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ぶーちゃんのたこ
※この作品は幼児期の体験をもとに書かれています。幼児期の部分だけ平仮名を多用しており、少し読みづらい所もあるかと思いますがご了承ください。 ようちえんで、うめぐみのせんせいが 「じぶんのえをかいてください」 といった みんなつくえのかみに どんどんかいていったけど わたしはじぶんのかおをよくおぼえていないので トイレにいってかがみでじぶんのかおをよくみた めはおおきくて、すこしさがってて おとうさんににて、すこしはなのあながおおきくて くちびるはぽってりしていた おへやにもどって、かがみのじぶんをよくおもいだしながら クレヨンでおおきくかいた うめぐみのおとうばんのひに そのえがこくばんにはられた わたしのおとうばんのひ わたしのえをみたおともだちが 「ぶーちゃんだ!ぶーちゃん!」 といってわらった どういうことかなぁとおもって おともだちのえをみると はなのあながかいてなかった めがぱっちりきらきらしていて かみにたくさんリボンがあって おひめさまのかっこうをしていた わたしはほんがあるへやにいって どうぶつのずかんをみた 「ぶた」のページをひらいて ぶたのはなのあなをみたけど わたしのはなのあなよりちいさかった どういうことだろうとおもいながらも こんなにみんなをわらわせる ぶたってすごいとおもった ようちえんですごしていると トイレにいきたいときにいけないことがあった それであるひ、おへやでうんちをしてしまった せんせいがいっしょうけんめい ズボンやパンツをあらってくれたけど 「うんちまんだ!うんちうんち!」 とおともだちがわらった せんせいがおうちにでんわして かえりにおかあさんがむかえにきてくれることになった おかあさんだとおもっていたら とおくから、おとうさんがみえた おとうさんがくるのははじめてだったので うれしくて 「おとうさん、うんちもらした」 っておおきなこえでいったら いつもはそんなにわらわないおとうさんが おおきなこえでわらっていた おとうさんをわらわせるうんちって すごいとおもった うめぐみではおともだちができなくて ひとりでえをかいたり、ほんをよんだりしていた 4がつになって、ゆりぐみになったころ おうちのにわに、たくさんのツツジがさいた たくさんのツツジからずっとはなれたところに ひとつだけさいているツツジがあったから いっしょにみていたおかあさんに 「おかあさん、このツツジわたしみたいだね」 といったら、おかあさんはないていた ないているおかあさんをみるのはかなしかった ゆりぐみではおともだちをつくろうとおもった おとうばんのえは、おともだちのえをすこしまねして わたしなりのおひめさまをかいた うんちはかならず、あさするようにきをつけたし いきたいときは、せんせいにちゃんといった ゆりぐみさいごのはるに 「たこあげたいかい」があった じぶんのえをたこにかいて おとうさんがとばしてくれることになった わたしはずっと、うそのえをかくのが ほんとうはいやだったから おとうさんにすこしはなした おとうさんは 「かきたいえをかきなさい。」 といった。 うめぐみのときより2さい おねえさんになっていたから すこしだけじょうずにかけた おとうさんゆずりのはなも きちんとかけた おとうさんはそのえを とてもほめてくれて とてもじょうずにたこをつくってくれた ひろいあきちで それぞれのたこがいっせいに おそらにあがった おとうさんは、たこのいとをだしたり まいたり、ひだりにみぎにと まほうつかいのようにうごかしていた ふわーーーっとしたかぜがふいたとき わたしのたこはあっというまに そらたかくあがって ほしのようなおおきさになった おともだちも、せんせいも 「すごいね!すごい」 とびっくりしていた わたしは、このひから わたしはわたしでいいんだとおもった 父は8年前に脳出血で左半身麻痺となり 高次脳機能障害と認知症も併発したため 1日のほとんどを自宅のベッドかソファで 過ごす日々が続いた 何か話しかけてもあまり反応しないので 私は正直どうしたらいいのかわからなかった 会いに行くのが辛かった ある日、父がぽつりと 「死にたい」 と言った 私は「そうだよね。辛いよね。」と いいながら、ふっとあの凧のことを思い出した 「お父さん、私が幼稚園の時の凧揚げ大会で お父さんが私の凧を一番高く上げてくれたの 覚えてる?」 