二〇一六年九月一日 「断酒」
FBで、しじゅう poke される方がいらっしゃるのだけれど、正直、返事が面倒。すてきな方なので、「poke やめて」と言えないから言わないけど。
9月のさいしょに文学極道に投稿する予定の『全行引用による自伝詩。』かなりよい出来だけど、あまりに長いので、投稿が来週か再来週になりそう。
きょうのワード打ち込みは2ページ半くらいだった。いまの状態で、A4で15ページ。あしたは、フルに休みだから、できたら、あしたじゅうに、新しい『全行引用による自伝詩。』を完成させたい。まあ、無理でも、来週か再来週には完成させて、文学極道の詩投稿掲示板に投稿したいと思っている。
これから王将に行って、それから塾へ。きょうから、しばらく断酒して、通常の生活リズムに戻すつもり。がんばろう。
いま日知庵から帰った。帰りに、いま70円均一セール中のおでんを、5つ、セブイレで買った。お汁大目に入れてよと言うのが恥ずかしかったから、言わなかったら、お汁、ほとんどなくって、ひいたわ。お茶といっしょにいただく。おやすみ、グッジョブ!
二〇一六年九月二日 「天国・地獄百科」
塾から帰ってきて、届いていた郵便物を見ると、ホルヘ・ルイス・ボルヘス&アドルフ・ビオイ=カサーレスの『天国・地獄百科』が入っていた。先日、ぼくの全行引用詩に体裁がそっくりと言われて、Amazon ですぐに買ったものだったけれど、体裁がまったく違っていた。花緒というお名前のおひとだが、はたして、ぼくに嘘をつく理由がどこにあったのかしら?
あしたには、文学極道の詩投稿掲示板に、新しい『全行引用による自伝詩。』を投稿できるように、一生懸命にワード入力しよう。あしたは一日オフだから、なんとか、あしたじゅうには……。あとルーズリーフ16枚にわたって書き込んだもののなかから選んだものを打ち込めばいいだけ。今夜も寝るまでやろう。
二〇一六年九月三日 「あしたから学校の授業がはじまる。」
来週、文学極道の詩投稿掲示板に投稿する新しい『詩の日めくり 二〇一六年八月一日─三十一日』の下準備が終わった。きょうじゅうに出来上がりそうだ。あとはコピペだけだものね。マクドナルドでダブルフィッシュを食べてこようっと。
あしたから学校の授業がはじまる。心臓バクバク、ドキドキである。なんちゅう気の弱い先生だろう。まあ、いまから顔をこわばらせても仕方ない。きょうは、はやめにクスリをのんで寝よう。
4時に目が覚めたので、きのう、文学極道に投稿した新しい『全行引用による自伝詩。』のチェックをしていた。7カ所に、誤字があった。すべて直しておいた。2回チェックしたので、だいじょうぶだと思う。きのうも、寝るまえにチェックしたときの誤字を含めて、7カ所だよ。まあ、長い作品だしね。
二〇一六年九月四日 「きょうは言えた」
きょうは、2カ月ぶりの学校の授業。がんばらなくっちゃ。コンビニに行って、おでんと、お茶を買ってこようかな。いま、セブイレでは、おでんが70円。これが朝ご飯だ。コンビニに行くと、おでんは、しらたき4つ、大根6つ、玉子4つしか残っていなかった。売れているんですねと言うと、鍋をもってきて買う人もいはりましたよとのこと。ぼくは、しらたき2つ、大根2つ、玉子1個を注文した。お汁を多めに入れてくださいと言った。このあいだ言えなかったから。麦茶と。
これからお風呂に。それから学校に。ちょっと早めに行って、教科書読んでいようっと。
ブリンの『知性化戦争』の上巻を読んでいる。
きみの名前は?(デイヴィッド・ブリン『知性化戦争』下巻・第四部・54、酒井昭伸訳、99ページ・7行目)
二〇一六年九月五日 「詩の日めくり、完成。」
また4時起きで、コンビニでおでんと、おにぎりを買って食べた。さすがに、おでん8つは、おなかに重い。おにぎりは1つだけ。7時くらいまで、横になって休んでいよう。それが終わったら、文学極道に投稿する新しい『詩の日めくり』をつくろう。
