作品投稿掲示板 - B-REVIEW

まりにゃん


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2017-12-09

補遺

2017-11-28

Sept Papillons

2017-09-27

道へ

2017-09-01

 テクストについてはテクスト自体が語るだけの説得力を持たなければ意味がない、という立場なので、解題することは避けてきましたが、いくつか種明かしをしておきますと、タイトルはカイヤ・サーリアホというフィンランド出身の作曲家が書いたチェロ独奏のための組曲に基づきます。短い7つの楽章からなる作品です。蝶の、いっけん無思索とも至極自由だともおもわれる飛行曲線を辿るようなチェロの旋律(といって現代曲はみなそのようにおぼつかない歌えないメロディーばかりですが)が印象的な楽曲で、けれども蝶の飛び方はさまざまな条件に左右されてもいます。空気の流れや敵の有無、花のありかや他の個体がどこにいるか、であるとか。イメージが定着されるよりまえに容易にひるがえってまったく別のそれへと反転しつづけてしまうような光景、それを目指したといえばそうですし、そもそもわたしがなにかを書くときには、それが散文ではない限り、あるひとつのイメージにこだわる、描出したり、その主題をもとに感情を吐露させたり、ということはほとんどしません。詩は散文とは違って、絵画や音楽のようにして読むものであって、読解するものではない、と考えます。もはや詩は喩ではない。  さらに、わたしが育った環境は、文学とも音楽ともまったく無縁でしたが、わたしはそれを深く愛しています。「一般読者」という、架空の、存在しない多数の読者に届くかどうか、という発想は現実的ではない、と考えています。というのは、現代音楽も、あるいは「現代」とつくジャンルがみなそうですが、一見、とっつきにくそうな雰囲気ではあっても、しっかりそれとむきあえば、その味も感じとることは可能ですし、多数の読者にとって理解しやすいかどうか、に重点をおいてしまっては、表現に足枷を課すことになってしまいます。詩は読解するものではない、と書いておきながら矛盾するようですが、読解不可能、ということはありえない。たとえひとりだけであったとしても、その作品を味わい、または理解し、共鳴してくれるひとはいるはずです。それが「いつ」か、「どこ」かはたいせつではない。詩は、多くの読書家にとっても「難解だ」とおもわれてしまっているようですが、ほんとうにそうでしょうか。いつかそれぞれの読み手にとって、いってみればピンとくるような状況も訪れるのではないでしょうか。おなじように、多くの詩の読者にとって「難解」なものでも、もしかしたらそうではないことも起こりうるかもしれません。その可能性を棄却してはいけない、そう考えます。 (Sept Papillons)

2017-10-12

とても好ましいスケッチだとはおもうのですが、技術的な面でいくつか残念なところがあります。2行目と4行目、ともに終わりが「なく」ですね。さらに5行目と6行目は「し」で終わり、10行目と14行目は「ながら」、12行目と15行目は「する」で終わります。イメージが重複するのもどこかわずらわしげで、短い作品のなかで「白い」と3回出現するのはしつこいかな。全体的にワードの変換機能に頼りすぎのようにも見えます。17行中、16行目をのぞいて、行頭がすべて漢字なのは重々しいです。「飛英」とは、造語でしょうか。 (No title)

2017-10-02

とおもったけどぜんぜん違うかもしれない……。 (詩論:再び偽りに終わったとしても)

2017-09-28

kaz.さんへの返信ですよね。 (詩論:再び偽りに終わったとしても)

2017-09-28

まりもさま コメントありがとうございます。 わたしはまだ生まれてひと月半しか経ってはいないその子にあったことはないのですが……、こう書くと陳腐きわまりないかもしれないけれども、自然の摂理というか、秩序というか、そういう時空間のなかでくりかえされる営みというものの、それなりには多様でまぶしげなひとつひとつにおもいをはせて、とでもいいましょうか、きっとその子や友人夫婦も、その大きくあたたかで謎の多い世界を旅しつづけるのでしょう。おなじ世界に住んでいるわけだけれども、きっとわたしとは違うものを見たり、聴いたりするはずです。わたしはそのことにことさら驚喜するのです。 (道へ)

2017-09-05

「狂っていては詩なんか書けない」と語ったのは小笠原鳥類ですが、このテクストで現出させようと試みられたのであろう「狂気」というのはしょせん見せかけなので、結局はそれを書こうとしたもののあさはかな企みが透けて見えてきてしまうだけなのですし、こちらとしては、わざわざそんなものをくみとってやろうなどとは少しもおもわないわけですが、こうした書記法、というか表記法を選択した必然性がまったく感じられないのはたいへん無様な失敗とでもいうべきか、タイポグラフィックな書法をもちいることでことばの抽斗のなさや乏しさを誤魔化そうとしても、そんなものは誰にだってお見通しなのです。 (門)

2017-09-05

5or6さま、survofさま ご感想、ありがとうございます。 こういう書きかたがうけいれていただけるのかどうか、不安でした。だからとてもうれしいです。自分だけ作風がちょっと頭でっかちなのじゃないか、と憂鬱になったりもしますが……。 (道へ)

2017-09-02

本文25字揃えなのですが、パソコンのブラウザでみると崩れちゃいますね……。ちょっと残念。 (道へ)

2017-09-02

花緒さま ご返信ありがとうございます。 この夏、ともだちにこどもが産まれました。子育てはたいへんかもしれないけれど、それだけ意義のある仕事ですし、生まれたばかりのその子もきっと、いろいろなよろこびや悲しみ、怒りなどを感じていくのでしょう。それでも世界はとてもあざやかです。さまざまな光景と出会いつつ、おとなになっていくのだとおもいます。そんな彼らに捧げる詩を書きました。 括弧内の詩句は引用です。身近な自然や人工物とふれあいながら、一歩ずつ、はてしない地平をきりひらいていくだろう。彼らの住む土地には、狸がいるだろうな、と、ふとおもったのでした。 これからもよろしくお願いします。 (道へ)

2017-09-02