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2022年1月大賞作品「Twitterによくいる下手くそな詩を書くおばさん」
こんなものは詩ではない。 こんなものは人の興味を惹く「だけ」を狙った山師が書くもの。 こんなものは似非インテリジェンスと云って知性などないよ。 こんなものははっきり云ってあげないと作者のためにもよくないよ。 こんな上から目線な作品は不快ですともう一度云ってやれ。 こんなタイトルだけに凝ってる作品を面白がってんじゃない。 と、私は云いたくない。(いや微妙) この作者さんを私は好ましくおもっていて、いつも楽しんでいる。 はたして、 この作品及び、同一作者によるベスト3ぶっ込みの1月の結果をあなたはどう思われますか? 「この作品が大賞?なにかが違う」 そう云わなければ、あなたが、私が、一生懸命に編んだであろう詩がかわいそうじゃないか。 ※こちらの大賞作品についてもう一度語り合おうシリーズは作者さんからのコメントを決して求めるものではありません。(いや、書き込みにきてもよいが、それが主題ではない) 受賞作品を私は幾度も読んだ。近年、これほどびーれび投稿作品を読み返したこと、記憶にない。 こんな作品を読み返す暇があったら、本当は、一度も読んだことのない西脇順三郎や河上徹太郎でも読んでた方がいいに決まっている。 そんな戸惑いの理由を正直に白状しようか。 作品がどうこうというよりも、「私が書いたコメントが当たっていない」ことが嫌。 以下私のコメントの引用。 『この作品、おばさんが芸事に覚醒しそこに内包される聖なるものを表現されていて、私は良いと思う。俗なるもののなかにこそ聖なるものは宿るのよ的な、アンチスーパーマン主義、またそのテーマを補足するところからも「おばさん」という呼称から不快さを感じない。 この作品を人を蔑めてるなどといった浅い読みの人、ご自身の思考回路を少し疑われた方がよい。この世には優劣、強者弱者、浅深は真理としてある。それを有耶無耶にしてみんな仲良く褒め合うのは反知性。そんなことを思った。』 これ、ちゃうやろ?って今は思う。何が聖と俗だよ。こんな作者を喜ばせることを書いても、この作品にあるアイロニカルなメッセージを突いてはいないだろう。 この作品を真正面から受けて、言い当てる言葉は、作品へのコメントなんかじゃない。 「こんなことを書くあなたのスタイルが不快です」という作者宛てに不快感をはっきりと示してあげることではなかろうか。と、吐いても、すっきりしない。それは、この作風が計算された観念的なものでしかないからだ。 あなたが不快だよと、身体的な反応こそが正義だよ。この受賞作品、本当に強かだ。 私は物書きを嗜む者として、プロではないけれども人様に読んでもらえるように面白い文書を書きたい。作品も、短文のコメントであっても、自分の気持ちを「正直」に書くのではなくて、嘘でもよいから面白くて、前座のバンドがトリのバンドを食ってしまうように、作品を食ってしまうコメントを書きたい。そのエンタメという意での面白いだけではなくて、文学(人間)として誰人かの身体に影響を及ぼすような文書を書きたい。それからすればこの受賞作品は興味深いものであった。
2022年1月大賞作品「Twitterによくいる下手くそな詩を書くおばさん」 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 2797.2
お気に入り数: 0
投票数 : 1
作成日時 2022-03-01
コメント日時 2022-03-06
コメントありがとうございます。他人の作品なんか読まないということ、ネット詩カルチャーにある根幹なテーマですよね。違う言い方でネット詩カルチャーにはこれが存在していて「読めないやつは書けない。書けるやつは読める」ということ。つまり、ネット詩カルチャーとはある種、ゴルフに近いと思うんです。「あー、あいつのグリップ、あれは良いプレイヤーだよ」と判るやつは良いプレイヤーでもあるという。詩も同じで、まずプレイして楽しむことありきなんですよね。他人の作品を読むことが楽しみではない。私の場合は違っていて、私は小林秀雄さんの生まれ変わりなぐらいに批評眼があり、他人のしかも駄作な作品を楽しめるんです。なぜこの作品がダメなのかを考えれば考えるほどに、良作がわかってくる。駄作なんてものはないよ?って愚問がありますが、そんなことは当たり前で、駄作だという基準を自分で勝手に持っているにすぎない。ところが、人それぞれみんな違ってみんないいの思想のお花畑で白痴な人は駄作か良作かの基準を持てないから、ココア共和国の入選や佳作で一喜一憂する。自分で駄作か良作が判らないんですから、呆れますよね。ネット詩カルチャーが楽しめる人は高度な人。 すみません、固有名詞を引き合いに出してしまって。ちなみに私はココア共和国が大好きで、詩をビーレビに投稿する予定はないので、3月以降はココア共和国に投稿する予定です。
0ボルカさんがお示しの箇所、私は一番気になって仕方がないところでした。この作者、自分もおばさんと同じに想ってるやんって私は好ましく思ったんです。ところが作者は後に皮肉さを持ってこの作品をお終いにしている。若さといえば若さですが、この作品を皮肉にしているのがこの作品の一番イケてないところですよね。 あ、すみません、大賞作品なのに、イケていないとか、本音を言ってしまって。
1与沢翼さんのいいねは過信してはならないというお話で思い出したのですが、今時の歯の治療現場では痛さが伴う時、患者はスマホを握るらしいです。昔の幼な子はお母さんの手を握っていたのに。ロザリオが現代ではスマホで、「いいね」はあーめんと同じなんですよね。 そうそう、こちらの対象作品の裏テーマには、他人の作品にいいねすることによる「他人幻想」の強化と自尊心の失われへの問題提議が含まれているようにも思いました。少なくとも、私の批評文にはその含みをもたせていますよね。 (安心して本音のコメント書いてくださいね、ここには嫌なこと書かれて怒りだしたり、傷ついたりする作者は不在で、私たちが授かった作品だけがあるのですからという...)