と聞いた いつもはぼんやりとしていたり コクリと頷くだけの父が 私の目をまっすぐ見て 「覚えてる」 と言った 「私はね、あの日から自分らしく生きていこうって 思ったんだよ。お父さんが私に勇気をくれたんだよ。 ありがとう」 とゆっくり伝えた。 父はぼんやりとしていたが 私が父の手を握ると、強く握り返してくれた それから少し経った頃 自宅で転倒してしまい、再び脳出血を起こし寝たきりとなった 気管切開で痰をとらなければすぐに肺炎を起こしてしまうし 栄養は胃ろうで摂らなければならないため 自宅に帰ることは諦めてくださいと言われた 私は1つ気になってることがあり 主治医に聞いた 「父には、辛いとか、悲しい、とかいう 感情があるのでしょうか」 主治医は、少し間を置いてから 「残念ですが、お父さんの脳にはそのようなことを 感じる機能がもうありません」 そのことがせめてもの救いだった それでも 伝わるかどうかわからないけど 父に助けてもらったことは これからも父に「ありがとう」と伝えたい 私は眠っている父を見ながら 今どんな夢をみているのだろうと思った 何より、父がまだ、あの凧揚げ大会のことを覚えている時期に きちんと「ありがとう」と言えてよかった
ぶーちゃんのたこ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1680.0
お気に入り数: 2
投票数 : 1
ポイント数 : 7
作成日時 2022-04-13
コメント日時 2022-05-14
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 3 | 3 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 2 | 2 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 2 | 2 |
総合ポイント | 7 | 7 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 3 | 3 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 2 | 2 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 2 | 2 |
総合 | 7 | 7 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
「わたし」が、抵抗するものをひらがなとして柔らげる。 受け入れることの他に、受け止めて弾くことが赦し方としてあります。嫌がった「うんこ」が、難解な男性文、漢字にも見えるのです。
0ぼんやりとした情景、幼年期の情景が徐々に現実(今)へと近づいて意識が鮮明になっていく。幼年期のトラウマや葛藤が「お父さん」の凧揚げによってぬぐわれた過程が描かれていて、それが尚且つスムーズに現在の父娘関係へと結びついている。それだからか現在のお父さんの病状、お父さんへの娘の想いについて描かれた後半も、どこか夢を見ているようで淡く胸に残る。綺麗だなと思いました。綺麗だから触れるのにはばかられるとの印象さえ持ちました。 ですが以下返詩です。許してくださいね。 「母者」 たちばな君はいつも勉強のじゃまをした。 勉強がしたかった僕はたちばな君に文句を言った。 すると田中先生がものすごい勢いで怒って、 僕を何度も何度もなぐり倒した。 僕の顔は真っ赤にはれて、次の日には目が少ししか見えなくなった。 お母さんには何も言わなかった。 その日もお母さんは病気のにいにいを心配してたから。 僕はある日体が痺れて動かなくなった。 お母さんに救急車を呼んでと言っても お母さんは呼んでくれなかった。 救急隊員さんがそれは「過呼吸」だと言ってビニール袋をくれた。 お母さんは「救急車なんて呼ぶ必要ないわ」と言っていた。 僕はまだ体半分が痺れていたけど何も言わなかった。 母は病気の兄を治すために心霊療法を始めようとした。 俺は必死になって止めたし、何よりも母の妄信振りが 家庭全体に悪い影響を与えていたのではっきりと 「もう家族を巻き込むな!」とも怒鳴った。 その時も母は首を縦に振らなかった。 後のことは、よく覚えていない。 俺は26の時、病気になった。 ボロボロになって初めて母と色んな話をした。 兄と母のこと、間にいる俺のこと。 たくさん話をしてようやく、 俺は母も兄も、そして自分自身も許した。 母者は今日体がだるくて眠っている。 家事も片づけも俺がやるからゆっくり寝てなよ。 そう言うと母者は「ごめんなさいね」と笑った。 謝るのは俺の方だと、少しはにかんで 俺は母者の部屋の扉を閉めた。 まだ二人とも生きている。 それがとても幸せなことなんだと 今になって、噛みしめている。
