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肛門のリアリティ
肛門のリアリティ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 3566.7
お気に入り数: 1
投票数 : 7
ポイント数 : 7
作成日時 2022-01-12
コメント日時 2022-01-26
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 2 | 2 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 2 | 2 |
エンタメ | 1 | 1 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1 | 1 |
総合ポイント | 7 | 7 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 0.5 | 0.5 |
技巧 | 0.5 | 0.5 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0.5 | 0.5 |
総合 | 3.5 | 3.5 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
愛は虚構である。
0身に迫るほどの詩をかけたのなら、幸いです。
0グッときました。 介護施設で働く母は、逆の事を言っていました。自分は、癒されるのだと。相手の気持ちは分からないけれど、自己満足にしか過ぎないけれど、、と、せっせとよだれかけを、『頼まれてもいないけれど。古くなったから、作ってあげたくて。』と夜なべで作っていました。
0コメント嬉しいです。思いは違えど、人を助けることは同じ。人は言葉ではなく、手を見なければいけない。行動を見なければいけない。お母様の姿、素晴らしいものです。
1ありがとうございます。 言葉ではなく、手を見なければならない。心にとめておきます。
0新しい知見になれば、嬉しい限りです。再度のコメント感謝しています。
1>彼らの肛門のような所に、最高のリアリティ現実は、息を潜ませている それを昆虫のような眼差しで、見つめなければならない この文句を何度も思い返しました。 好きです
0愛とは何かということを、考えさせられた。単なる利他ではないらしい。
0何度も思い返してくださり、嬉しいですね。ありがとうございますね。ちなみに、今日もリアリティを見てきましたよ。
0愛とは何かわかりません。はい。
0締まってますね!
0はいよ!
1髙橋役目様 >単なる利他ではないらしい。 むかし、山田かまちの詩集の中の言葉で、利己を突き抜けて利他へ、というような言葉を、見つけたのを思い出しました。 私は思う。利己すらなおざりにしてる奴が多いと。貪欲さが足りない。貪って貪って、その先に見えて来る、利他が欲しい。変に諦観して、悟ったという風をして、相手を思いやるというのは、あかんっすね。 私は思う。選ぶことは、選ばなかったことへの、弔いやと。その申し訳ないみたいな、その悲哀の心持ちが、心を引き締めて、緊張感を齎し、強かに優しくするんやと思う。その申し訳なさ、色んなところで、必要やと思う。 私は思う。詩人は詩人と名乗るべきじゃないと。ほんまにそうなんかな。詩ってさ、それを読む人って、大多数は詩なんか書かへんやろ、そんな人たちにさ、詩人と名乗るべきか否かの、難しい議論と知識の交わし合いなんて、重荷になるだけやん。だから、私はさ、なんの躊躇いもなくさ、詩人と名乗るわ。 この三つはさ、この詩に関係あんねん。関係なさそうやろ。でも、あんねんな。私は私の生活の強さから、それを愛と呼びたいよね。やっぱ生活よ。生活。生活。前は、雑な返答してごめんなさい。
1「昆虫のような眼差し」に、グットきました。なんだか、エジプトのフンコロガシ(スカラベ)みたいで 尊いです。
0理解していただけないコメントを 私は書いてしまった気がするので つけくわえます。 スカラベのように 尊いと いう意味のことを 書きましたが、スカラベを みみずと 読みかえて いただいたほうが 良いかも しれません。 わたしの昨年は、家族の 下のことで いろんな思いを いだきました。そんな私には この詩は、尊いものだったんです。
0コメントを寄せてくださって、感謝しています。昆虫類をスカラベやみみずになぞらえて読んでみたいです。尊いという言葉に、思わず目を見張り、喜んでしまいました。ありがとうございますね。
1リアリティに愛とルビが振ってあるのが印象的でした。ああ、現実ともルビが振ってありました。介護のリアリティなのかもしれないと思いました。無償への機会、ここも詩が社会と切り結ぶ、ガレ場なのかもしれません。
0社会と結びつきのある言葉をいつも探していました- ありがとう、ございます、
0社会と結びつきのある言葉をいつも探していました- ありがとう、ございます、
0「最高のリアリティ」は実際の体験からしか理解できないと思うが、書き手を通してニアリアリティを知った。
0>体を洗っても >飯を用意しても >薬を飲ませても >歯を磨いても >布団を敷いても >礼の一つも言わないのだ 自分は牧場で生後2~6カ月の子牛を日々世話をしているのですが、真っ黒な子牛たちを思い浮かべてしまいました。 餌をやって薬を飲ませたり注射したり、中耳炎の治療したり、脱水や低体温なら点滴したり。 でも何をやっても結局、興味深く見つめて近寄っては舐め回してきて、モーと鳴くばかりです。 >糞まみれの尻の穴を拭いても同じこと >だが、私は知っている >彼らの肛門のような所に、最高のリアリティ現実は、息を潜ませている >それを昆虫のような眼差しで、見つめなければならない 同意です。 自分は酪農を7年、肉牛はあと少しで1年従業員をやってますが、そういう汚いところにこそ詩情があったりしますね。 牛の世話とは糞尿と戦う事でもあります。 牛の肛門に体温計を突っ込んで健康管理。 思えば肛門ばかり見る仕事です。 障碍者介護も同じなのでしょうか。 肛門よ 糞クソ出して 真理説く
0コメントありがとうございます。 体験は共有できるのか否か。 私はできないと思います。 しかし、できるのだと、みんな幻想を抱きたいのだと思います。 理由単純。ひとりぼっちって、寂しいから。 この理由に嘘をつく輩が多い。
0しかし、私は、その幻想を抱きたいのです。リアリティを知っていただき、ありがとうございました。
0コメントありがとうございました。 この詩では、体験から得た、良いことそうなものを、書いてますが、ほぼほぼ、嘘です。 そんなこと、思ってもいません。 しかし、それが、羽田様の、牛の世話という、体験とつながったのならば、嬉しい限りです。
0返詩 糞まみれの 真理は あたたかくて 大事にしまっておけない 汚いからさ
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