1ボルカさんの再コメント以外にも真昼さんからのコメントもあり、対象作品を読み解く上で重要と思われる最期の佳境箇所を以下引用書き出ししました。 >ただ、そのおばさんたちには、毎日の料>理や洗濯の境を穿って、その窪みを彼女>たちの龕にし、それに熱烈な跪拝をする>修道女へと変身する時があることが分か>った。その時に曲げられる、老いはじめ>た背中たちの総観を想うと、うすら寒く>なり淋しい。また一方で、彼女たちの託>した瓶の中身が、流れ着いた渚の誰かに>読まれ、その人を感動させるいった、童>話的希望があるなんて、私の例からして>絶対とは言えないはずだ。この変身譚と>御伽噺のアイロニカルな結末が、おばさ>んたちをして、ちょっとありがとうござ>いますなんて、変な感謝をせざるを得な>かったんだと思う。 >好きだから書いているのですか? > どうでしょうか。書かされている>のかも。 この「書かされている」は「書いている」よりも宗教儀式的なる意味合いにおいては、、、これは本当に微妙なんですが、上位に位置すると捉えます。つまり、神が降りてきてる姿を示してると思うんですよね。でも、宗教的儀式の捉え方によっては、「書いている」の方が能動性があるとして積極的な信仰者として高い位置にあるとも云えるという。 こちらの私のコメント、前提を言うのを忘れていましたが、この対象作品本文の佳境箇所には宗教的儀式の文脈がありますよね?で、あるとしたら、結語の「書かされているのかも」のこの放り投げは、神降りで書かされているおばさんへの皮肉だと私は捉えますね。 言うまでなくどうでもいい話なんですが。
2ほんとにおっしゃる通りですっきりしないんですよね。真昼さんが一月のベスト3に選ばれた同じ作者の別の作品を出されているので、私は第4位に選ばれていりは同一作者の「俺の姉が障害者になっていた」を出しておきます。この作品タイトルは品がなさすぎる。社会的なメッセージ云々や、本文がどうこう以前にタイトルが下品過ぎ。また作者がどうこうよりも、このような下品なタイトルに平気で投票する品性無き読者がまた残念な人たちで、それは大賞作品についてもそう。この作品に投票するのは、もしかして、ビーレビお得意の高度な皮肉を示しているのかという。
1最近、新たな参加者も増えているように見受けるので、この場にて改めて紹介します。一月のビーレビ大賞作品について語り合っております。ぜひ、皆さんもこちらの作品についてコメントしてください。他人の作品を読もう、最低でも大賞作品には目を通そうというキャンペーンシリーズでもあります。
2作者が持つ連続性をみてみなくては何とも評し難いのが、特に詩作品にはありますよね。1作品だけではその作者が何を目指して書いていらっしゃる人なのか、判定出来ない。で、それについて、よく言われることとして、「あなたが作者と作品を切り離して読まれていないからだろう」という物言いがあって。作者と作品を切り離して読むのは不自然であると私は主張していたりするのですが、たとえば、以前に世間的にも騒がれた「絶歌」という元少年Aが書いた本がありましたが、これを読んだ時、「耽美的で美しい表現」に驚きました。これを例に出すのは掟破りかもしれませんが、文の表層に騙されてしまうのがテキスト論者の欠落と私はみており、元少年Aの「表層的な美しさ」に多くのテキスト論者は騙されてしまうことでしょう。というよりも、、表層しか読めぬ人は「絶歌」の駄作さよりも表面化していてわかりやすい元少年Aの「人格への言及」に終始する。(テキスト論者でありながら) まったく話が逸れてしまいましたが、この返レス、真昼さん宛てというよりも、自己主張が過ぎてしまった、おぢさんみたいで恥ずかしいです。
0作者がわかったとたんに、つるし上げしてやんの。
4このスレッドに書きこんでる人が、うろたん颱風氏をつるし上げているようですが。
1コメントありがとうございます。こちらのシリーズに最も必要な投げかくをいただきまして、ありがとうございます。いろんな回答が可能ですが、大変恐縮ですが、深尾さんにはご理解いただくことが難しいレベルな話になりますので、深尾さん、一度こちらの大賞作品のコメント欄をご覧ください。こちらの作者はハイレベルな方です。大丈夫です。 念のため付記すると、こちらのシリーズ、大賞受賞者への配慮、しておりまして。それは、2021年12月大賞作品へのシリーズ↓こちらをお読みください。 https://www.breview.org/keijiban/?id=8862
