。ただ最近は田の畔とかも少なくて、犬ふぐりも乏しいような気がします。引用して頂いた箇所は、確かに、私も思い入れのある個所でした。何か気付きだとか、私小説的な発展があると私もいいなと思いました。
0詩作品とは万華鏡のように、読者によって無限にイマージュが広がる。その「読む技法」のなかでも、ズームでとらえるかワイドでとるか、というパースペクティブな要素は大きくある。と思う。本作『日清戦争』というタイトルを一見すると、読者の多くは、その思想的な言質を取りにいく、ズームな読み方に誘われてしまう。私は、詩を読む時、じつは、ワイドレンズしか使わない。 そのワイドレンズで読むと、『日清戦争』から想像する私の世界は、シルクロードなのだ。 猫と東西道と仏壇屋が私にはシルクロードにみえた。読者の皆さんはどうだろうか。
0三浦果実さんレスを有難う御座います。ああ、シルクロードですか。そうですね、東西道、仏壇屋、から来る把握。そう言われれば非常に納得が行きます。ワイドレンズですね。私の「日清戦争」と言う魂胆もワイドレンズなのかもしれませんが、具体的には日清戦争的な物を入れられませんでした。入れると詩を損なうのかなと思ったからです。でもこれをきっかけに日清戦争的な物を入れて行く詩を発表するのかもしれません。
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