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crazy unicorn
岩手の 真夜中は暗く深く(叫び出したい) 都会の光は儚く凌駕されて ただ埋め尽くす闇と水音(疲れてる) 惨憺たる綱渡り を する 足裏は 鳥籠の中のルチノー・セキセイ? yeah(yeah!) その都度呼吸が止まりかける 君の手癖が好き(乱暴と繊細でイかれてる) と何度も思う 伝わら無いね 酷く(酷く) 何度もかましてしまう きつい じょーく いつもの(ねぇ、もう、飽きたの?) 風が冷えて来た 、 葉擦れと川の音(その儚い壮大さを描写することがまだ出来無い) 聴覚を支配する繊細と単調に 身を任せては目玉は失せて 闇に溶けて(溶け続けて) 自由になる (自由?) から たまに このまま 闇に溶けたい(不可触の触感) 存在は面倒臭い存在が(まじで) 惹きつけられるままに 君の文字列を追って 落下では無く 羽撃きでさえ無く 裸に成って (俺を ちゃんと 見て) 存在を放棄するみたいに抱きとめながら (うっざい死 うっざい生 うっざい性 可哀想な死 可哀想な生 可哀想な性 うっざ 無数 冥い光の粒 可哀想?) また話したいなって 夜が来る度に また話したいなって 朝が来る度に 夜と闇に存在を溶けてしまいたい また 明日の朝に君と話すだろう せせらぎのようなその 川のような会話が長く続くだろう まだ終われ無い僕らの 証明めいた その 歪に研磨された まるで存在みたいな 証明として( 証 明 ? ) きっと岩手の 無数の木々の葉の上に 涙めいた朝露が煌めく(そんな朝) 葉を 揺らして 声を 聴かせて 君の声が好きだ 無数の木々の葉の上に 涙めいた朝露が煌めいて 眠りから覚めて(不意に) 君の声が好きだ ここに居る 抱きしめて (火に触れる、みたいに) 眠りから覚めたら 絶望を超えて遊びに行こう
crazy unicorn ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1864.4
お気に入り数: 1
投票数 : 2
ポイント数 : 25
作成日時 2022-04-25
コメント日時 2022-05-31
項目 | 全期間(2024/12/04現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 7 | 7 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 5 | 5 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 7 | 7 |
音韻 | 1 | 1 |
構成 | 5 | 5 |
総合ポイント | 25 | 25 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 3.5 | 3.5 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 2.5 | 2.5 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 3.5 | 3.5 |
音韻 | 0.5 | 0.5 |
構成 | 2.5 | 2.5 |
総合 | 12.5 | 12.5 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
岩手という故郷を持っていらっしゃるのかなと思います。故郷とは、 一度そこから出て、遠きにありて思うことがなければ故郷にならない のですが、都会の描写がある事から、遠くから思ったことが、 おありになると判断します。そして、坂口安吾『ふるさとに寄する讃歌』 では、ふるさとは初恋の人の印象と一体になったということが述べられて いるのですが、僕自身も故郷から出て、また故郷にいます。 人への語りかけの詩であるこの作品も、また故郷と人がどう存在する のかといったことを描いている気がします。夜の印象の中で、 朝を待つ希望に世界と人を置くことで、きらびやかな詩句として、 華やかな印象を受け、素晴らしいと思いました。
010代の脆い心のようなものだと思いました
0君の声が好きだ、のリフレインが、滲み出る絶望感と相まって不安定に映る。 好きだけで生きていける程には強くないし、 かといって自分を、絶望を否定することもできない。 その矛盾した感情をどう描くかなのかもしれません。 彼女と一緒になることを望むのは、いつかの未来なんでしょうが、 この詩を書いたことが作者自身の救いなのかもしれないですね。 誰かや何かを好きだと書けることは幸せだと思います。