0コメントありがとうございます。 >「わたし」が、抵抗するものをひらがなとして柔らげる。 ひらがなは不思議ですね。日本人でよかったと思いました。「わたし」が抵抗したのは、「おかあさんがないたこと」「うそのえをかくこと」だけで、それ以外はただ「そうなんだ」と不思議に思っていたという感じで書いたつもりでした。 しかし、てんま鱗個(揶白)さんのコメントを見ると、ほんとうは抵抗があったのかも?とも思います。覚えていないだけで。なぜなら、今現在心の底から他人を信用して生きていないからです。 >受け入れることの他に、受け止めて弾くことが赦し方としてあります。嫌がった「うんこ」が、難解な男性文、漢字にも見えるのです。 受け止めて弾く。初めて聞く赦し方でした。受け止めて流す、とはまた違うのでしょうか。弾くということはどこに弾かれるのでしょうね。 漢字=男性というイメージ、何となくわかります。 あ!「うんち」といって笑ったのは男の子でした!女の子は言ってません。これって不思議ですね。
1コメントありがとうございます。父との思い出の数は少ないですが、ひとつひとつ鮮明に心の中に残っています。色々トラブルもありましたが、そういうことは言葉にするほど心に残っていません。 返詩ありがとうございます。生きている人の数だけそれぞれ家族のストーリーがあり、その想いはご本人にしかわからないものだと思います。子どもは親に育てられるのはもちほん「初めて」ですが、親も子どもを育てるのは「はじめて」で、お互いその事を想い合えるとしあわせなのかなと思います。
0コメントありがとうございます。 >子供の残酷さ、その中で生きる、生きづらさを感じる「わたし」お母様の様な、ご対応を取られるのが一般的なのかなあ、と思うのですが、お父様がお強い方でらっしゃいますね。 私自身は当時、残酷と感じておらず、行きづらいとも思っておりませんでしたが、母が泣いた日から、辛いと感じておりました。 >「かきたいえをかきなさい。」というセリフ、そしてその絵で作った「たこ」が「おとうさん」の手で空高く昇っていくのです。 この言葉と、実際に高く上がったという事実、それを証明した父には本当に感謝しています。 >大人になってからのお話では、「父」が「凧揚げ大会」の事を「覚えている」と答えたというところが印象的でした。お父様にとっても大切な(娘の大きなきっかけになった事もお気づきでらしたのではないかと拝察したのですが)思い出でらしたのでしょう。 このコメントで泣いてしまいました。父はいつも仕事のことで頭が一杯という印象で、凧揚げ大会は覚えていないと思っていましたが、私が小さな頃から今までずっと想ってくれていたんだと思います。 >大人になってからのお話も救われる終わられ方で締めくくられているのが、印象的です。 生きていると、嫌なことが遥かに多いですが、この詩で綴られたことは、貴重な良い思い出です。主治医の先生は「父にはもう感情はない」と言っていたけれど、生きている限りどう感じているかは父にしかわかりません。亡くなった後に伝えても、100%伝わりませんので、月1のオンライン面会の度に思い出話をしています。 ※あと、ねねむ様には申し訳ありませんが、この場をお借りして、てんま鱗子様へのコメントで誤字がありました。×鱗個 ○鱗子 失礼いたしました。
1良い詩です。ちなみに介護は大変です。自分もヤングでは無いケアラーなので。そのうち、そういう詩も書くだろうと思いますが、現在進行形なのでまだ先かな。
