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2006年
「しっ、しっ、しん…ん…」 刃物をもって震えている 人の形と、それの反対と、両方の恐怖で 「し、しねぇー!しね!し、し、」 ぎゃはは、は、面白 ほら、頑張れよ、 そんなんで、人、殺せるの? 死ぬ気は全然しないし、これはこれで、面白い映像かもしれないと思う。 おい!早く殺せよ! お前が殺すっていったべや、おい! 「……」 同情は昔から私を萎縮させるし 萎縮した私は卑怯だし残酷である 自分の苦痛を振り返って 世界にありうる苦痛にたいする責任 からの逃避を自覚する わけだ 宮沢賢治が生涯かけて春画を収集していたとか 排泄欲求とたたかって一晩中山のなかを歩いたとか、知るか 折口信夫が同性愛者だとか、三島由紀夫が、なんだっけ?南方熊楠が全裸で山の中に隠遁してたとか、太宰治が、女と死のうとして川に落ちて自分だけ這い上がって助かったのが二回くらいあったとか(なんだそれは)、そもそもなんで女と死ぬんだ?知るか、とにかく、知るか。 つまんねーよ、おい はーあ!帰んね? おい、言ったのお前だから!な! 今日、絶対殺せよ! ……………………… 「ねえ、これ」 「……うん」 …………………… 「あー、…寒くない?」 「……いや、別に…」
2006年 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1001.5
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 18
作成日時 2022-04-25
コメント日時 2022-05-03
項目 | 全期間(2024/11/22現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 10 | 10 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 8 | 8 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 18 | 18 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 5 | 5 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 4 | 4 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 9 | 9 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
読みものとして失敗作だと思う。なに言ってんのかわかんねぇーしわかんなきゃいけねぇのかよ!とすら思う。こんなもの書くのも読むのも時間の無駄じゃね?とも思うっすね。
0コメントありがとうございます。 「知るか」という言葉は私はあまり好きではないのですが、これは男子中学生の、言葉です。 私は男子中学生そのものが好きというわけではないのですが、男子中学生をかいた本が好きなので。
1コメント、ありがとうございます。 やはり、言葉が身勝手な形をしていたり、相手を無視した格好の形をしていたりすると、とんでもない怒りがわいてきますよね。
0一読して、よくわからなかったのですが、 >同情は昔から私を萎縮させるし 萎縮した私は卑怯だし残酷である >……………………… >「ねえ、これ」 >「……うん」 >…………………… >「あー、…寒くない?」 >「……いや、別に…」 この部分が個人的に好きで、何回か読んでみました。 多分自分の心の中での話なのかなと。自分の中の何に対して殺意を抱いているのか。答えは出ませんでしたが、やはり最後の、 >「あー、…寒くない?」 >「……いや、別に…」 ここがいいなぁと思いました。
コメント、ありがとうございます。 やはり、説明不足感というか言葉足らず感が否めません。 場所 公園の公衆トイレ(多目的トイレ) 登場人物 刃物を持った男子中学生→トイレに拘束した同級生を刺し殺そうとしている(流れで)。 殺されそうになっている同級生→拘束されている(濡らしたタオルとかベルトとかで) 殺すところを見物に来た男子中学生→トイレ入口に複数人でいる。二人を逃がさないようにドアの前に立っている。 ↑こちらは、おまけというか、参考資料というか、ご笑覧下さい。
0作者の状況描写があって、理解が深まった気がしますが、最後の部分は……ではなくて言葉を入れた方がより分かったと思います。
0これは全体図として眺め読みするべき作品なんですよね。眺め読みすべき作品ってビーレビには多数あるんですが、そこにあるだろうメッセージよりも、言葉による印象表現に感得を求めるわけで、いくつかの作家名をアイコンとして上手く置かれている本作に不足しているのは情念だろうと思う。情念は観念では宿らない。観念ではアイコン化止まりで、その作家を配置は出来ても人物の神格化は行われない。曼陀羅にまで昇華させて欲しかった一品。
0読んでいただきありがとうございます。 そうですね、もっと言葉があると状況がわかり易かったと思います。ありがとうございました。
0コメントありがとうございます。 ある状況下で情念が突然空虚な観念になってしまったり、観念が突如として情念の色彩を帯びる、という経験を私はしたことがあります。そういう場合困ったり戸惑ったりしてしまうのです。 極論ですが、作品の中で自分の根本の信仰を打ち棄ててしまうということが、彼ら作家らの行為の中で一番偉大なところだと思います。ですから、これは極論ですが、その態度をむかえうつ私もいつでも彼らを打ち棄ててしまっても良いのだと思っています。
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