腕の痛みがすごいので、作品つくりはやめて、横になっていた。
やった~。きょうの夜中に、文学極道の詩投稿掲示板に投稿する新しい『詩の日めくり 二〇一六年八月一日─三十一日』が完成した。さいしょの方の日付けのところで、びっくりされると思うけれど、ぼくの『詩の日めくり』のなかでも、かなりよい出来のものだと思う。お祝いに、セブイレでも行こう、笑。
じっしつ、2時間でコピペは終わったんだけど、『詩の日めくり』は下準備に時間がかかる。まあ、そんなこと書けば、『全行引用による自伝詩。』も半端ない時間を費やして書いてるもんなあ。まあ、作品の出来と、かかる時間とは、なんの関係もないけど。思いついて数分で書いたものでもいいものはいい。
きのうは、分厚い本を2冊、飛ばし読みして読んだけど、けさは、一文字一文字ていねいに、コードウェイナー・スミスの全短篇集・第二巻を読んでいた。すでに読んだことのある短篇だけど。まだ途中だけど、冒頭の「クラウン・タウンの死婦人」ってタイトルのもの。スミスの文章にはまったく無駄がない。
自分へのお祝いに、酒断ちをやめて、日知庵に行こう。えいちゃんの顔を見て、ほっこりしよう。酒断ちは2日で終わった~、笑。5時から行こう。
いま日知庵から帰った。きょうは、日知庵で、Fくんといっぱいしゃべれて、しあわせやった。やっぱ、いちばん、かわいい。これから、お風呂に入って寝る。おやすみ。グッジョブ!
二〇一六年九月六日 「9回のうんこ」
けさ、いい感じの夢を見て(夢自体は忘れた)目がさめた。きのう、Fくんと日知庵で楽しくしゃべることができたからやと思う。学校からの帰り道、電車に乗りながら、Fくんは、ぼくにとって、福の神かなと思っていた。
きょうは、えいちゃんと、きみやに行く約束をしてて、いまお風呂からあがったところ。きのうはビールを飲みまくって、けさ起きられるかどうか心配だったのだけれど、目覚ましが起こしてくれた。きょうも飲むんやろうなあ。ビールの飲み過ぎなのかわからないけど、きょう8回も、しっかりうんこをした。
えいちゃんと、きみやで飲んでた。帰ってきたら、メール便が届いていた。近藤洋太さんから、現代詩文庫231「近藤洋太 詩集」を送っていただいた。一読して、言語を虐待するタイプの書き手ではないことがわかる。用いられている語彙も難解なものはなさそうだ。あしたから通勤のときに読もう。
いまさっき、9回目のうんこをした。しっかりしたうんこだった。どうして、きょうに限って、こんなに、うんこが出るのか、理由は、わからないけれど、なにか精神状態と関係があるのかもしれない。
きょう、2回目の洗濯をしているのだが、干す場所がないことに気がついた。
二〇一六年九月七日 「そこにも、ここにも、田中がいる。」
豊のなかにも、田中がいる。
理のなかにも、田中がいる。
囀りのなかにも、田中がいる。
種のなかにも、田中がいる。
束縛のなかにも、田中がいる。
お重のなかにも、田中がいる。
東のなかにも、田中がいる。
軸のなかにも、田中がいる。
竹輪のなかにも、田中がいる。
甲虫のなかにも、田中がいる。
二〇一六年九月八日 「警報解除」
これから学校へ。警報解除で授業あり。
いま学校から帰ってきた。これからお風呂に入って、塾へ。帰りに、日知庵によろうかな。きょうが、いちばん忙しい日。あした休みだけど。土曜には学校がある。連休がないのだ。今年度は、それがつらい。連休でないと、疲れがとれない年齢になってしまったのだ。
二〇一六年九月九日 「きみやの串カツデイ」
さっき、きみやから帰った。えいちゃんといっしょ。また、佐竹くんと、佐竹くんの弟子ふたりといっしょに。きょうは、きみやさん、串カツデイやった。ぼくは、えび串2尾とネギ串を食べた。佐竹くんの弟子ふたりのはっちゃけぶりが、かわいかった。えいちゃんは、途中で席をはずしてたけど、笑。
