無題(小説抜粋冒頭から) - B-REVIEW
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PICK UP - REVIEW

大人用おむつの中で

すごい

これ好きです 世界はどう終わっていくのだろうという現代の不安感を感じます。

硬派な作品

萩原朔太郎や中原中也のエッセンスを感じます。

千治

体験記『呆気ない宣告』

それはあなたの現実かもしれない。

大概のことは呆気なくドラマティックではない。そうした現実の丁寧な模写が作品に厚みを増している。

ほば

世界は自由だ━不死━

わかるということ

あなたにとっては何が、その理解が起きるピースになるだろうか?

ほば

ふたつの鐘がなるころは

鐘は明くる日に鳴る! いつでもそうだ!

運営在任中に出会った多くの作品の中のベスト。決して忘れない。

yasu.na

良い

シンプルに好き

あっす

パパの日曜日

パパの日曜日

いい

明林

終着点

生きる、その先に死地はない!

美しくさわやか、そして深い意味が込められたシーン、均衡の取れた心情と思想、強い意志で最終連へと迫る引き締まった展開、我が胸にこの詩文を抱いて!

yasu.na

九月の終わりを生きる

呼び覚ます声

夏の名残の暑さが去ろうとする頃、九月の終わりになると必ずこの作品のことを思い出す。

afterglow

こっちにおいで

たれかある

たそがれに たれかある さくらのかおりがする

るる

詩人の生きざま

言葉と詩に、導かれ救われ、時に誤りながらも、糧にしていく。 赤裸々に描写した生きざまは、素晴らしいとしか言いようがない。

羽田恭

喘息の少年の世界

酔おう。この言葉に。

正直意味は判然としない。 だが、じんわりあぶり出される情景は、良い! 言葉に酔おう!

羽田恭

誰かがドアをノックしたから

久しぶりにビーレビ来たんだけどさ

この作品、私はとても良いと思うんだけど、まさかの無反応で勿体ない。文にスピードとパワーがある。押してくる感じが良いね。そしてコミカル。面白いってそうそう出来ないじゃん。この画面見てるおまえとか、そこんとこ足りないから読んどけ。

カオティクルConverge!!貴音さん

あなたへ

最高です^ ^ありがとうございます!

この詩は心に響きました。とても美しく清らかな作品ですね。素晴らしいと思いました。心から感謝申し上げます。これからも良い詩を書いて下さい。私も良い詩が書ける様に頑張りたいと思います。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

これ大好き♡

読み込むと味が出ます。素晴らしいと思います。

きょこち(久遠恭子)

輝き

海の中を照らしているのですね。素晴らしいと思います☆

きょこち(久遠恭子)

アオゾラの約束

憧れ

こんなに良い詩を書いているのに、気付かなくてごめんね。北斗七星は君だよ。いつも見守ってくれてありがとう。

きょこち(久遠恭子)

紫の香り

少し歩くと川の音が大きくなる、からがこの作品の醍醐味かと思います。むせかえる藤の花の匂い。落ちた花や枝が足に絡みつく。素敵ですね。

きょこち(久遠恭子)

冬の手紙

居場所をありがとう。

暖かくて、心から感謝申し上げます。 この詩は誰にでも開かれています。読んでいるあなたにも、ほら、あなたにも、 そうして、私自身にも。 素晴らしいと思います。 ありがとうございます。みんなに読んでもらいたいです。

きょこち(久遠恭子)

カッパは黄色いのだから

良く目立ちます。 尻尾だけ見えているという事ですが、カッパには手足を出す穴がありますよね。 フードは、普通は顔が見えなくなるのであまり被せません。 それを見て、僕はきっと嬉しかったのでしょう。健気な可愛い姿に。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

永訣の詩

あなたが出発していく 光あれ

羽田恭

あなたには「十月」が足りていますか?

もし、あなたが「今年は、十月が足りてない」と お感じでしたら、それは『十月の質』が原因です。 詩の中に身を置くことで『短時間で十分な十月』を得ることができます。この十月の主成分は、百パーセント自然由

るる

だれのせいですか

どんな身体でも

どんな自分であっても愛してくれるか、抱きしめてくれるか、生きてくれるか SNSできらきらした自分だけを見せてそんな見た目や上辺で物事を判断しやすいこんな世の中だからこそ響くものがありました。例えばの例も斬新でとても魅力的です。

sorano

衝撃を受けました

ベテルギウス。まずそれに注目する感性もですが、詩の内容が衝撃。 猫。木。家族。犬(のようなもの)。女の子……。など、身近にあふれている極めて馴染み深いものベテルギウスというスケールの大きいものと対比されているように感じられました。

二酸化窒素

ずっと待っていた

渇いた心を満たす雨に満たされていく

afterglow



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無題(小説抜粋冒頭から)    

