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補遺
露台もなく ついぞ彼が見ることはなかった家 その裏手には 南国産の果樹が数本と 模造Phallophiliaの王 もう湯気も冷えた日づけばかりに 指をすべらせて あめふらしの干涸びる正午だ 線路を渡りそこねた艸龜を 地図のうえで遊ばせる めくれあがった四隅をたどるのは おまえの娯しみだったか 蟻酸がたつ 用水路を流れていくのは 笹舟ではなく 能管 単語帖は河のきいろ こあきない いまは追憶にだけ 凍えるのをゆるしてほしい やがて問うのだ ひらかれた雞小屋へ注連繩をなげ 粉塵の村で はながみを啜る首だ あわれむな やがてはずれる身だからと みず飴をねり 膠を食い 畠鼠を追う叔父は 洋蘭のかたわらでレタスを毟り 戸籍を染める
補遺 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 867.8
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-11-28
コメント日時 2017-12-03
項目 | 全期間(2024/12/04現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
漢字、いっぱいよめなかったです。すいません。
0まあ、前回のSept Papillons 同様、 意味を追うと難解以外の何物でもないですね。 しかし、どこかに惹かれて何度も読んでしまう。 タイトルが〈補遺〉だから、最初はガルシア・マルケスあたりへのオマージュ作品かとも思いましたが、〈注連繩〉が出てくるのでは違う気がする。 でも、誰かの作品か、実人生へのオマージュ感はぬぐえない。(金子光晴のマレー南印紀行?) >Phallophilia 《精神医学》巨根性愛 こうなると光晴でもなさそう。 >はながみを啜る首だ はながみを啜る〈音〉だと思ったら〈首〉だって。 思わず二条河原のさらし首を連想してしまう。 終聯だけが見事な五七! 意図的かどうかは分かりませんが、補遺は案外きっちりした性格が 出ている作品なのかも知れない。 きっとご自身の人生への〈補遺〉なのでしょう。(前言撤回) 〈膠〉・・・〈蓼〉食う虫も好き好きで、私はこの作品好きだ、で締めようと思っていたら、なんと蓼(たで)でななく、膠(にかわ)ではありませぬか!膠食ってもうまくないと思うけどなー。 ってことで、頭が膠着状態のまま終わります。
0マレー南印紀行はマレー蘭印紀行 間違い。 当たってないから、関係ないけどw
0はじめまして宜しくお願いします はじめて見る漢字が多くあり難儀しました それゆえに折角の詩の情景思い描こうにも浮かばず ただただ当方の不勉強さを嘆くばかりです 出だしからこのようなコメントしか差し上げられず大変失礼しました。
0露台、という言葉(というより文字)で思い出すのは、ぎっしり文字の詰まった、茶色く縁が日に焼けた、岩波文庫などの一頁、でした。そのイメージの向こうに、うっすらとバルコニーが見え、どこか遠い夢の国の、緑の芝生が広がり、そこにパラソルをさして、ドレスをまとった婦人たちが散策している。はるか昔に夢見た、外国のイメージ。 〈南国産の果樹が数本〉このあたりから、イギリスやフランスの庭園のイメージが、インドシナなどコロニアルのイメージにスライドし、指、そしてあめふらし、という言葉から、紫の汁のしたたる生っぽい塊が脳裏に浮かび、すぐにその塊を黒く海鼠のように干からびさせていく日差しの日照りの強さが、南国の木々のイメージと共に迫って来る。 コメント欄で多かった、難しい漢字とは、たとえば「艸龜」でしょうか。旧漢字?になるのかな、クサガメですよね。 露台、もそうですが、昔の文庫本などでは、台所の台が「臺」になっていたり、芸術が藝、会は會、と、やたらに画数が多かったりする。そして、その「もぞもぞする感じ」が、妙に心地よかったりした、ものですが・・・昭和初期の古本とか、読む人も少なくなっているのかもしれません。 読んでいて、ぞわぞわっと来り、もぞもぞ、と来る感じ・・・躑躅とか、蟷螂とか、そのたぐい、ですね・・・掲示板の文字スタイルにもよるのでしょうけれど、このあたりのざらつき感とか、読んだぞ、という心地よさのようなものは、なかなか伝えるのが難しいのですが(なんか、わかるなあ、みたいな言い方しかできないけれど) 蝶になり切って書いた詩の中で、蟻に噛まれて蟻酸を首に注入される、みたいなシーンを想像して書いたことがあるのですが、蟻酸がたつ、と記されると、霧がたつ、というような動詞のイメージが呼び込まれ、四隅から黒々と魔術的な瘴気が立ち昇るような、不穏さを感じるのが面白かったです。 能管、いわゆる横笛でよいのでしょうか。音の響きが納棺、脳幹と重なるのが面白い。 きいろ、から、こあきない、の「き」にイメージがつながるのか、どうか、この連は、私にはうまくつかめませんでしたが、次の鶏小屋が出て来る連、注連縄の「しめ」のイメージと縄のイメージが重なって、首を絞められる鶏のイメージが浮かびました。 鶏の連想が浮んだせいか、〈やがてはずれる身〉の部分、なんとなく骨から肉がほろりとはずれる、そんな鍋物のイメージが浮かんだりもしました。はずれる、とは、一族から外れる、のが本来の読み方なのでしょうけれど。 身、から「みず飴」が引き出されたのか。みず飴から連想するのは、子育て幽霊の話。これもまた、かなりはずれた読み方になってしまうのかも。膠を食う、とは・・・ゼラチン?〈畠鼠を追う〉なぜか「叔父」が猫やフクロウといった、人間以外のもの、にも思われて来るのですが・・・ 鶏、のイメージが、私の中ではまだ続いていて、レタスを毟る、この文字が、羽を毟る、というイメージにスライドし、戸籍を染める、の「染める」の文字が、真っ赤に色づいているように感じられた、のではありますが。 洋蘭、という音からは、むしろ揺籃、を思い出すのだけれども・・・洋蘭は漢字なのに、レタスは萵苣、ではないのだなあ、と思ったり・・・let us という響きでもあるなあ(レタスを半分に切ったものを、塩だけで食べるサラダを、レタスウィザウトドレッシング、と呼ぶ、と聞いたことがあって・・・以来、レタス、のイメージは、ヌードにエプロン、みたいなイメージと結びついている部分もあります)と思ったり・・・そんな感じで、脱線しながら読みました。 意味、としては、いまひとつよくわからない。線路、用水路、追憶、と・・・ノスタルジーや幼年期を彷彿とさせる単語や、運ぶもの、運ばれるもの、といった意味合いが文字の上から重なって来るようには思うのですが。 題名に影響されているかもしれませんが、大きな物語への「補遺」として綴られた、イメージの断片の集積のような印象も受けました。
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