0お読みくださり、有難うございます。忙しく、お返事が遅くなってしまい、申し訳ありません(匿名期間も終わってしまった…) 「読めて幸せ」と仰っていただけたこと、とても嬉しく、有難く思います。新たな発見や深み、に関しては、私は突発的に詩を書くことが多いのですが、この詩に関しては、いつにも増して突発度が高く、半ば頭沸いてる?位の感じで書いたので。。。もう自分自身の生を取り敢えずぶつけてみた!後はどうにでもなれ!位の感じだったので。深み、あるかどうか。。。でも、自分自身やその状況をぶつけた作品をそのように受け取っていただけるのは、とても嬉しいです。有難うございます。 親の趣味で実際に岩手に居た時、真夜中の自然を感じながら書きました。岩手の山の中に居たので、やはり、自然の気配が圧倒的なのですよね。夜中でも、夜行性の鳥(虎鶫とか)の声や、鹿の鳴き声、葉擦れの音、水音等が闇の中から響き。星も綺麗で。宮沢賢治も居るし、文学の聖地判ります。それを支えて居たのは、こうした自然環境なのかなぁ、とも思わされました。私は元々岩手に限らず自然が好きなので、それらにふぉーかすして書いてみました(でも、街も都会も結構好きなんですが)たまに、そうした自然の強い環境を、怖いと表現される方を見かけるのですが、私は、自然の圧倒的な気配を感じると、安心する、そこに身を委ねてしまいたい、と感じるたいぷで。そうした感じも少し入れてみました。そこに、若さ、も、恋心、も、自分をぶん投げてみました(私はもうあまり若く無いですがw)最後の言葉は結構ちーぷではあるのですが、気に入ってるので、好意的に受け取っていただけて嬉しいです。自然の懐にちょっと甘えてみた作品なのかも。 ちょと長くなりました。真昼さんとは、前にこめ欄でやり合ったことがあると記憶してるので。そうした方からのお言葉は、ある意味でとても正直なものである気がして、嬉しかったです。有難うございます。 感想・ご批評くださり、有難うございました。
1お読みくださり、有難うございます。お返事が遅くなってしまい、申し訳ありません。 岩手は私の故郷では無いのです(白犬は茨城産)ただ、縁があり、何度も訪れて居ます。場所にもよるのでしょうが、自然のあり方が茨城とは違って居るなと。東北好きです。私はTOKIO等にも良く行くのですが、それとももちろん全く違う(ただ、都会の、世界を埋め尽くして行く人工物の圧倒感と、自然の圧倒感は、少しだけ似て居る気もする、どちらも人を超えた巨大さというか)茨城ですが、TOKIOに住んでた時期もあり、私も出戻り組です。離れて居た時も、住んで居る時も、故郷を意識したことは正直あまり無いのですが、やはり自分の原風景はここであり、基礎が作られた場所だ、と思うことはわりとあります。昔、自分にとって地元は地獄でしたが、今はわりと穏やかに暮らせるようになったなと、こめをいただいて思いました。跳ねっ返りの私も、故郷の土地は受け入れてくれてるのでしょう。正直に言うと地元の社会のようなものにはまだあまり馴染めませんが、岩手とも違うささやかな自然はとても好きで、私のほんと原風景です。安吾の「ふるさとは初恋の人の印象と一体になった」という感覚、凄い興味深いです。自分には全く無い感覚に思えて、えええ!?とびっくりしたけど、いや、良く考えると判る、頷ける気もする。。。面白い。「ふるさとに寄する讃歌」是非、探して読んでみたいです。有難うございます。 >故郷と人がどう存在するのか あまり考えて居なかったのですが、なるほど。。。もしかしたら、「君」を得たことで、自分を取り囲む他者(故郷)への肯定に向かうことが出来るようになったのかも。 >夜の印象の中で、朝を待つ希望に世界と人を置くことで、きらびやかな詩句として このように受け取っていただけてとても嬉しい。自分の目指したものの1つである気がします。 故郷は自分の想定していたキィでは無かったのですが、黒髪さんが持ってこられたことで、色々考えることが出来ました。有難うです。 感想・ご批評くださり、有難うございました。
1お読みくださり、有難うございます。 10代の脆い心かー。実際は、「硝子のはーとを持つ30代おばちゃん」が正解ですw年齢によって人を分けることにどれだけ意味があるか、また、若さを持つ方が読めば読み取る範囲は自然その方の若さに応じた範囲になるのでは、ということ等考えましたが。まぁ、わりと幼稚なおばちゃんなのは確かwし、わざわざ大人の振りをしたいとも思いませんねー。少なくとも今は。 感想・ご批評くださり、有難うございました。
0お返事が遅くなってしまい、申し訳ありません。書き忘れみす!ごめんYO。
