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愛とモンゴル
ヒロダヒロキは先日、7年間交際していた恋人と別れた。 大学生の時に交際を始め、卒業後も遠距離での交際を続け5年を経ての破局である。 お互いにさしたる不満も無く、大きな喧嘩もした事は無かった。 だが、社会人5年目ともなると結婚の話が出てくる。 実家に挨拶に来て、とLINEが来た時、ヒロキは通販サイトでぶら下がり健康器具を見ていた。 ヒロキは愛というものがよく分からなかった。異性に対する性欲はあったが、恋愛感情を持つことが無かったのだ。ヒロキは遊び人だったという訳では無い。学校、職場、生きてきた中で一度も誰かを好きになった事が無かった。 そんな為か、ヒロキには男女限らず友達が居なかった。一度、真面目に考えたことがある。 俺は、どうしてこんなに孤独なんだ。周りの人たちは、愛だの恋だの言って、楽しそうに過ごしてるじゃないか だが、ヒロキは極度の面倒くさがりであり、途中でどうでもよくなってしまった。テレルジ、キュレ、ヨリーン・アム。そんな事を考えているより、写真集を見ている方が何倍も幸せだったのだ。ヒロキの青春時代は暗い部屋の中に、異国への憧憬と共にあった。 そんなヒロキであるが、大学に進学してからは異性より話しかけられる事が度々あった。芸術やサブカルチャーに対する膨大な知識量を知的だと感じ、魅力的だと捉えられたのかもしれない。しかし、コミュニケーションが苦手で気を使えず、知識は有るものの大して賢くは無いヒロキが人に好かれることは無かった。ただ一人、彼女だけを除いて。 彼女との交際を経て、ヒロキは人間性を獲得していった。人との関係において、正論を言うのが正しい事と限らず、自分の事ばかり話してはならず、会話を億劫に感じてはいけないと学んだ。それでもやっとまっとうな中学生レベルといったところで、就職活動では苦戦し、就職してからも人間関係で悩み続ける日々だった。そもそも仕事が出来なかったのだが。 彼女が愛の言葉を囁く。ヒロキもそれに答える。意味は分からなかったが安息があった。 ヒロキは仕事が出来ないことを彼女に黙っていた。それはヒロキ自身の安息の為であったが、彼女の人生の為でもあった。そんな風に嫌な部分には蓋をして、お互いに離れては居ながらも、パートナーが居るという安息の中で生きていければ良いと思っていた、例え愛が何のか分からなくとも。 しかし、結婚となるとそうは言っていられ無い。相手の人生に対し、責任が生じてくる。ヒロキは無責任というわけではないが、自分の力では人の人生を背負える力が無いと感じていた。無能な自分が働き続けられる保証が無い事、辛い事があったらすぐに自殺を考えてしまう事、幸福を与える自信が無い事。真実は崩壊の序曲だ。それらの告白を彼女は泣きながら聞き、それでも一緒に居たいと言った。愛しているからと。 愛。愛とはなんだ。それによって不幸が持たされようとも、構わないというのか。例えば俺が、無職になり、鬱病になり、迷惑を掛けるような存在となっても愛は存在し続けるのか。 ヒロキのストレスで剥げてきた頭の中にある脳みそは回転を続ける。 愛。それをもし自分が持って居るのならば、今ここで彼女を振る事こそが愛なのではないか。有能で責任能力を持った幸せ人間は他に居るはずだ。安息を捨て、彼女を愛というの名の呪縛から解き放とう。 でも俺は君を愛していないんだよ 呪詛の言葉を投げつけられると思ったが、彼女は冷静さを取り戻したようだった。 そう。じゃあ一回別れよっか。そんで、気が変わったら連絡してよ。ヒロキ君は一度でいいから自分のやりたいことをやってみるといいよ そうして電話は切れた。 俺のやりたいこと。俺のやりたい事ってなんだ。一度ちゃんと考えてみよう。そして自分に正直に生きてみよう。ぶら下がり健康器なんて買う必要は無い。そうしたら彼女が言った事の意味が分かるかもしれない。 数か月後、ヒロキはモンゴルの草原に居た。ゲルの立ち並ぶ広大な大地、早朝の澄んだ空気。吐く息は白く、体はかすかに震えている。 ヒロキは仕事を辞めた。やりたいことをやるために。 ヒロキは全裸でモンゴルの草原を駆け抜けていた。手を大きく振り、朝露の下りた草を踏みしめる。その姿はさながら一頭の駿馬であった。愛が何かは分からない。しかし、ヒロキは確かに朝日の中に居る。