1>大変恐縮ですが、深尾さんにはご理解いただくことが難しいレベルな話になりますので、 分かりたくもないです。 作品と作者が切り離せないと言っておきながら、作品を酷評する姿勢。 テクスト主義であれば、酷評は許されると考えますが。 そして、作者によってころころ変える態度。
3私もこの作品はまず、「清廉ではない人」「かしこくもない人」「邪悪でもなく」「カリスマ性もなく」「これといった特徴もあたえられず」「なんとなく脱個性化された人たち」に対する作者の共感があると思いました。 まずはそこへの共感があり、具体化したとき、今回はそれが「おばさん」だったのだろうなと。 だから皮肉には思えないんですよね。 作品としてすごい素敵だと思うし、私はすごく好き。まっすぐ汗をかいてると思う。 作者の技巧というか、言葉をキラキラさせる力もすごいと思う。 ただ、「おばさん」と「未熟」を掛け合わせた時点で、この作品は、「おばさん」に内包された悲しさをさらけ出してしまったのだと思う。ある程度は利用したと思うけれど、コントロールできてはないように思う。 作者が終始シニカルな態度で書いたのなら成功しているのかも。ただ逆に、シニカルな態度で書いたなら中途半端に愛がありすぎる気がする。 どっちなんだろう。 大賞おめでとうございます。
1●作者様へ わたしは、一月の投稿月の期間中に、本作品を 良いとは思わなかったことは 既に書いたので 月間賞該当作品をあらためて語るというこのスレッドには なにも書かずにおこうとおもっていたのですが、作者様に一点だけ 作者様に言い忘れていたことがあるので、言います。 ご承知のとおり、私の場合は この作品投稿の該当月には、このドラマの女性だけに 感情移入をして憤慨して読んだことは、既に ご存知のとおりです。 読者に対して書かれた美しい言葉の箇所を、みうらさんのような方が やたら絶賛しておられ、それがまた 私の首を大きく傾げる理由になったりもました。 私の場合は この女性の気持ちは 大丈夫かしらと 思わずにはいられなかったんです。話し手が 記述している温かい感懐を、はたして その女性に とどけたのだろうか。と、そんなことが 私の場合は やたら気になりました。 この詩の世界はコミニケションではなく、デスコミュニケーションな様子だと、私の場合は感じて うすら寒いと、感じたわけです。もっと正直にいうなら、つまり、セクハラだと感じました。 そんなことをあらためて書かなくても、この詩のことを 私が嫌いなのは、バレバレです。ただ、私は言い忘れてたことがありました。私が この詩に なぜか魅入られたのも事実なんです。それは、お伝えしてませんでした。私は、また おりをみて この詩を読み返してみようと思います。 一月の月間賞 おめでとうございました。
1吊るし上げにみえる件、一つの貴重なご意見として今後、再考しましょう。
0先月に引き続きコメントいただけて嬉しく思います。 そうですね、この作品が散文だとしたら完成度を求めるのも的外れかもしれませんが、作者が自身の思索の覚書程度に書かれてあるのだとしたら、とても魅力ある探究者の作者さんだなあと思います。
0セクハラについては個々人が持つ温度差があるので、なんとも言えないですよね。深尾さんからの苦言もそうですが、人によってはこのコメント欄がいじめの現場のように映ってしまう人もいるだろうなと。で、そういう、あらゆる人へ配慮しだすと、ものすごいディスコミュとディストピアが出来上がってしまうでしょうね。みんなそんなこと望んでいないのに。
0こちらのシリーズはまだ続けていこうかなと思っておりまして、また来月もコメントいただけましたら嬉しく思います。 他人の作品にコミットすることについての制限、不特定多数を相手にしてる場にあっては、こちらの空間はある程度のバランスがあっていいように感じます。他の大手投稿サイトでは、「傷ついた傷つけた」の印象になるやりとりが発見されるとかなりの確率で削除されるらしいです。
0今のビーレビの大賞選定システムは、完全に参加者に委ねられていて、歯痒さを時にその結果に抱きながらも、このシステムを実装された元運営のふじりゅうさんの意図を邪推すると楽しめたりするわけなんですが、つまるところ、はっしょったざっくりな私の意見になりますが、民度を上げるしかないですよね。そこに何かアプローチするとまた面白くビーレビがなるんじゃないかなと、考え始めたこちらのシリーズであったりしますね。
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