 晩秋の空気は冷たい。斜めから照りつける強い陽射しは、通りを行きかう人々に哲学的な陰影を与えていた。この薄汚い街並みが、北欧のようにも美化されて感じる。幸福を体現するような黄金色に包まれた世界は、高い空を流れる薄雲の加減で、いとも簡単に色褪せた。  通行量の多い二車線道路の路側帯に、中川啓介はくたびれたトヨタカローラを停車させ、開け放った窓から、メンソール煙草の白煙を吐き出していた。二十代前半と思われる浅黒い顔には、何の表情も浮かんでいないのだが、無駄な贅肉を削ぎ落としたような肉体からは、容易く話し掛けるのを躊躇させる殺気を放っている。  すぐ横の歩道から若い女が現れ、当然のように啓介のカローラに乗り込んだ。高校の制服を着込んだ少女は細身で美しい。 「よし、それじゃぁ、行こうか。いいんだな、計画通りで。迷いがあるんなら、止めたっていいんだよ」 「――車を出して」  車は金沢市内の片町繁華街を抜け、犀川べりのモーテルに入った。駐車ガレージから、誰にも会わずに指定した部屋に通す仕組みだ。照明をつけると、やたら大きなベッドが目に入り、啓介の気分を多少げんなりさせた。それでも風呂場を探し、バスタブに湯を溜める。少女はベッドの脇に突っ立ったままだ。  風呂場から、啓介が少女に向かって声を掛けた。 「おれは啓介。ネット掲示板のハンドルネームと同じだ。お前を何て呼べばいい? ハンドルネームの『ソネット』でいいのか?」 「……うん。そう呼んで。本当に、あたしの願いを叶えてくれるんでしょうね。騙されるのは御免だわ」  バスタブに湯が満ちたのを確認してから、長身の啓介は、ベッド脇にいる少女の傍に寄り添った。少女の顎に手をやり、持ち上げ気味にしながら相手の目を見据える。ソネットの瞳に恐怖の色が浮かんだ。 「脱げ。見ているから全部脱ぐんだ」 「えっ……」  啓介はベッドの縁に腰かけて、少女に視線を注ぐ。沈黙の中、制服のボタンを外す女。上着とスカートが床に落ちた。下着だけになったソネットは俯いて表情を隠している。 「おい、言うことが聞けないのか。全部脱げと言ったはずだ。返事はどうした」  ソネットは無言で、薄水色のブラジャーを外し、するりとパンティーを抜きとった。怒りを帯びた目で立ちつくし、啓介を見降ろしている。 「脚を開け」  少女が言われたとおりにすると、啓介は彼女の股間に右手を差し入れた。  二時間後、モーテルから啓介のカローラは出た。ソネットの願いは携帯メールでのやり取りで分かっていた。ある男を殺し、消息不明にして欲しいとのことだ。莫迦げた依頼ではあるが、女の軀と三万円の現金で啓介は請け負った。トランクのゴルフバックの中には、軍用小口径自動小銃、M16が血を欲していた。  助手席のソネットは、まだ上気している顔を隠すかのように、窓に視線を投げながら啓介に語り掛けた。 「あなた、人を殺したことがあるって書いていたわよね。どんな相手かしら。よっぽど怨んでいたんでしょうね。そうじゃなきゃ、人を殺すなんて簡単にはできないわ」 「そんなことはない。でも、まぁ、面倒なもんだがな」 「嘘なんでしょう。あなた、きっと何もしないで逃げるつもりよ」  ソネットは啓介の方を向き、咎めるような口調で言った。それは、同時に自分の軽率さを後悔しているようでもあった。 「啓介と呼んでくれないか。約束通りのことはするつもりだ。まだ渡してもらうはずの物があるな」  ソネットは高級ブランドのバックからA4サイズの茶封筒を取り出し、啓介に手渡した。その白い手首は小さく震えているようにも見えた。 「相手の名前と住所、それに現金三万円が入っているわ。お願い、殺して。酷い奴なのよ。あいつのせいで、あいつさえいなければ……」  車は少女を乗せた場所で停車した。去って行くソネットは、彼の目に幼くも思えた。封筒の中身を確認する。「本田芳郎」「金沢市菊川町……」。衆議院議員の本田じゃないかと多少、驚く。 ――派手なことになりそうだな――と、胸の裡で呟いた。  一年前、啓介が陸上自衛隊を辞めたのは、彼の信条からいえば当然の成り行きだった。国土を守る為に命をささげるなど、ドラスティックな莫迦の言葉としか思えない。もっとも、この平和ボケした世の中では、国家公務員だという身分に惹かれて、自衛隊に志願する若者が多い。士長だった啓介の月給は二十万円以上もあったが、そんな金よりも、銃器の操作と体術会得を目的に四年間を過ごした。  彼は、あのポル・ポトに心酔していた。 「腐ったリンゴは、箱ごと捨てなくてはならない」  心の師の格言は完全に正しい。クメール・ルージュになった自分を夢想しては、きつい訓練に耐え抜いた。この世の文明を破壊したい。首都の交通を分断し、ライフラインを破壊し、民衆に本当の生きる意味を与えたい。空想する未来の無政府社会で、ただの農民になりたかった。  高速回転するドリルが、分厚い金属板に穴を穿つ。ギアとハンドルを調整しながら啓介は、穴から螺旋状に生まれてくる金属片を見詰めていた。工場内では、数人の工員が無口に自分の仕事をこなしている。中央では鉄骨を囲む三人の男が、各自右手にベビーサンダー研磨機をかざす。その回転音は波のようなうねりをおびて工場内に反響し、研磨される鉄骨からは夕陽のような色をした鮮やかな火花が迸る。片隅では、アーク溶接の激烈な閃光を受けた防護面を被った人物が、幽鬼のごとき青白きシルエットを見せている。  休憩を告げるベルが鳴った。ふらりと現われた、明らかにアジア系外国人と思われる男が、穴あけ作業を続けている啓介に声を掛けた。 「ねぇ、コーヒーおごってよ」  工場内は静かになり始めているので、はっきりと声がとおる。 「リチャード、おれにたかるなよ。まぁ、いいか」  工場裏に回り、しゃがんで一服する。リチャードの日本語は、タガログ語なまりがきつくて早口だ。しばらく談笑した後、何か思いついたように啓介は切り出した。 「なぁ、お前、まだ他に拳銃を持っていないか? 譲ってくれよ」 「持っているよ、啓介。車にあるから、取ってくるね」  リチャードは気軽に答えると、ボディから錆びが浮いているポンコツの軽自動車に向かって走り、ちゃちな作りのグローブボックスを開ける。ホルスターに入ったベレッタM92を掴んで、嬉しそうに帰ってきた。9ミリ口径の半自動拳銃だ。米軍の正式拳銃でもある。 「五万円ね」  得意気に片手を広げ、息をはずませながらリチャードは言った。 「三万にしろよ」  啓介は横柄にそう言って手に取る。 「40S&W弾を二十発付けるよ。だから五万円」 「――あぁ、そうか。また頼むよ」  啓介は財布から現金を抜いて渡した。ベレッタを手に取り、弾倉を引き抜いてみる。十発装填されているのを確認してから戻した。安全装置を外し、素早く銃身をスライドさせた後、銃口をリチャードに向ける。 「啓介さん、冗談はよしてよ」  頬を引きつらせ、怯えたような声でリチャードは言う。そうして媚びたような笑顔をつくった。 「三万にしろよ」  啓介が表情を消した目で見詰め、要求を突き付ける。 「…………」 「冗談だよ。残業になりそうだから、仕事を手伝ってくれないか」  啓介は立ち上がると、拳銃を自分のカローラに無造作に放り入れ、ゆっくりと工場内に戻った。ふたりで協力しての作業が始まった。  初めて会ってから四日後、ソネットは啓介にメールで呼び出された。彼女は約束した時間の十五分も前から待っている。繁華街のハンバーガー店の二階は、高校生の客で溢れていた。人目を気にしながら現われた啓介が、ソネットの前の席に座った。指定した時間どおりだ。キャメル色のざっくりしたセーターを着た彼女は、よりほっそりした印象を啓介に与えた。子供じみた嬌声があがるこの場所では、会話の内容を気にする必要はない。少女は、鋭い視線を正面の男に注ぐ。