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〈安閑夜話〉 血走りの風
〈安閑夜話〉 血走りの風 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1917.4
お気に入り数: 0
投票数 : 3
ポイント数 : 6
作成日時 2022-06-09
コメント日時 2022-07-08
項目 | 全期間(2024/12/22現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 3 | 3 |
エンタメ | 1 | 1 |
技巧 | 2 | 2 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 6 | 6 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 3 | 3 |
エンタメ | 1 | 1 |
技巧 | 2 | 2 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 6 | 6 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
映像詩を差し込む手法新鮮ですね。語らない部分に風穴を開けるというか。
0映像というか写真。正式には何というのかよく分かりませんが。
0この詩を読んで、私はトイレに行きたいということに気がついた。実生活に、良い影響を与える作品は健全である。すこぶるけんぜんだ。
0凄くいいんです。好きです。 だがしかし!申し訳ない。妙な時代臭を感じてしまう。学生運動盛んだった頃のような、そういう時代の匂いをこの詩から感じてしまう。現代とリンクする詩が必ずしもいいとは限りませんが夜道さんの何かがアップデートされた詩を読んでみたい、と思いました。極々個人的な要望ですみません。
0お目通しいただけまして ありがとうございます。 お返事に遅れてしまいましたこと ご容赦くださいませ。 紅茶猫 さま 詩文に余計なモノをくっつけるのは 堕落だ逃避だといつまでも言われ続けますが むしろ詩は美術や音楽や演劇と不可分のものだと 再認知してもらうことを模索して 美術展などでも 「詩と造形の交流や連帯」を掲げる 展示などが増えて来ているようです。 連作的にも、あるいは画像のみのものも 過去作に並んでおりますので ご覧いただけましたら幸いであります。 室町礼 さま ── そういう現代の状況があっても 人々は黙って何事もなかったように歩いている。 その欺瞞とウソで糊塗された現代という 時代の壁の亀裂からにじみ出てきた ほんとうの声のように聞こえました ── かようにお言葉いただけましたように 現在の世界の日本における政治状況は 昭和生まれの者には チェルノブイリも天安門事件も ソ連崩壊も湾岸戦争も911も 何か筋書きのある展開を思わせる ちっぽけな出来事に見えるほど 「絶望」の工場は大稼働し 倉庫には「絶望」が山と積まれるばかりです。 幸か不幸か 戦争をしていた日が 遠くになりはてた今 「まるであの戦中の翼賛社会の再来だ…」と 暗澹に絶望し消沈する世情ならば 戦争をしていた「あの日々」に立ち返り 草むした廃道になっていた あのむかし来た道を歩き 何が見えるかを確かめねばなりません。 天皇礼賛、戦争賛美 戦意高揚の凶状持ちとなった あの高村光太郎による悪名高い詩集 『大いなる日に』をひもときます。 序にある一文、 「ただこの大いなる日に生まれくる身の 衷情と感激とを伝えたいと思うばかりである」 とありますように 全編において氏の同胞への祖先への 軍への日本国土への天皇へ賛歌の声高く 東亜の末っ子日本を自認しながら そのアジアを西欧から自由にしようという 希望と大願に燃えているのです。 諦めと自堕落にまみれる消沈の日々よりも 健全であれ不健全であれ 「希望に燃える」氏の荘重にして意気軒昂な 詩文のリズムは軍楽隊の行進のように ある種の爽快と正の感情をもたらします。 幾度も幾度も、この身を捧げよ捧げよと 連呼されるうちにまんざら 悔いもなさそうだと思えてしまうほどです。 特に『鮮明な冬』という一編が傑出しており 当時の社会状況からこの詩に扇情させられる者の 多かりし心境まではかりしれるような 凱歌でした。