部屋から見えるのは
雲ひとつない空
隣家の屋根
自然の猛威に
人間の暴力が重なる
まぶしくて 悲しい朝
地震であれ
砲撃であれ
そこにはひとがいる ということ
誰の目も届かぬところで
こぼれる涙
涙にもならない いま
ここにも明日にも
ひとがいて 絶望がある ということ
悲劇は過去や異国にだけあるのではない けれど
部屋から見える青空は
いま
どこまでも清々しい
希望と絶望を
ぜんぶ集めて計ったら
どちらが大きいのですか
ひとりのうちの
一日のうちの
世界の
歴史上の
地球上の
人類が滅びるまでの
時間も 国境も越えて
この空が届きますように
あなたにも 僕にも
午後二時四十六分
午後二時四十六分
午後二時四十六分
作品データ
コメント数 : 5
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作成日時 2022-03-11
コメント日時 2022-03-14
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/23現在) | 投稿後10日間 |
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技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
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2024/11/23 17時13分27秒現在
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ウクライナ侵攻や東北大震災が思い浮かぶのですが、あまり時事的な話題に偏しているわけでもなさそうです。自然の猛威や人間の暴力は有史以来の悩みですが、明けない朝は無いと言うポジティブシンキングが隠れてると思いました。
1「希望と絶望を ぜんぶ集めて計ったら どちらが大きいですか」わたしは希望とは儚い夢のようなもので絶望が圧倒的だと思います。だって最後は死ぬのですから。人類が死ななくなっても感情を自由にできるようになっても、私は生きていることは哀しみだと思います。
1詩を通じて繋がることができたようで、うれしいです。ありがとうございます。
1書いているとき、悲観的な思いが勝っていたように記憶していますが、前向きな希望はやはり捨てたくはないですね。ありがとうございます。
0災害やまして戦争による死は絶望かもしれません。ただ、僕は少なくとも僕自身の死については絶望とは捉えていません。むしろ希望、救いではないかと。 何を絶望とし、希望とするか。生きていくうえで、書いていくうえで、重要な問いかもしれませんね。ありがとうございます。
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