黒目がちの瞳を飾る長いまつ毛、太い眉は意志の強さを感じさせる。  啓介が話を切り出した。 「気が変わった。お前、おれの女にならないか?」  この女とは、適当に遊ぶだけのつもりだったが、何かが引っ掛かって、彼にそう言わせた。 「約束を誤魔化そうとするのね」 「違う。プレゼントがあるんだ」と、啓介は言った。床に置いた軍用バックから、ホルスターに入ったベレッタを取り出し、テーブル上のフライドポテトとコーラの間に置いた。「本物だぞ。お前に似合いそうだな」  ソネットは拳銃を手にとった。鋼鉄のかたまりは、ずしりと重い。隣の席に座っていたサラリーマン風の男が、その光景を目の当たりにしていたが、やがて何でもなさそうに新聞に視線を戻し、再びハンバーガーを咀嚼し始めた。向かいあうふたりの間には、しばらくの沈黙が漂う。 「――あたしの父親よ」 「えっ」 「本田芳郎はあたしの父親。殺して欲しいの、イライラするのよ。あとがどうなっても構わない」  啓介は、うんざりした表情をつくると、煙草に火を点けた。ソネットの言葉を待つ。 「あの人がいる限り、自由になんてなれないもの」 「それで、殺そうってのか」 「そう」と、ソネットは言った。「あの人、あたしを見る目がおかしいわ。きっと、あたしとしたいのよ」 「――――、殺してやるさ」  啓介は、宙に漂う白煙に視線を向けながら、そう言った。  少し離れたテーブルで、制服を着た少女たちが談笑している。どの娘の顔も、その目鼻立ちから、新鮮なフルーツのような印象を啓介に与えた。 「ねえ、調べて欲しいことがあるんだけど、いいかな」 「うん。人殺しよりは、楽な仕事かい?」 「そうね――。あたしのクラスメイトが消えちゃったのよ。親友のつもりだったんだけど、全く連絡がとれないの。学校に来ないから、その子の家に電話を掛けてみたの。そしたら、書き置きを残して家出しちゃったんだって。あの子、変な男と付き合っていたから、きっと騙されたんじゃないかと、あたしは思うの」  ソネットは、かなり打ち解けた様子で話す。その友人の名前は「林原順子」と言った。 「なぁ、ソネット。おれも手伝うから、お前が調べろよ」 「そうね。でも、どうすればいいの?」 「林原順子の交友関係を探る必要があるな。学校で聞き込みとかできないか?」 「うん、やってみる。あの子、ホスト遊びに入れ込んでいたのは知っているけど。服装も派手になってね。うちの高校、ミッションだから、そんな子は目立つのよ」 「何て名前の店か、知っているか?」 「ちょっと待ってね。メールの履歴を確認してみるから。……あぁ、これだ。片町のアイリスって店よ。マサトって源氏名のホスト。ぞっこんだったらしいわ、あたしも一緒に行こうって誘われてさ。お金とかどうしていたのかしら」 「アイリスのマサトか」  翌日、啓介は夜の片町に出掛けた。工場が午後七時までの残業だったので、風呂にも入らず、夕飯がてら居酒屋で飲んでいる。料理を待っている間、何の気なしに手のひらを見詰めた。細かい傷にグリースや鉄粉が入りこんで、酷くみすぼらしい。洗っても落ちない爪の汚れは浮浪者の手を連想させた。工場では、手袋をすることが禁止になっている。数年前、機械に巻き込まれて指を失った者がいたからだ。啓介の知らない先輩で、そんな奴は何人もいたらしい。  若い女の従業員が、鳥の空揚げを運んできた。派手な顔立ちと、胸の膨らみに視線を奪われる。愛想よく口上を並べ、笑顔をつくった女が、啓介には家畜のように思えた。午後九時にはソネットが来ることになっている。何か理由をつけて家を出るんだろう。さすがにホストクラブには、男だけでは行けない。マサトとかいう奴も、ソネットのような美少女が相手ならば、仕事を忘れてはしゃぐに違いない。  今日はリチャードから、こんな仕事はたくさんだと愚痴を聞かされた。啓介が今の工場で働き始めて、一年弱になる。人手不足のきつい仕事だから、就職は簡単にできた。彼の一ケ月後にリチャードが入ってきた訳だ。以前からの知人であったが、会社の者にはそのことを伏せてある。もっと大きな秘密をいえば、リチャードの所属するフィリピン人組織は、米軍内にコネを持っていた。インターネットの軍事マニアサイトで、数年前に知り合い、今は同じ工場の寮に住む。  きょろきょろと店内を見渡しながらソネットは来た。啓介を見付けると、少し、はにかんだように笑う。NYヤンキースのスタジアムジャンパーに、古着のジーンズをはいたソネットは学生然としている。おおかた、友達の家に行くとか言って自宅を出てきたのであろう。 「待たせてごめんね。えっーと、あたしもビールをもらおうかな」  席につくなりソネットは言った。何だか嬉しそうにも見える。背筋を伸ばし、リュックバッグを床に置いた。居酒屋は初めてなのに違いない。 「ねぇ、煙草って吸うと美味しいの?」  この女は何を言い出すのかと、啓介は思った。 「一本やるから」 「ありがとう」  よくよく観察すれば、やはり、はしゃいでいるらしい。自分が吐いた煙に顔をしかめて、灰皿に長い煙草を押し付けている。右手で団扇のように白煙を払いながら、もう片方の手でジョッキを掴もうとしていた。 「ねぇ、運命の人っていると思う?」 「どうだろう、よく分からないや。もう、行こうか。多分、あそこは開店していているよ」そう啓介は言い、立ち上がった。「遊びに行くんじゃないんだからな」 「うん、そうね」  少し、寂しそうにソネットは答えた。  電話帳で調べた結果、アイリスは一番館の5Fにあった。エレベーターを昇り、蛍光灯の無機的な光が照らす廊下を歩く。啓介にとっては言うまでもなく、ソネットにしても、こんな探偵ごっこじみた行動は暇つぶしなのかも知れない。それくらい日常に辟易していた。何をどうしようと、あくる朝には自分自身の幻影を繰り返していくのだ。偶然にもこの男と少女は、同じような意思をそれぞれの生きた過程でつくりあげていた。ただ生きながら死骸となるのであれば、明日がなくても構わないと若いふたりは言うであろう。  啓介は、意を決してアイリスのドアを開ける。男が入ってきたのを見て、初老のマネージャーらしき人物が、一瞬、けげんな顔をした。それでもソネットが店内に入ると、そいつは営業スマイルで歩み寄ってくる。店内は思いのほかに広々としていた。ベルサイユ宮殿を模した、鏡と金属と大理石が内装のほとんどを占める空間。黒大理石のカウンターに金色の支柱が立ち、ベージュ色のソファーセットが背を合わすように六組。なかほどに真っ白なグランドピアノが据えてあるが、それでも狭苦しくは感じない。どういう仕組みか良く分からないが、壁のマーライオンから、滝のように水が迸って落ちている。ボックス席では、ホストらしき着飾った若い男たちが、中年女を接待していた。一斉にこちらに向けられた視線もやがて外される。都会的なバックグラウンドミュージックが、しっとりと空間を包んでいた。  ソネットが、わざともじもじしながら、マネージャーに話し掛ける。 「あのう、今回が初めてなんですけど、もしよかったらマサトさんを付けてもらえませんか?」 「マサトをご存じですか。それはうちといたしましても、大変嬉しいことで。ようこそ、アイリスへ。そちらのボックス席へどうぞ。ただ今、マサトを呼んでまいります」  やりとりから視線を外していた敬介は、入り口近くにあった古そうな絵画に目をとめた。 「これ、複製画でしょう。同じものを見たことがあるよ」  見開かれた目、暴れる馬、吼えるライオン、剣を振りかざす兵士など、たいへん劇的な場面が描かれていた。 「そうです。ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』の複製です。パリで起こった七月革命をたたえて描かれた作品です。