革命へのスローガンでした。 まさか大敗するとは思えないほどの。 過日の苦い記憶の遺物として 美術館では戦争画を特集したり 会田誠の諧謔と批判精神が混交した 「戦争画RETURNS」シリーズを表したりなどの 戦争体験へのアプローチはありますが 「戦争賛美詩」「戦意高揚詩」を かえりみる機会があっていいはずです。 過去の悪業の醜く異臭放つ汚物としてではなく 多くの賛同と連帯を生んだ詩を 今だからこそ読むべきだと思うのです。 すっかり光太郎にあてられて 「老若男女みな兵なり!」と高ぶる心のまま 戦地ウクライナへ、神の国なる日本からの 戦意高揚の詩を献じようと書き始めましたが 何より大義も国力も負け衰えた後の日本人ゆえ 最後は神経障害のからか老化からか 急に手足ひざが震えが起こり力も定まらない 衰えた肉体の我が身をを突きつけられ怖気づき 私以外の『君らに興う(君らを奮い立たせる)』 と光太郎が詠んだように 自分は戦わず、若い君らにおっかぶせる愚行に 走ってしまった恥ずべき心情を 追体験できてしまった詩の体験は 得がたいものとなりました。 このほど堅固な守旧とみだらな悪状にまみれた 政権与党を抱きながら 市井の弱き民衆や良心的メディアが このほど現代社会の緊急を告げるも 無学な貧農でもあるまいに なぜ茹でガエルのように 国民は逃げようともしないのでしょうか。 警告に見て見ぬ振りをするのでしょうか。 その「警鐘」が十年一日どころか四十年一日の 同じメロディ同じ音量、同じ歌詞だから それもあるのではないでしょうか。 同詩集に『君等に興う』という作があり その末尾に恐ろしい言葉が並びます。 時が来たのだ 歴史の歩みかたはのっぴきならぬ われら一人のこらず死ぬ気でいる 死んで生きる道をとるばかりだ ──昭和十四年七月十三日── ただ悲痛な叫びを批判としてとなえ続け 正しさを正しさのまま受け入れられないことに 絶望に暮れるのことはありません。 ほめるのです、讃えるのです かつぎあげるのです、高揚させるのです。 「老若男女みな兵なり! 大敵の非をさとるにいたるまで われらは戦う! 決然としていさぎよく 淡々として死に また生きる!」 このような詩文がスローガンを 巷間に流布させる逆説的な手法を持ってして 初めて民衆の目は覚めることでしょう。 正義もへったくれもない 根源的な声で叫ぶでしょう。 「死にたくないいいいい!」 柳煙 さま 誰かが掲げる「健全」はつねに疑いと 検証する心を持つべきですよね。 今の世の中で「健全」だと称揚されるものも クソの価値すらなくなってしまう未来を 感じながら。 stereotype2085 さま 上記しましたような発端から このような古びたものとなっておりますこと ご容赦くださいませ。 古臭いは新しいのか? 新しいはその瞬間から古臭いのか? アップデートとは 誰が何を目的に書いたコードなのか? いろいろおぼろげに考えてみますと 新しいを知るにはそもそも「古い」を知らないと 何が「新しい」かすらわからない! じゃあ過去をたどって全部読むの見るの? メンドクセ…となっているところであります。 思いまするに 毎月の B-REVIEW お題詩 のテーマに 「戦争賛歌」「戦意高揚」などいかがでしょうね。 とんでもない最たる悪を詠む論じるなど言語道断 といままででしたら忌避されたことでしょうが 平和をとなえ続けても功徳のない念仏のように 人心に訴えかけなくなった時にこそ このテーマで悪意を持ってして 戦場へ駆り立て、銃後に耐えさせ 死んで生きろ!と死逆の境地を想う時 初めて平和を直感し その稀少な時間を 人は求めるのではないでしょうか。 AB さま バラバラの断片としてみても 弱き「風」となった水気が ツユを結んでくれましたら 幸いです。 ありがとうございました。
0血走りの風は 今日の吹き抜けたぞ 大和の地に あまねく国土のすみずみに 弾丸の秒速に向かい針路をとり 君らはその風を見よ その風を撃て その風を煥発せよ 君らはあの風に駈けつけろ
0斬新な試みですね、写真と詩。駅の構内やテーブルの下、トラック、割れた卵にテレワーク?でしょうか、多彩なイメージがこの詩から湧きました。
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