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直観
青い作業服を着るわたしは 子どもの頃 鉄のにおいが苦手だった 鉄が暴力そのものであることを悟っていた 素手で鉄棒にぶら下がると 手のひら全体にこびりつく 金属の質感を恐れた 鉄工所の作業台にすわり アーク溶接の激烈な閃光を受ける AMラジオから ピアノの演奏が聞こえる午後 太い鉄骨にふれる 単純な造形は見慣れていて 包丁のような危うさはない いつしか鉄はわたしの友人のようになった わたしが損得でものごとを考える まともな人になったからだろう 現実を見つめた選択だ 必要だから使われるのだろう それでも 鉄を好きだと言うことは いつわりだと感じている
直観 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 845.9
お気に入り数: 1
投票数 : 1
ポイント数 : 8
作成日時 2022-10-01
コメント日時 2022-10-25
項目 | 全期間(2024/11/22現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 4 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 2 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 2 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 8 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 4 | 4 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 2 | 2 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 2 | 2 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 8 | 8 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
鉄を好きだということは偽りだと書いてあるが、まぁそんな感じはする。 『クラッシュ』や『TITAN』なんか観てると、鉄を好きというより、鉄に乗っ取られていると言った方が適切であろう。 >ピアノの演奏が聞こえる午後 こういう何気ない一文があると、角張った内容の箸休めとなって読み手はありがたい。
0嫌いだったものに触れていく度に友人のようになっていく感覚は日常でもよくあります。でも、好きか嫌いかと言われれば、好きではない。生理的にダメということもあるし、でも、損得を考えると、仲良くなったふりなどをしながら生きている。 一番避けたいのは、「好きになった」と錯覚してしまうことだと思う。「いつわり」であることの冷静さを失いたくない。
0私も工場で働いている身として、体で分かる感覚がした。具体的にどこがどうと語らずとも、私も工場で働いている、それだけで伝わるだろう。ちなみに自動車関連の工場である。人間は慣れる動物である、と言ったのはロシアの文豪だったが、私も当初は金属アレルギーっぽくてオイルに塗れた金属部品を触り続ける中で蕁麻疹が出てしまった。今では何とも無くなった。鉄棒で逆上がりの練習をしていたあの頃を思い出した。確かに手のひらにくい込んだ鉄の嫌な匂いがしたのを思い出した。この詩を読んで、私は暫くの間、思い出の中を泳いでいた。お酒の力もあったのかもしれない。過去と現在の対比、成長という名の変化(適応)だな。私はよく空想を描くので、等身大の、地に足のついた作品を読むと安心する。と言いつつも、工場での仕事には辟易していて、コロナ禍の悪影響には苦しめられている。もしもこの作品が、全て想像の産物で、全て虚構なら驚きだ。しかし、そんなことは気にしなくてもいいのだろう。見ることとは何だろうか。私は、この作品の中に一人の人間を見た。この作品は人間だったし、血の通う人間が書いた作品だった。何も察する必要がない、ただ読んでいれば、一人の人間が目の前に立ち現れてくるのである。それだって私の想像でしかないのだが。3分かけて読んだ、3分で立体的に現れた人間の姿に、私は私の姿を重ねたのかもしれない。金属に囲まれた自分の姿、そしてどこかに漂う喪失感はもしかしたら自分の感情かもしれない。人間らしい作品だった。
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