きっとご存じでしょうが」 「うん、知っているよ。個人的に好きな絵だね」  ピアノ脇の席を指定された。ソネットはかしこまって腰掛け、啓介は面白くもなさそうに、ふんぞり返って座っている。そのうち啓介は、常緑樹の肉厚の葉を千切り始めた。 「ねぇ、こういう処って高いんでしょう」と、ソネットは笑いを抑えるように言った。「私、ドンペリとか入れようかしら」 「ドンペリニョンか。何だ、そんなものが欲しいのか」 「そう、ドンペリ。オーダーすると、ホストたちが芸をするらしいわ。見てみたいの」  マサトらしき男が、ボックス席に近づいてきた。啓介は一瞥して、ゲップをする。いかにも女に好かれそうなスケこましか。ジャニーズのバッタ物みたいだな。 「ご指名いただきまして、嬉しく思います。マサトです」 「マサトさん、よろしくね」  ソネットの瞳は好奇心で、少女マンガのヒロインになっている。マサトは会釈した後、ふたりの正面の椅子に座る。新人らしきヘルプの男がきて、セットの水割りをつくり始めた。 「食事されてから、来られたんですか?」 「はい。でも、まだお腹は、すいています」  「今日はこいつにとって、いいことがあったんだよ」と、啓介は言った。「モデル事務所に所属が決まってさ。マサトさん、ドンペリニョンを注文してくれないかな。特上の大盛りでね」 「それは、おめでとうございます。どうりでお綺麗だと思いました。それではドンペリ、オーダーしておきますね」  席を離れていくマサトは、小さくガッツポーズをしていた。すかさず、啓介はヘルプの男に声を掛ける。こいつはホストよりも農作業が似合う顔立ちをしていた。 「マサトの客で、林原順子ってのがいたと思うんだけど、知らないかい?」 「あぁ、僕は、ここに入って日が浅いので……」  啓介は尻ポケットの財布から一万円札を取り出すと、ヘルプ君に掴ませた。 「うわさでもいいから、知っていることないかなぁ……」 「そうですね――。そういえば以前、順子って女の子が店に通っていたと聞いたことがあります。マサトさんのツケでそうとう飲んでいたらしいですよ」 「そうか、ありがとう。君、もう行っていいよ。あっそうだ、テキーラのボトルと大き目のクラッシュアイス、それにアイスピックを持ってきてくれないか」 「はい、かしこまりました」  ボックスに戻ってきたマサトは、笑顔でソネットの横に腰掛ける。男ふたりで女をはさむ格好だ。すぐに啓介が立ちあがった。マサトの真横に移動して座る。さらに、にじり寄る。 「おい、マサト――。林原順子って女、知らないかい?」  啓介の雰囲気が変わった。有無を言わせぬ緊張が漂う。 「あぁ、順子ちゃんね。最近、見ないけど。どうしているんだろう」  マサトは動揺を隠しつつ、作り笑顔で答える。グラスを持つ右手が、小さく震えていた。 「もうすぐ皆が、ドンペリコールをしますから、お楽しみ下さい」 「やめろ、やめろ! くだらない猿の芸なんぞ、見たかないんだよ」  啓介は、集まっているホストたちに向けて喚いた。それを聞いて、あからさまにふて腐れているホストもいる。 「おーい、メロン! 器にするから持ってこい」  啓介は大声で言った。先ほどから頼んであった物と、フルーツの盛り合わせが運ばれてくる。メロンは二つに割られて、中身をくり抜いてあった。「マサト、酒を作ってやるから飲むんだぞ」  啓介はメロンの器の中を、テキーラとドンペリの混合物で満たす。ソネットは真顔で、その行為を見ていた。そんな下品な慣行など知るはずがない。 「飲めよ」  一杯目が飲み干される。マサトは口元を汚して情けない笑顔を浮かべた。啓介は作るのを止めようとしない。三杯目を飲んでいるマサトの顔に、無理やりメロンの器を押し付ける。液体がびちゃびちゃにこぼれて、マサトのスーツを汚した。 「もったいないだろ、莫迦野郎!」  ソネットが席を立ち、毅然とした表情でピアノの前に座った。もう、見ていられなかったのだ。 タイミング良く、室内のBGMの音量が下げられる。マネージャーが気を利かせたのであろう。いちど、鍵盤面を軽く撫でてから、一息つき、彼女はおもむろに弾き始める。細身で姿勢の良い彼女に、その場所はとてもよく似合った。優しい間接照明の中で、皆は演奏に引き込まれていくことになる。  ショパンのエチュード『別れの曲』だった。メロディは、濃密に、繊細に、粗野だった空間を彩り始めた。この最高傑作といわれる曲は、抑制された主題がはっきりと、確かな構造に支えられている。たいへん単純で自然であるだけに、かえって演奏するピアニストには多くの能力が要求されるのだ。啓介が聴く分に、とても素人の演奏には思えない。徹底的に訓練されたものを感じさせた。墜落のような描写の後に、心を落ち着かせる温かい主題に帰っていく。彼の目に、ソネットがとてつもなく美しい高貴な存在として映った。マサトがゲップをしている横で、長い間じっと彼女を見つめ、熱い視線を伏せてグラスに落とす。続けてショパンのノクターン『遺作』が奏でられた。  啓介はさらに瞳を潤ませる。  マサトはずっと股間のしみを気にしていた。  演奏の後、自然に拍手が起こった。マネージャーや、客のおばさん連中も感激したようだ。マサトが卑屈に拍手して立ち上がった。その時、啓介はテーブル上のアイスピックを取り、上着の内ポケットに素早く隠す。誰も気付く者はいない。  ワンナイトスターとなった彼女は、はにかみながらも周囲に礼をして足早にそこから引き上げ、啓介の隣の席に戻った。まだ上気しているソネットに、啓介はそっと耳打ちする。 ――おれさぁ――。 ――えっ、なに――。  再び音量の上がったBGMがふたりの囁きを隠した。 ――さっきヘルプ君に渡した一万円が最後で、もう金持っていないんだ――。 ――それってまずいじゃない。あたしも持ってないよ――。  ソネットは、呆れた表情だ。外国人のように肩をすくめてみせる。それに対し、啓介は少しも悪びれてはいない。なぜか笑顔ではしゃいでいた。 ――実はね、トイレにテキーラ撒いて、火を点けて、火事に紛れて逃げようと思っていたんだけど、それって下品かなぁと反省してね。お前のピアノ聞いたらさ、上品な気分になりたくなったんだよ――。 ――やばいよ、君。それ本気で言ってんのかい。で、どうするのよ、もう――。 ――任せとけって――。  啓介はソネットに、あらかじめ用意していた運転免許証らしき物を渡し、ロバのような顔で座っているマサトに向かって「清算してくれ」と言った。マサトはほっとした表情になると、「ありがとうございます」と礼を言い、テーブルをガタつかせながら席を立つ。脚がふらついて蛇行している。実は歩きながら、おならをしていた。  しばらくすると、ニヤけたマネージャーがつかつかと来て、仰々しく紙切れを啓介に差し出す。 「二十三万六千円になりました」  勝ち誇ったような言い草であった。この男の生き様がにじみ出るような名言だ。 「あぁ、そうか――。おれ、全然、金持ってないから。サラ金でキャッシングしてくるよ」  啓介が平然としてそう言うと、マネージャーのこめかみに青筋が浮いた。 「この女にもキャッシングさせるから、一緒に連れて行くよ」 「そうですか……。それではマサトを同行させますので、あなたがたの運転免許証をお預かりしますよ」  紳士顔のマネージャーは、冷たい声でそう言った。  啓介は、でたらめな住所氏名を記載した、フィリピン製の偽造免許証をマネージャーに手渡す。ソネットも、いつの間にか作られていた自分の偽免許証を差し出した。よく見ると、顔写真は他人のものだ。薄暗いので、マネージャーは気付かない。  しばらく後、マサトに監視されてふたりは店外に出る。深夜にさしかかった街の空気は冷え込んでいて、ソネットは軽い身震いを催した。ネオン電飾が放つ明るさで、吐く息の白さが映える。 