0コメントありがとうございます。 どんぶり太郎さんもヤングケアラーとのこと。(介護される方よりも若ければヤングだと個人的に思っています) 自宅介護は本当に大変ですね。私は結婚して実家を出ていたので、この7年間は、母が本当に大変でした。 私は、父が倒れた直後の入院期間中、仕事の昼休憩間に病院に寄り、父にご飯を食べさせて(看護師さんはお忙しく、なかなか父の思う通りにはやってもらえない)職場に帰り、夕方も病院に寄って家に帰る毎日でした。 ある日、疲れて朝寝坊してしまい、その日は子供の遠足だったのに、お弁当が作れず、息子が自分でサンドイッチを作っていました。 このままでは、子供が私のヤングケアラーになってしまう、と危惧して仕事を辞める決心をしましたが、仕事は波に乗っていたところだったので正直悲しかったですね。 色々な国や地方自治体の助成やヘルプサービスがありますが、まだ父に感情がある頃は、父が介護施設に行くことを拒否していたため、父の意思を尊重するためには、自宅介護で、母を中心に家族の助けが必要でした。 でも。私は父に多くの恩があるので、今後もできる限りのことはしてあげたいと思います。そして、まだ元気でいてくれる母に、孫の顔を見せたり、色々なところに連れていって思い出をたくさんつくることを一番に考えています。 どんぶり太郎さんも大変かと思いますが、一人で抱えず、他の方の協力も得ながら、過ごされてくださいね。「介護される方は、介護している方が楽になると、楽になる」と書いてあった、介護施設の車のデカールを見て、なるほどなと思いました。
02回読ませていただきましたが、2回とも泣きました。詩作品に分類されるかどうか、よく分かりませんが、訴えてくる力がありますね。 例えば筆者さんのようには、私にはうまくできなかったとしても。届けようとするから届くものなのかもな、と思ってしまいました。 読ませていただき、ありがとうございました。
1コメントありがとうございます。 実は私も泣きながら書きました。毎晩、元気だった頃の父の夢を見ては、目覚める日々でしたが、この作品を書いた日から何故か父の夢を見なくなりました。 >詩作品に分類されるかどうか、よく分かりませんが、訴えてくる力がありますね。 以前は、ビーレビに投稿する作品は、自分の生活に全く馴染みのないような言葉を拾い集めてコラージュのようにして作っていたんですが、なんか、いわゆる「詩作品に分類されるもの」を書くこと、私には無理だなと思いました。難しい言葉も、比喩も、日常では使わないですし。 でも、生きていて強く残したいことがあったとき、心に浮かんだことをそのまま書いています。 >例えば筆者さんのようには、私にはうまくできなかったとしても。届けようとするから届くものなのかもな、と思ってしまいました。 そうですね。うまくできるかはわからなくても、やらないよりはやった方がいいのかなと思います。自分にも今後何が起こるかわかりませんし、いつまで生きるのかもわかりませんので。
1>自分にも今後何が起こるかわかりませんし、いつまで生きるのかもわかりませんので。 そんなあ……(><)そんな思いでいらっしゃったんですね……
0少し大袈裟ですが、私はいつも「今日死ぬかも」と思ってます。死にたいとかではなく、事故や病気はいつ起こるかわかりません。 先日も運転中、突然トラックがセンターラインを越えてこちらへ走ってきました。幸い二車線で左に車がいなかったので左に避けましたが、これが片側一車線だったら?! 実際父が初めて倒れたのはまだ50代の時でした。料理が好きだったから、定年後は居酒屋を開くといって、私達からのお祝い金などは全て貯金していました。 でもその夢は叶わず。 だから、私も「やるなら今しかない」と思いながら毎日過ごしてます。「老後の楽しみ」ではなく今を楽しみたいですね。
1平仮名だらけの連から、通常の漢字かな混じりの連へ。「うんち」や「凧」のエピソードなど、小説仕立ての様で詩からの領域審判、いや、相互作用とでも呼ぶべきものだったのかもしれません。
0コメントありがとうございます。 >平仮名だらけの連から、通常の漢字かな混じりの連へ。 この話はフィクションで、平仮名の部分は幼稚園時代のこと。漢字かな混じりは、現在のことを書いています。 >「うんち」や「凧」のエピソードなど、小説仕立ての様で詩からの領域審判、いや、相互作用とでも呼ぶべきものだったのかもしれません。 領域審判。。領域侵犯ですかね?この作品はエッセイに近いのですが、ただ事実を述べた文章をもとに、表現、言葉の並べ方を少しずつ変えて、「これからもずっも自分が読みたいと思う作品」になるように心がけました。 他の方にどう伝わるのか、どのように解釈されるのかも楽しみだったので、相互作用と言っていただけて嬉しいです。
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