愛とモンゴル ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1071.4
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-03-04
コメント日時 2017-03-06
項目 | 全期間(2024/12/21現在) | 投稿後10日間 |
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可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
田中ジョバンニ氏の第三作目の投稿作品『愛とモンゴル』。これについては先行情報を読者のみなさんへ、敢えて紹介したいと思う。既にリーディング作品として、ネット上に上がっている作品で、一度もポエムリーディングを体感されたことのない方は是非。また、電子画面の文字をなぞる読みとジョバンニ氏本人だと思われる肉声とBGMによる朗読。その二通りによる、作品の印象の違いがよくわかること絶大である。私は、たまげた。田中ジョバンニさんの生リーディングを聴いたことがあるけれども、その生な緊迫感も良いが、演出された本作も面白い。 少し、話しは逸れるけれども、コメント欄は自由である。ルール(平たく云えば、作者も含め、他者を不快にさせなければよい一般的なマナーを守ること)から逸脱していなければ。是非、新しいコメント技法を皆さんも繰り出していただきたい。返詩もアリ。作者へ向けたコメントでなくてもOK。勿論、お互いに温度差がなければ、議論も多いに結構だと思う。
0テレルジ、キュレ、ヨリーン・アム。そんな事を考えているより、写真集を観ている何倍も幸せだったのだ。 この部分、おかしくありませんか? それとも意図的? あるいはただ単に私の読解力が不足しているだけなのでしょうか。「写真集を観ている方が何倍も〜」ならわかるのですが。それはともかく、この詩ってモンゴル必要ですか? もし必要であるならモンゴルの人がこの詩を読んだ時に、どうい感想を述べるのでしょうか。とても興味があります。全裸で馬に乗ってモンゴルの草原を駆けるのなら分かるのですが、この内容だとただのストリーキングですよね? つーか、今どきストリーキング知っている人いるのか? 愛を認識できないこの主人公は間違いなく大切なものが欠けているのでしょうが、そもそも人は誰でもどこか欠けているものなのではないでしょうか。それにしても主人公を恋人にして、別れを告げられても「じゃあ一回別れよっか。そんで、気が変わったら連絡してよ」と言える彼女は本当にすごい。私が主人公だったら、この言葉を聞いた時点でプロポーズしてますよ。彼女なら、主人公が無職になり、鬱病になり、迷惑を掛けるような存在となっても大丈夫でしょうね。これって、実際は別れてないし破局もしてませんよね。語り手はもう、彼女の術中にはまっているのではないでしょか。
0皆様コメント有り難う御座いました。 ご指摘の通り、「写真集を見ている方が」の誤字です。確認不足のままアップしてしまい申し訳御座いません。
0田中ジョバンニさん 要望箇所修正しました。
0凄くいいです。多分田中ジョヴァンニさんの作品で一番好き。 モンゴルの草原に冴えない男が立ち会う事で、道が開けていくのが伝わりました。文章は、僕はこれでいいと思いました。勿論ある程度破綻した部分している部分というのは細かく見ていけばあると思うのですが、僕は好き。この文体と量。人生の描き方。この軽さこそが正に無感動そのものであって、しかし悲嘆に暮れすぎる事もなく、だからこそ最後の目の前に広がっていく草原の力強さが、僕の脳内にフラッシュされる。 なんかの漫画で、仕事が出来る男が仕事に忙殺されて、そこまで寄り添った妻の勧めに従って仕事をやめたときに、妻の実家でゆっくり休んでいたら、目の前に広がっていく田舎の道の見てもう一度やり直せるだろうか、云々みたいな漫画があって、それとはいい意味で逆のシチュエーションで、僕は凄くいいと思いました。 後はなんだろう…やっぱり、パートナー大事ですね。
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