「おい、そこを右だぞ。さっさと行けよ」  マサトは後方から、尊大な態度で無銭飲食犯たちを誘導した。ただの酔っ払いが勢いづいているのと変わらない。 ――むかつくぜ、この莫迦――。胸の裡で啓介は呟く。 「おれが口にしたのはオレンジジュース一杯だけだぜ。高すぎるよな、全く。ほとんどお前が飲んだんじゃねえか」 「黙って歩けって言ってるだろ!」  繁華街の路地に暗がりを見付けた啓介は、振り返りざま、無理やりそこにマサトを連れ込んだ。 「何をするんだ。やめろ!」  抵抗し、押さえ付けようとする二つの人影。もつれあう大柄な男たち。啓介の右手にはアイスピックがあった。マサトの右太腿に突き刺さり、素早く抜かれ、また刺さる。 「あっ、あっ痛てえっ。いててえっ――」 「何だよ、この野郎」  啓介はそう言って、また抜いて刺した。崩れそうになるマサトの腹に蹴りを入れる。 「やめてくれ――。うげーっ」  このクズホストは嘔吐した。 「おい、ソネット。お前は、もう帰れ」 「――うん、そうする」  ソネットは、その場から逃げるように駆け出した。振り向きもせずに、街の雑踏に溶け込んで消えた。きっと、そうとうに辛かったのだろう。 「さぁ、林原順子について聞かせてもらおうじゃないか。正直に言わないとさ、痛い目が続くよ」  マサトの襟首を掴んで、啓介は微笑んだ。  拷問の末に分かったこと。借金にまみれた林原順子は、返済の為、人買いのような芸能プロモーターに売られたとの事実だ。煌びやかな芸能界に憧れた順子は、デリバリーヘルスや、裏流通のアダルトビデオが仕事だとは知らなかっただろう。その、渋谷道玄坂の「オフィス・マクロス」は、インターネットで検索しても情報がなかった。啓介は、リチャードを伴って上京することにした。工場の辞職は、電話一本で済ませた。  北陸自動車道は平日だから空いている。時速百四十キロで飛ばしているが、追い抜いたのは遅いトラックばかりだ。時折、とてつもないスピードで抜いて行く車がいる。二百キロくらい、出しているのではなかろうか。 「あー、どうかシャブ漬けになっていませんように」  カローラを運転するリチャードの横で、啓介は唄うように呟いた。  上信越自動車道に入り、休息に立ち寄った横川サービスエリア。植えられている柿木を見上げると、そこには一枚の葉も残っていなかった。静かな暗い初冬の夕暮れ。闇に向かって、カビの根のように伸びる細枝たち。曲がりくねって、禍々しくも見えるそれは、空に、光以外の何らかを求める生きざまを象徴する。  少なくとも、今の啓介には、そのように思えた。いびつな生命というと、すぐさま生殖器を連想するのだが、近頃はテレビに映る商品のような人たちにでさえ、突然、吐き気を催す。結論から言おう。人間が大好きだという奴は、きっと、くみ取り式便所の肥え溜めを覗いて発情する変態と同じだ。莫迦とアホたちが真面目な顔して、肩寄せ合って生活しているのだ。あぁ、冷静に考えれば、なんてことなんだ。  おれは、ここで生きている。決して、「生かされている」のではない。坊主や、年寄りの説教など、実際に生き延びる為には何の意味もなさない。もしかしたら、千年も昔から無意味だったんだと思う。動物と同じ、弱肉強食の原理が続いている。この先も、ずっと続くだろう。  人間と、イヌ、ネコのどこが違うのだろう。 啓介が初めて人を裏切ったと強く後悔したのは、私立清蘭学園中等部に通っていた十五歳の時だ。ソネットに出会った頃に言った人を殺したとの過去は、このことをデフォルメしたものだった。  幼なじみで同じ学年の大倉強栄は、今思えばきっと早熟だったんだろう。啓介の近所の家は皆、大なり小なりの庭を持っていて、強栄の住んでいる屋敷にも、テニスコートほどの芝生と、大型犬の小屋があった。学校が終わってから遊びに行くと、彼のお母さんが優しい笑顔で迎えてくれる。リビングには高価そうなオーディオ機器があって、窓際のサイドボードには、父親のコレクションらしいクラシック音楽のCDが並んでいた。ノートを広げて勉強していると、熱い紅茶が運ばれてくる。その香りは、ログハウス風の広い空間を漂う木の精気と一緒に混じって、啓介をとても清々しい気分にさせた。強栄は、CDをとても丁寧に扱う。啓介が会ったことのない父親から、細かい作法を学んだようだ。得意げにオーディオのメインスイッチを入れ、モーツァルトやブラームスらの交響曲を掛けた。 「おれ、この曲が大好きなんだ。何か、いいだろ」  彼がそう言いながら、訪問するたびに何度も聴かせてくれたのが、ショパンの『別れの曲』だった。ショパンの曲はどれも、啓介に大人の世界を感じさせた。 「ショパンが活躍した頃に、ピアノという楽器が完成したんだよ。だからこんなにも奥深い表現があるのさ。足元のペダルで小さなこもったような音をつくったり、フォルテでエモーションをだせるのも、線を小さなハンマーで叩く形に改良されたからだよ。モーツァルトのピアノ協奏曲なんかは軽快な感じだよね。彼の時代のピアノでは、それが最良の表現だったのさ」  聞きかじった知識を得意気に話す強栄は、とても幸せそうに見えた。そんな日々がずっと続くものだと、ふたりは信じていた。  中等部二年になって間もなく、彼の父親は亡くなった。肺がんだったらしい。数日してから訪問すると、暗い顔をした彼が歓迎して出迎えてくれ、池の底にたたずむ金魚のような笑顔をつくった。居間でしばらく啓介の話を聞いていたが、全く頭に入っていない様子だ。急に思いついたように啓介をガレージまで連れて行き、父親の形見になった日産グロリアを執拗に自慢する。 「この車、最強なんだぞ。3リッターDOHCツインカムターボ、V6VQ型エンジン、最高出力270ps、最大トルク37.5kg・m、親父からもらったんだ。おれの宝物さ」  真っ黒な頭蓋骨を彷彿とさせるフロントマスクに長大なボディ。まるで悪魔を象徴するようなセダンだ。強栄は、シフトがPに入っているのを確認してから、エンジンキーを回した。マフラーから発せられる低い轟音が、ガレージ全体を覆う。 「――おれは、強いんだ。誰にも負けないんだ。そうだろ啓ちゃん」  彼は同じような言葉を、自分に聞かせるように何度も繰り返していた。何度も……。  そうだ強栄、強いことは素晴らしい。でも当時、その先を聞かせて欲しかった。強くなれば幸せになれるのか? お前はそんなに弱いのか? そんなはずはない。今のおれなら、お前の欲しがっていた何かを言葉にしてやれそうな気がする。  それから一年後、芝生の庭にプレハブで建てられた強栄の部屋は、不良たちの溜まり場となっていた。啓介と疎遠になった強栄は、身長こそ高くはないがボクサーのような筋肉質な軀に変わった。平然と街中で煙草を吹かし、ナンバープレートの無いスクーターを乗り回している。マリファナとか、やばい麻薬に手をだしていると噂で聞いた。  ある日の昼休み、隣の教室から強栄がやってきた。赤茶色に染めた髪は一種異様でさえある。 「啓ちゃん、お願いがあるんだけど、ちょっと来てくれないかな」  校舎屋上に行こうと言う。啓介は無表情を装いながらも悪い気がしない。素直に彼の背を追う。コンクリート打ちの階段を上り詰めると青い空が見えた。 「こうして話すの、久しぶりだな。一体、何の用だい?」  強栄は笑顔をつくると、上着のポケットからキャッシュカードを取り出した。 「これで、お金をおろしてきて欲しいんだ」  銀行のキャッシュカードには「トオヤマ サチコ」と刻印されていた。 「暗証番号は、『0914』だと思うから。やってみてよ。エラーがでたら、そのまま帰ってきてくれないかな」 「どうしたんだい、このカード?」 「――盗ったんだよ。ひったくりって知っているだろう。最近、流行っているらしいな」 「…………」 「おれ、もう警察に顔がわれているから。