毎年1月になるとぼんやりと思い出すことがある
1月といえば、お正月だ
お正月といえば、お年玉という認識が私にはある(書きながら、いささか卑しいと思っている)
子供のころお年玉を頂いていた
(我が家は、20までを子供と定義していた)
うちの家は、親戚との関係があまりなく(なんなら、ない)
お年玉は両親から貰っていた
幼い頃は、無邪気にお年玉頂戴と言ったものだが、思春期をすぎると、もらうとわかっていても、気づいていないふりをして、わざとらしく感謝の言葉をのべた(私の演技は棒だと友人に太鼓判をおされている)
問題は使い方である。残念ながら私はお金を計画的に使う能力に恵まれていない。結果として、小遣いを貰ってもすぐになくなってしまう。毎月、下旬にお小遣いを貰っていた。12月には、友人の誕生日が詰まっている。よって、12月の小遣いは、秒でなくなる。1月の下旬まで、なにもできないのだ。大好きな漫画が刊行されても、その日に買えないのだ。ああ、何たる悲劇!
そこで、私はお年玉を使おうではないかと思う。そう思って、店まで札を握りしめていく。そこまでは、勇ましいのだ。そして、獲物を手に取り、レジに並ぶ。すると、猛烈になえるのだ。ピッタリした言葉が思いつかないが、強いて言うなら背徳感というやつなのだ。
計画的に、お金を使う事ができれば、漫画1冊を万札で買う必要はない。店の方も、うっすら、お年玉ということはわかっていたはずだ。計画ができない子と思われていると感じるのは、自意識過剰だとわかっていても、独特の胸騒ぎがした。不思議なもので、お年玉だけが私を動揺させた。
作品データ
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作成日時 2022-01-16
コメント日時 2022-01-27
#現代詩
#縦書き
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2024/11/21 19時40分31秒現在
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お年玉はほとんどの方なら記憶があるかと思いますが、まったくお年玉のおの字もない方の話なら読んでみたいとも思いますね。
0お年玉という面白いモティーフだけれども、後半少しばかりごちゃついた感が否めない。 背徳感や、独特の胸騒ぎに、もう少し踏み込んで欲しかった。
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