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びりびりびり
雷は綺麗だな、と思う 私の内蔵を伝って、意識が流れ落ちていく、びりびり それなりに使いこんだまんこはきつくて気持ちが良いと褒められることもあったけど、意識をあなたに犯されてから、もうそのことに大した意味は無くなった、のかも知れなくて 悪戯・戯言・残酷・運命 記憶の彼方は今、つまりなう!なのかも知れなくてまた芽吹く小さな恐れとぜつぼーが再び空を蝕んでいくから 雪が降る 翡翠の目が無数に転がる神様に爪立てられた零下の地は或いは海で空だから 覆い尽くす祈りみたいに 雪が降る びりびりの電流によって縛られたグレイ・ハウンドが雪を踏む日 カラフルとカラカルなおーばーどらいぶ欲情を許す日に 私の肉は崩れて、一筋の電流に戻ってしまう 永遠に許すことは無い綴じた目と唇と子宮を、薄っすらと開いて、記憶の、今、をごくりと飲み込む 指先 には 伝わることの無い 思いが震えていて 唇で啜った びりびりびりっと体中の毛が逆立って 溢れた痛みの証明のような涙を 意識が追いかける 無数のグレイ・ハウンド 無辜の丸い目 記憶を剥いで 意識を削いで 肉を抉って あなたを求めてた、いつかの私が、常に笑って居る 足の指を開いて 穢れて、冷たい地に爪を立てて 踏む 強く dance、 あなたと踊りたいよ びりびりびりびりびりびりびりびりびり ばちばちばちばちばちばちばちばちばち たまに、きらっと、光って、 その度に空の中、あなたを思う、何度でも。 ねぇ、遊ぼ!!!!!!!!! ってな感じで、あけおめことよろ
びりびりびり ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1206.3
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 3
作成日時 2022-01-11
コメント日時 2022-01-16
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 1 | 1 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 3 | 3 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 1 | 1 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 3 | 3 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
成長が止まったと思う。 再生産していい味が出る書き手とそうでない作家がいると思うのです。白犬先輩は後者。作者の美意識が固いものとして当初からあり、その固定化された美意識に確率変動が起きたと最近の作品に私はみていたんです。解放される過程が楽しめた。ところが今作には予定調和しかない。直近の前作と今作にそんなに違いある?と言われりかもしれませんが、あります。言わないけど。白犬先輩、もう一回、奈落の底に墜ちて、それからまた這い上がりましょう。
0いや、前作と今作の違いを報告します。 前作の、れでぃごーは◯。今作のことよろは×。この差は大きいです。
0擬音語の効用と難しさについて、考えさせられました。
0お読みくださり、有難うございます。 うーん、そんな風に受け取られたか。。。むしろ、私はこの作品、今までに無く開放的な気分で書いたんです。というより、意識的に自分を開放する、という作業に近かったかも知れない。私は今まで、書くことを殆ど無意識の作業として行って居て。三浦さんの言うように、それは奈落の底で藻掻き続ける感じの行為でした。詩を書く人は多かれ少なかれ経験あると思うんですけど。もう、私はそれは嫌なんです。無意識の苦しみの産物と、意識的に前に進もうとすることの間に、どれだけの差異があるのか判ら無い。というか、差異も意味も無いかも知れ無い。それでも、もう、私は自分の足で進みたいと思うんです。確かに、使ってる語彙も文の流れも、以前とそう大差無く、再生産と受け取られても仕方無いんですが。。。また、基本めんたるが豆腐なので、この気持ちが何処まで持続出来るのかと言う疑問もありますが。でも、作者としては、今までとは違う、新たな思いを込めた詩のつもりでしたし、予定調和のつもりも無いです。と、思ってたけど、読み直したら、言わんとすること判るかな。。。うぬぅ。残念と言えば残念なこめでしたが、有難う。奈落の底に有り続けることが、果たして正しいのかどうかも含めて、考えながら、また、書いて行きます。後、確率変動の意味判って無いあほの子だから、調べますw あけおめはええやろ! 感想・ご批評くださり、有難うございました。
0お読みくださり有り難うございます。 純愛///冬のそなたが浮かぶ程度にはおばさんです。見たこと無いけども。純愛ってなんでしょうね。。。私は好きとなったら好きなので、一直線に動物的欲望にも走るし、聖化もします。単なるあほの子です。ただ、思いを遂げるのって、ほんと難しくて。だからこそ、恋愛物や失恋物といった作品が世の中には溢れて居るのでしょうが。叶わないけれど求めてしまう、というのは、どうしても自分の中にあって。それは苦しいので、何度も気持ちを殺せればと思うのですが、一方でこの気持ちを失ったら自分はもう生きてけ無いんじゃないか、みたいな感覚もあり。その辺がきわきわ感の要因にはなってるのかも。嘘なんですけどね、たぶん、失ったら生きていけ無いなんて。でも、性と生は自分の中では繋がってる面があるのだなと思います。幼い頃、恋愛に興味の薄い子供だったので、何故、今恋愛詩のようなものを中心に書いてるのかさっぱり判りませんがwなっちゃったもんはしゃあないですねw 感想・ご批評くださり、有難うございました。
0お読みくださり、有難うございます。 擬音語、私はあまり凝るたいぷでは無いんですよね。もちろんその用い方やそもそもの擬音語作り等、巧いたいぷの詩はあり、凄いなぁとは思うのですが。どっちかと言えば、私は自分の詩には、しんぷるな、通俗的な位の擬音語を使いたいと感じて居ます、今のところ。その方がしっくり来るというか。ただ、それが、詩の細部まで拘ることの出来無い、自分の詩作の大雑把さという弱点を現してるような気がしないでも無いな。。。と、うろたんさんのこめをいただいて、考えました。どのような表現が自分の詩に合うのか、色々試行錯誤して行けたらと思います。 感想・ご批評くださり、有難うございました。
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