お前さ、失敗したら、拾ったとか言ってごまかせばいいよ。先輩から、上納金の催促がきつくってね。引き出したら、金の半分はやるよ」  わかったと、啓介は答えた。どんな形にせよ、彼と関われたのが嬉しかったからだ。そしてそれがなぜか、いとも簡単な仕事に思えた。  カードを受け取り、教室に帰ろうと啓介が背を向けて十数歩あるいた時、唐突に強栄の大声が響き渡る。 「また、お前か! うるせえ、この野郎!」  振り返ると、彼が正面の中空に向かって怒鳴っている。その方向には何もない。校舎の下方には、遠く小さく、建物の群れが広がるだけだ。  彼の瞳には、宙に浮かんだ小柄な老人が映っていたのだ。干からびた猿のような男だ。両目に穿たれた穴から憎悪のような闇が覗いている。饐えた生ごみじみた臭いが、時おり強烈に彼の鼻をつく。  後日、事故で死にかけた彼から、その光景のことをベッド脇で聞いた。そのまま話せば大抵の者が現実でないと述べるだろうが、そんな奴らを大人になった今の啓介は苦笑いし、信用などしない。強栄が見たのが自分と同じなら、青く澄んでいたはずの大空は地獄の火炎と化しているのだろう。この後、啓介も知ることになる眺めだった。  汚れた黒衣の老人は言った。神経にさわるような、かすれた甲高い声だった。 「お前には、お終いが来たのだぞ。腐って骨になるのさ。早くしろ、死んでしまえよ」 「しつこいぞ、このジジイ。どっかへ行け、消えてしまえ!」  強栄は手足が醜く干からびていき、髪が抜け落ちる感覚に包まれた。むき出しになった歯並びの隙間から、ひゅうひゅうと吐息が漏れていく。皮膚が溶けだし、全身の肉が紫やピンクに腐り落ちて、痛烈な吐き気を催す悪臭をかいだ。それでも彼は死骸のような軀で喚き散らす。 「消えろ! もう、消えろ」  啓介は彼の尋常ではない様子に動揺はしたが、見詰め直しても特に何かがあったようにも思えない。やがてそっと目を伏せて踵を返した。  思い返せば、強栄は本当にいい奴だ。誰も、あいつのことを理解しようとはしなかった。啓介には、幼さの残る彼の笑顔を忘れることができない。 ――プーッ、ファ~ンファ~ンファ~ンファ~ン。プーッ、ファ~ンファ~ンファ~ンファ~ン――。  ATM自動支払機の警報がけたたましく鳴り響く。駆けつけた警備員が、逃げようとする啓介を乱暴に取り押さえた。警官に詰問され、怒鳴られ、洗いざらい喋る。ひったくりのこと、彼に頼まれたこと。子供には、どうすることもできなかった。 ――強栄、ごめんよ――。  警察のトイレから、泣きながらメールを送った。もう、おれが許されることはない。法律なんぞ関係ない。約束を破ってしまったのだから。  啓介からのメールを見た彼は血相を変えてガレージに行き、車に掛けられたカバーシートをめくる。両手の震えを止めることができない。それでもなんとか着座し、キーを回す。車検切れの黒いグロリアは頭に突き刺さるような音を上げた後、アクセルに反応して激しく吠えた。凄まじい勢いでガレージを発進した車は、運転席に少年を乗せ、悲鳴に似たスリップ音を掻き鳴らして郊外へ逃走した。  いつの間にかバックミラーにパトカーが映るようになり、徐々にしかも確実に台数を増やしていく。赤い幾つもの回転ランプが、息の根を追い詰めるように彼に付きまとう。しつこく追尾され、一般車の間を縫い、国道を逆走した。死霊の幻影のような対向車が、猛スピードで脇をかすめていく。エンジンの咆哮とサイレン音が憔悴した彼を包んだ。  グロリアは三十分のカーチェイスの末、道路端の電柱に激突。車は滅茶苦茶に壊れた。強栄の全身からの出血で、車内は赤く染まっていたという。幸い命には別状なく、彼は四カ月の入院の末に少年院に収監された。  それ以来、ずっと会っていない。おれが、強栄を陥れたんだ。おれにできることはなかったのか? 啓介の頭の暗い底に、強栄の残像は住みついている。  リチャードの運転する車は東京都練馬区に入った。寂しい感じだった沿道も、すっかり賑やかになってきている。窓を開けると朝の空気が肌を冷やし、啓介を清々しい気分にさせた。環八通りを世田谷区方面に向かい、予定通り、公園近くの自衛隊中央病院で車を停める。金沢市にあるロシア人御用達の解体屋から五千円で買ったカローラだが、片道八時間の長距離をなんとか無難に走り遂げた。走行十八万キロ超えのこいつは、正式な名義上だと廃車となっている。乗り出す為に必要だった白ナンバーは、解体屋の親父に頼んでウラジオストク行きの車に付いていたのを剥ぎ取った。ここに駐車させておけば、また必要になった時に使えるだろう。 「とりあえず、渋谷の道玄坂に行こうか」  ふたりはバッグをひとつずつ持ち、東急東横線の祐天寺駅を目指して歩く。天候も良く、快適な道のりだ。住宅街を抜け、小学校と商店街の先に駅ビルはあった。駅をぐるりと周回し、東口でとんかつ屋の看板を見ると、啓介は急に腹が減ったような気になる。尻ポケットから財布を取り出して札を数えたが、五万円ほどしかない。給与前に工場を飛び出したからだ。事前計画通りに、すんなりと事が運ぶとはとても思えないので、できるだけ出費は抑えたい。結局、コンビニでおにぎりを六個買い、店の前で立ったまま食べた。リチャードは不服そうな顔でおにぎりを頬張り、通行人を睨み付けている。啓介も同じようにおにぎりを頬張り、店に入ろうとする客たちを睨んでいた。  腹ごしらえが済むと、到着したばかりの電車に乗り込み、渋谷ハチ公口へ向かった。旅行バッグはパンパンに膨らんでおり、分解された自動小銃M16が収まっている。辿り着いた渋谷駅には、金沢とは比べ物にならないほど、多くの人間がうごめいていた。コインロッカーにかさばるバッグを預ける。久しぶりの東京を実感した啓介は、少し気おくれした感じになった。意識して自分の頬を叩く。近くの道玄坂界隈は、ブティックホテルとかいう連れ込み宿が密集しているはずだ。オフィス・マクロスは、ホテルの一隅を使用しているのに違いない。  坂道を何度も上り、宇田川町、道玄坂界隈を巡回する。きょろきょろした視線のふたりは、誰が見ても田舎者だと分かるだろう。雑踏の中で歩きまわり、数えきれないほどの他人の背中を眺めた。 「啓介さん、何のあてもないから、無駄だよ」  リチャードは疲れた表情を見せて、歩くのを止めた。もう、動きたくなさそうだ。 「そうだな。地回りのヤクザに声を掛けようか」 「えっ、どうして?」 「知ってそうじゃない」  ヤクザを探そうにも、渋谷ではそのような目立つ奴を全く見掛けない。きっと一般人に紛れているんだろう。 「夜まで待とう」と、啓介は言った。「それまで、時間を潰すか」  山手線で原宿に行き、明治神宮の鳥居をくぐった。どうにも、息抜きがしたかったのだ。緑の木々に囲まれ、白い石畳の広がる境内の空間は実に爽快だ。予想よりも多い参拝客の中、ふたりは威厳に満ちた本殿までを真っ直ぐに歩いた。 「啓介さん、お賽銭ちょうだい」 「それくらい、自分で出せよ」  そんな軽口をたたきながら賽銭箱前に辿り着くと、ふたりは勢いよく小銭を放りこむ。五円玉と一円玉が、ジャラリカラカラと音を立てた。神妙な表情で柏手を打ち、各自がお祈りを済ませる。啓介が本殿に背を向けると、リチャードが話し掛けてきた。 「何、お祈りしたの?」 「そりゃぁ、まぁ、世界中の文明が滅びますようにだ。おかしいか?」 「マジなのそれ。すごい変だよ。普通、お金持ちになれますようにじゃないのかい」  そんなの個人の自由じゃないかと、啓介は拗ねた様子になった。 「お前はどんなお祈りしたんだい?」 「うーん。彼女ができますように」 「どんな女がいいの?」 「フナキョンみたいな子」  フナキョンとは鮒田今日子のニックネームで、子供向けヒーロー番組『ボンゴレマン』の悪役だ。