二〇一六年九月十日 「きみの思い出。思い出のきみ。」
自分自身がこの世からすぐにいなくなってしまうからか、この世からすぐにいなくなってしまわないものに興味を魅かれる。音楽、文学、美術、映画、舞台。まあ、現実の人生がおもしろいと云えばおもしろいというのもあるけれど。
きみの思い出。
思い出のきみ。
きょうは、夜に日知庵に行く。Fくんもくるっていうから、めっちゃ楽しみ。それまで、来月に文学極道の詩投稿欄に投稿する新しい『全行引用による自伝詩。』を、ワードに打ち込んでいよう。
いま打ち込んでいる『全行引用による自伝詩。』が素晴らしすぎて、驚いている。今月、文学極道の詩投稿掲示板に投稿した『全行引用による自伝詩。』が飛び抜けて素晴らしい出来だったのに、それを確実に超えているのだ。ぼくはきっと天才に違いない。
来月、文学極道の詩投稿掲示板に投稿する新しい『全行引用による自伝詩。』のワード打ち込みが終わった。脳機能があまりにも励起され過ぎたため、それを鎮めるために、お散歩に出ることにした。フフンフン。
いま日知庵から帰ってきた。Fくんと、ずっといっしょ。しあわせやった~。こんなに幸せなことは、さいきんなかった。きょうは、Fくんの思い出といっしょに寝る。おやすみ、グッジョブ!
二〇一六年九月十一日 「キーツ詩集」
きょう、日知庵に行くまえに、ジュンク堂書店で、岩波文庫からキーツの詩集が出ているのを知ったのだった。原文で全詩集をもっているのだけれど、書店で岩波文庫の詩集を読んでいて、数ページ目で、えっ、と思う訳に出くわしたのだった。現代語と古語が入り混じっている感じがした。どちらかに統一すべきだったのでは、と思う。
キーツの詩集、岩波文庫だから、買うと思うけれど、訳をもっときっちり訳する人に訳してほしいなと思った。パウンドの詩集がそのうち、岩波文庫に入ると思うけれど、訳者は、新倉俊一さんで、お願いします。
二〇一六年九月十二日 「20億の針」
近藤洋太さんの「自己欺瞞の構造」を読んだ。小山俊一という一知識人の思索の跡を追ったものだった。こころ動かされるのだが、そこにも自己欺瞞がないわけではないことを知ってしまうと、世界は嘘だらけであたりまえかと腑に落ちる部分もある。これから晩ご飯を買いに行く。食欲も自己欺瞞的かな、笑。
けっきょく、イーオンに行って、カレーうどん(大)510円を食べてきた。この時間に、ゲーム機のあるところに子どもの姿がちらほら。保護者はいなさそうだった。危なくないんかいなと思う、他人の子どものことながら。さて、これからふたたび、ワードの打ち込みをする。
きのうジュンク堂で、ハル・クレメントの『20億の針』を10ページほど読んで、おもしろいなあと思ってたところで、店員のゴホンゴホンという声がしたので、本を本棚に戻した。続篇の『一千億の針』との二冊合わせの以前のカヴァーがよかったのだけれど、Amazon で探そうかな。
二〇一六年九月十三日 「魂についての覚書」
魂が胸の内に宿っているなどと考えるのは間違いである。魂は人間の皮膚の外にあって、人間を包み込んでるのである。死は、魂という入れ物が、自分のなかから、人間の身体をはじき出すことである。生誕とは、魂という入れ物が、自分のなかに、人間の身体を取り込むことを言う。
二〇一六年九月十四日 「久保寺 亨さんの詩集『白状/断片』から引用。」
集英社のラテンアメリカ文学全集がすばらしくて、なかでも、フエンテス、サバト、カブレラ=インファンテ、コルターサルからの引用が多いぼくである。すべて学校の図書館で借りて読んだのだけど、あとで欲しいものを買った。いま本棚を見たら、1冊、買い忘れてた。リスペクトールだ。Amazon で探そう。
リスペクトール、読み直す気はほとんどゼロだが、買っておいた。奇跡的な文体だったことは憶えている。考えられる限り無機的なものだった。