0お読みくださり、有難うございます。お返事が遅くなってしまい、申し訳ありません。 絶望感、滲んでましたか。私はわりと、せめて詩の中ではぽじてぃぶに持って行こう、というまいんどで書いてて、暗い内容であっても絶望で終わらせ無いようにはしてるつもりだったので、少し意外な感想でした(ちな、そうしたぽじてぃぶに持って行こうという書き方が、若干紋切り型のちーぷさに繋がって居る、自分の弱点かなとも思う)好き、だけで生きていける、と信じてしまう位には、私はまだ愚かかもしれません。別に恋愛に限らず。好きと嫌い、結構表裏一体というか、表と裏だな、という気がします。自分という存在の絶望に対する足掻きとして、私は何かを、誰かを好きになって来たのかも、違うかも…?でも、自分が歪で絶望的で無かったら、祝福される瞬間も無かったかもしれ無いし、これは多かれ少なかれみんなそうでは無いかな、と考えたりもします。まぁ、なんだかんだ、あれやこれやと、矛盾は付きものなので、そこは確かに、描きどころですね。。。!うん。 >彼女と一緒になることを望む つまり、これがへてろな恋愛なら、語り手は男性と読んだ、ということでしょうか。俺、や、僕という1人称が入るからかな。(俺を ちゃんと 見て)という言葉は、私が恋人に言われた言葉で、凄い言葉だなと印象に残ったので入れました。自分をちゃんと見て欲しい、なんて、私にはどんな場面であっても中々言えない。ぱわーわーどでした。。。だからその返答として、私は精一杯のぽじてぃぶを書いたつもりで、そんなに暗い、絶望的な詩のつもりはありませんでした。むしろ私の詩の中ではかなり前向きな部類じゃね?と。。。 >この詩を書いたことが作者自身の救いなのかもしれないですね。 これはまさにその通り、私は詩を書くことで自分を救おうとしてる節があるなと思いました。成功してるかは…www >誰かや何かを好きだと書けることは幸せだと思います。 本当にそうですね。。。大事にして行きたいです。気付かされる言葉を、有難うございます。 感想・ご批評くださり、有難うございました。
0作品褒めていただき、有難うございます///私の見た限りの真昼さんの言葉からすると、むしろ私より、「人間」に対する熱いもの持ってらっしゃる方なんかな、という感じがしましたが。私は「人間」とか滅んで良くねwって普通に思っちゃうたいぷなので。ただ、熱いも冷たいも区別しがたい、殆ど根源は同じ物であるような気もします。敢えて言うなら、私はぱっしょんを注げるような相手や言葉に巡り会えたことに感謝ですが。個人的には、強い思いを冷静に書くと、氷の剣のような、鋭いものになるんじゃ無いかなぁ、と思うのですが。お茶を濁したようなぽえむになってしまうとしたら、違う部分に問題があるのでは、と。自分を曝け出すことへの恐怖や嫌悪とか。そうしたことと向き合って思考を深めて行くと、詩にも深みが生まれて来るんじゃ無いかなぁと思いました。決して言葉のせんすが無い方では無いと思うので。真昼さんのこと、良く知らないのに、勝手な推測で、お節介?なこと言って、すみません。ここ(びれびゅ)に今書き込みをされてると言うことは、やっぱり、詩が好きなんじゃ無いかなぁ、と思うので。まぁ、好き、の表し方も色々ですよね。濃いものであったり、鋭いものであったり、ふわふわしたものであったり、淡いものであったり。それは人それぞれで、押しつけるものでは無いですよね。すみません。。。 再びのこめんと、有難うございました。
1存在を放棄するみたいに抱きとめながら (うっざい死 うっざい生 うっざい性 可哀想な死 可哀想な生 可哀想な性 うっざ 無数 冥い光の粒 可哀想?) この二行に立ち止まりました。カギ括弧の中が心の声の様で、客観的な描写のカギ括弧もあるのですが、心の襞が感じられると思いました。
0お読みくださり、有難うございます。お返事が遅くなってしまい、申し訳ありません。 やっとえいくぴあさんへのお返事出来たー!何度か、こめんとをいただいておきながら返せ無いことが続いてしまったので。やっと返せて、良かった。。。いつも有難うございます。 >カギ括弧の中が心の声の様で なるほど。そうですね。私は地の文で客観、括弧で主観、という風に使い分けられる程の技術がまだある訳でも無く、全体を通して心の声の垂れ流し、れべるの詩文ではあるのですが。確かに、この括弧内は特に心の声っぽさがあるかも。私にとっては、他者との関係はうざいものであることが殆どで、それは相手の側からしてもそうだろうな、とも思うのですが。生きものって基本的にえごいすてぃっくだから、まぁしゃーないよね、と思いつつも、そうした軋轢に屈して、大事なものを見失いたくは無い、とは考えて居て。だから、自分なりにぎりぎりまで譲歩はしてるつもりで。他者を簡単に跳ね除けたり攻撃したくは無い、と考えてるのですが。根本が狭量なので、やっぱりどっかで「もう無理ー!」みたいになってしまうこともあって。そういうのが、存在そのものへの憎しみや嫌悪みたいになって現れてしまう瞬間があるなぁと。この1文も、そういう部分なのかなと思います。でも、直情的なものをそのまま文にしても詩としての芸が無いので、こうした文ももっと見直して行くべきかなとも思うのですが。でも、他者に優しくしたいという感情も、他者に対する憎悪や嫌悪も、どちらもほんとの私だと思うので。そうしたものを、「心の襞」と捉えて読んでいただけたのなら、とても有り難いです。色んな感情、湧きますよね。生きてると。襞襞に込め、ぶちまけて行きたいです。 感想・ご批評くださり、有難うございました。
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