グラマラスな肢体を、ボンテージファッションと派手な化粧で飾る、うら若い女ボスである。舌足らずな口調がとてもエロティックだ。実はリチャードは以前、ハイヒールで裸の尻を踏まれている夢をみて、夢精したらしい。 「フナキョンか。いいな、それ」  午後四時半を過ぎると、徐々に辺りは薄暗くなってきた。晩飯はリチャードが、まともなものを喰わせろと暴れて、手頃なところを探し歩き、有名ファミレスチェーン店に入ることになった。大学生のようなウエイターに「おふたり様でしょうか?」と聞かれた啓介は、「悪いか、この野郎」と答えた。 「デミグラスハンバーグセットをくれ!」  ウエイトレスを脇に立たせ、メニューを凝視した末にリチャードは言い放った。もう、啓介に彼をとめだてるすべはない。もうすでに、こいつは一匹の肉食獣なのだ。 「おれ、ライスだけでいい」  気の抜けた声で啓介は言った。   午後九時を過ぎた渋谷は、昼と同様の賑わいだ。啓介たちは真新しいビルの半地下にある、「グレイハウンドバス」と書かれた扉を押して、その店内に入った。 「いらっしゃい」  マスターらしき中年男が独り、明るく声をだす。八坪ほどの空間を、黄色い電球色が照らしていた。他に背広姿の男たちがふたり、カウンターの隅で飲んでいる。 「ようこそ。何になさいますか」  カウンターのストゥールに腰掛けた啓介に、マスターはにこやかに言った。布で丁寧にグラスを拭いている。店内はすっきりと40年代のアメリカ風に仕上げてあった。 「そうだなぁ――」  おしぼりを広げて目のあたりを揉んだ後、彼はハイボールを注文した。リチャードも落ち着かない様子で、それに倣う。 「ベースの酒は、ジャックダニエルにしておきますね」  禿げた頭を綺麗に刈り込み、口髭を生やしたマスターは、愛想良く言った。  店内には、マディ・ウォーターズの『ハニービー』が流れている。シカゴブルースの父と言われたこのバンドの曲は、啓介もよく知っている。 「ここは、ブルースバーですよね?」 「えぇ、そうです。知らずに入られたんですか」  炭酸の泡が光るハイボールをつきだして、マスターは微笑む。 「店名が、『グレイハウンドバス』だから入ったんですよ。ロバート・ジョンソンの曲にそんな歌詞があったと思ってね」 「お客さん、詳しいですね。『俺と悪魔のブルース』。知っている人は珍しい」 「古い音楽で今でも有名なものは、たいてい優れていますからね。ところでおれ、東京は久しぶりなんですよ。昨日、金沢市から出てきたばかりでね。疲れているから酒が早く回りそうだなぁ」  啓介とマスターが話を始めて十五分ほど。隣のリチャードは、眠むそうにやっと目を開けている。昨晩は高速のサービスエリアで、数時間の仮眠をとっただけだ。夕方、ファミレスで座った以外は、ほとんど歩きづめだった。床に置いた旅行バッグを軽く蹴る。 「あのう、マスター」と、啓介は切り出した。 「この辺の地回りのヤクザと話をしたいんだけど、どうすればいいのか知りませんか?」  それを聞いたマスターは、困惑した表情を隠さない。 「今の渋谷で、ヤクザなんて見掛けませんよ」と答えた。「警察の職務質問とかが厳しくてね。自警団のガーデンベアーズなんてぇのが闊歩しています」  啓介は一万円札をかざし、マスターに掴ませる。じっと表情を見守った。 「――うん、ここの近くにハンバーガー店があったでしょう。深夜あの辺に、多分、今夜も立っていますよ。忠興会の人がね。あんたら、下手に首を突っ込むと……」  不意にカウンターの隅から低い声があがった。 「マスター、遠慮しなくてもいいよ。君たち、忠興会に用があるのかい」  啓介がそちらを向くと、四十代半ばだと思われる方の男が鋭い表情でこちらを見詰めていた。傍らにいる連れの男も同調して立ち上がろうとする気配だ。 「私は忠興会の鬼頭義則という。君は?」  不思議な感じのする声だった。艶があって響き、溢れるような包容力を感じさせる。例えるなら、テナーサックスの音色のようだ。 「中川啓介と申します。そちらの業界の方なら『オフィス・マクロス』について何か知っておられるかと思いまして、不躾な真似をしております」 「中川さん、それなりの理由を聞かせてもらわないと、知っていたとしても話せませんよ」  啓介は金沢での経緯を、必要な分だけ話した。鬼頭と、連れの若い男は表情を伏せて黙って酒を飲みながら聞いた。三分くらいの話が終わると、鬼頭が顔をあげる。 「あなたは何の為に、そんなことに首を突っ込んでいるのですか。その、売られた人間を可愛そうだとでも思ったのですか。それとも、何か別に得るものがあるのでしょうか」  啓介は、その言葉を聞き、鬼頭が生真面目な性格であると察した。 「おれの女に、調べてくれと頼まれたからです。男は自分の女のすることに、責任を持たなくちゃならない。たとえ、自分の命と引き換えにしてでも」と、臆せずに話す。 「愛している女が、悪魔だったとしてもですか?」  無表情の鬼頭は、いささかエキセントリックなたとえを使った。 「そうですね。おれは日本男児だから」 「わがままな悪魔なら、気が済むまで殴ればいい」 「それって、『俺と悪魔のブルース』の歌詞ですよ」  啓介と鬼頭は改めて目を合わせ微笑む。鬼頭はマスターに勘定を告げると席を立ち、啓介に向き直った。 「君にとって、命より大切なものとは何でしょう」 「多分――。生き方だと思っています。おれのよく聴くブルースとは、鎖に繋がれた者の唄ですから。きっと、自由になりたいんです」  そう言って啓介は、本音を漏らした。 「アメリカ式の、強者優先理論は嫌いかい?」と、一息、間をおいてから鬼頭が言った。 「殴り付けたいくらいに」と、相手の目を正面から見据え、啓介が答える。 「お前に何ができる?」  啓介はリチャードに合図して、旅行バッグを抱えあげた。M16の銃身を取り出して鬼頭に見せつける。 「その気になれば、こんな物がいくらでも手に入ります。鬼頭さん、おれを舎弟にしてくれませんか」  鬼頭は驚いたような顔をして小銃を手に取ると、マスターの方に視線をやり、少し考え込んだ。 「この物は、店に預けたまま帰りなさい。職務質問を受けると刑務所行きだよ」と言う。「明日の朝、うちの事務所に顔をだしなさい」  事前に啓介が調査した通り、グレイハウンドバスに顔をだす鬼頭は右翼思想の持ち主だった。首尾よく懐に飛び込めたように感じた。  林原順子は無事保護された。鬼頭が顔を利かせたのだ。数日間、病院などで休養をとれば、健康を取り戻すことであろう。忠興会一門は関東地区を中心に、総勢五千人の構成員、準構成員を抱える巨大組織だ。鬼頭は渋谷本部の本部長代行である。啓介は、そんなことをかねてから承知済みだった。そして自らを、右翼思想の国士を目指しているように装った。  ここ数日、街では外国人を見掛けることが多い。喫茶店の窓からは、街灯に照らされた深夜の井の頭通りがすっきりと見える。闊歩する多彩な人たちを眺め、啓介は、ポル・ポト閣下とカンボジアについて夢想していた。  キャタピラーが軋んだ音をたて、無数の頭蓋骨を踏み潰す。  エゴイズムの元凶は何だ。  文明、社会、テクノロジー。  格差、渇望、羨望、貧困、差別。  教育を破壊せよ。ライフラインを粉砕しろ。知識人を殺せ。  本を焼け。データーバンクを壊せ。  政治家、官僚、企業家、医師、技術者、宗教家、芸能人、文明の全て。  殺せ、殺せ、皆殺しだ。破壊しつくせ。  都市を消滅させろ。  貴様等の生首でウエディングケーキを作ってやる。鉄斧で入刀、叩き割る。  田園に苗を植えればいいんだ。  誰もが、貧しくともかまわない。 ――あぁ、まずい。こんなことを考えていると、ヤクザどもに怪しまれそうだ。おれは右翼青年を地で行かなくちゃな。