きょう、久保寺 亨さんという方から、詩集『白状/断片』を送っていただいた。本文に、「ういういしい0(ゼロ)のように」という言葉があるが、ほんとに、ういういしかった。奥付を見てびっくり。ぼくより10年長く生きてらっしゃる方だった。ういういしい詩句をいくつか、みなさんにご紹介しよう。
白状しよう。
ぼくが詩を遊んでいると、
詩の方もぼくを危なっかしく遊んでいて、
遊び遊ばれ、
遊ばれ遊び、
この世に出現してこなければならない詩像があるかのように、そのように……
(久保寺 亨「白状/断片」Ⅴより引用)
ざあざあ降る雨の中で、
さかさまに、じぶんの名を呼んでみようか、
ラキアラデボク、ラキアラデボク、
いったいそこで何をしている、
ざあざあ降る雨の中で一本の樹木にもたれて、
雨のざあざあ聞きながら、
この世界を全身で読み解くことができないで、
……ラキアラデボク、ラキアラデボク……
(久保寺 亨「白状/断片」Ⅶより)
「そもそも哲学は、詩のように作ることしかできない」
とヴィトゲンシュタインは語ったが
ぼくは「哲学するようにしか詩を作ることができない」
(久保寺 亨「白状/断片」Ⅷより)
ぼくがどこに行こうと、そこにはぼくがいて、
ある日の0(ゼロ)流詩人としてのぼくは、堤防の上にしゃがみこんで、
ぼくがぼくであることの深いツカレを癒そうとしているのだった。
(久保寺 亨「白状/断片」Ⅹより)
樹齢七百年の大きな樹木の前に立って、
ぼくは、七百年前の「影も形もないぼく」のことを
切々と思っていたのだった。
ああ、七百年前の「影も形もないぼく」がそこにいて、
そして、そのぼくの前に、ういういしい新芽が一本、
風に吹かれてゆれていて……
(久保寺 亨「白状/断片」XVより)
白状しよう。
「空(くう)の空(くう)、いっさいは空(くう)の空(くう)なり」
という響きに浸されつづけてきたのだった。
そして今さらのようにぼくは、
「空の空」なる断片を、
輝かしく散らしていこうとしている、
「空の空」なるただのぼくとして。
(久保寺 亨「白状/断片」XVIより)
久保寺 亨さんの詩集『白状/断片』から、とくに気に入った詩句を引用してみた。とても共感した。思考方法が、ぼくと似ているということもあるだろう。しかし、10歳も年上の方が、こんなに、ういういしく詩句を書いてらっしゃるのを知って、きょうは、よかった。
久保寺さんの詩句を引用してたら、40分以上たってた。クスリのんで、寝なきゃ。おやすみなさい。グッジョブ!
二〇一六年九月十五日 「そして、だれもいなくなったシリーズ」
そして、だれもいなくなった学校で、夕日がひとりでたたずんでいた。
そして、だれもいなくなったホームで、電車が自分に乗り降りしていた。
そして、だれもいなくなった公園で、ブランコが自分をキコキコ揺らしていた。
そして、だれもいなくなった屋根の上で、雲が大きく背をのばした。
そして、だれもいなくなった寝室で、雪がシンシンと降っていた。
そして、だれもいなくなった台所で、鍋がぐつぐつと煮立っていた。
そして、だれもいなくなった玄関で、プツがプツプツと笑っていた。
そして、だれもいなくなった玄関で、靴がクツクツと笑っていた。
そして、だれもいなくなった会社で、課長がひとりで踊っていた。
二〇一六年九月十六日 「怨霊」
きのう同僚の引っ越しがあって、手伝ったのだが、引っ越し先の床の上に悪魔の姿のシミがあって、そこに近づくと、鍵が置いてあった。家が山手にあって、洞窟までいくと、人食い鬼が現われて追いかけられたが、鬼の小型の者がでてきて、互いに争ったのだが、そこで場面が切り替わり、幼い男の子と女の子が玄関先で互いに咬みつき合っていたので引き離したが、お互いの腕に歯をくいこませていて全治2カ月の噛み傷だという話だった。怨霊がとりついていたのだ。という夢を見た。ドラマみたいだった。「子どもたちも戦っていたのだ。」という自分の呟き声で目が覚めた。