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作品データ

コメント数 : 4
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作成日時 2022-03-03
コメント日時 2022-03-21
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2024/11/23 17時12分10秒現在
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コメント数(4)
ふかお
作品へ
(2022-03-04)

19000字の投稿です。原稿用紙換算48枚ほど。中編小説からの抜粋になります。長くて読むのたいへんだと思います。 読まれた方も、内容が反社会的すぎて辟易するかも知れません。フィクションです。

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エイクピア
作品へ
(2022-03-21)

途中で終わっているのですね。抜粋であると。読むのに一時間近くかかったような。殺し屋と総括するには惜しい何かがあるような気がしました。東京遊泳と言うわけではないでしょうが、やはりメインの話は東京になる。ポルポト、クメールルージュ、詳しく知りたくなるような作品でした。

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ふかお
さんへ
(2022-03-21)

長文を、お読みくださり感謝いたします。 いわゆる冒険小説を好んでいた時期が私にはありまして、このようなものを書きあげました。近頃は読書をしていませんが、また小説か、児童文学に挑戦してみたいとも考えています。自分が元気な間の時間を文芸に費やしたいです。何のためにと問われれば、自分のためです。 小説は詩と違って、いろいろと調べものをすることが必要になります。それも楽しいことです。 yamabitoさんのことは、ずっと以前から存じ上げておりますので、コメントに嬉しく思いました。

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ふかお
エイクピアさんへ
(2022-03-21)

長文を、お読みくださり感謝いたします。 ポル・ポト思想を偶然に知り、その殺戮行為に驚愕を覚え、カンボジアにポル・ポト支持者が今なお存在していることへの問いがこの小説を書くことの動機になりました。 小説は、この後、破壊活動を描いていくのですが、もし書き直すなら、中川啓介がソネットと呼ばれる女性によって改心する物語にしたいと思います。

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