二〇一六年九月十七日 「ダイスをころがせ」
日知庵に行って、帰りに、岡嶋さんご夫妻とカラオケに行って、いま帰ってきた。ひさしぶりに、ストーンズの「ダイスをころがせ」を歌った。気持ちよかった。きょうから、クスリが一錠変わる。いま8錠のんでるんだけど、なかなか眠れない。きょうは、帰りに道で吐いた。くだらない人生してるなと思った。まあ、このくだらない人生が唯一の人生で、愛さなくては、情けなくなってしまう、哀しいものだけれど。
二〇一六年九月十八日 「ヤリタミサコさんの朗読会」
7時から9時まで、河原町丸太町の近くにある誠光社という書店でヤリタミサコさんの朗読会がある。恩義のある方なので、京都に来られるときには、かならずお顔を拝見することにしている。大雨だけど、きょうも行く。
朗読会から、いま帰ってきた。朗読されるヤリタミサコさんが出てくる詩集をつくるのだけれど、その表紙に、ヤリタさんのお写真が欲しかったので、きょう、バンバン写真を撮ってきた。もちろん、表紙に使ってよいという許可も得た。ヤリタさんの詩の引用も多量に含まれる詩集になる。来年か再来年かな。
二〇一六年九月十九日 「詩集の編集」
きょうは、朝から夜まで大谷良太くんちに行ってた。お昼ご飯と晩ご飯をごちそうになった。ありがとうね。ごちそうさまでした。
自分の原稿のミスに気がついたときほど、がっくりくることはない。雑誌に掲載されたときもだけど、とくに詩集にして出したあとに気づくことは。これって、自分で自分を傷つけてるんやろうか。
二〇一六年九月二十日 「大根とは」
大根とはまだ一回もやったことがない。
二〇一六年九月二十一日 「黒いアリス」
このあいだ、1枚15000円で買った Hyukoh のミニアルバム2枚が、11月に日本版が2枚ともリリースされることが決まったらしい。1枚2000円くらいかな。まあ、いいや。ちょこっとだけ意外だったけど、というのは、アーティストの意向で日本版が出ないと思ってたからなんだけどね。長いこと、出なかったからね。
そういえば、むかし古書で、絶版で、なかなか手に入らないものをバカ高い値段で買ったのだが、数か月後に復刻版が出て、びっくりしたことがあるが、復刻されるという情報を、持ってたひとが知ってたのかもしれない。しかし、トム・デミジョンの『黒いアリス』は復刻しないと思う。するかなあ。8888円で、ヤフオクで落札した記憶がある。フレデリック・ブラウンの『さあ、きちがいになりなさい』も復刻したくらいだから、『黒いアリス』も、いつか復刻するかもしれない。レーモン・ルーセルの『ロクス・ソルス』は、どうだろう。復刻するかな。これも高かった記憶がある。まあ、このネット時代、お金を出せば、欲しいものは、ほとんど手に入る世のなかになったので、ぼくはいいと思っている。ブックオフもいいなあ。自分の知らなかった傑作に出合えるチャンスもあるからね。本との偶然の出合い。あと何年生きるのかわからないけど、ネット時代に間に合ってよかった。ちなみに、トム・デミジョンは、二人の作家の合作ペンネームで、トマス・M・ディッシュと、ジョン・T・スラデックの共作筆名。
二〇一六年九月二十二日 「実在するもの」
実在するものは関係をもつ。実在するとは関係をもつことである。関係するものは実在する。それがただ単なるひとつの概念であってさえも。
二〇一六年九月二十三日 「言葉のもつエネルギーについて」
言葉にはそれ自体にエネルギーがある。ある並べ方をすると、言葉は最も高いエネルギーを引き出される。そう考えると、全行引用詩をつくるとき、あるいは、コラージュ詩をつくるときに文章や言葉の配置が大事なことがわかる。言葉のもつポテンシャルエネルギーと運動エネルギーについて考えさせられる。
二〇一六年九月二十四日 「真に考えるとは」
詩人というものは、自分のこころの目だけで事物や事象を眺めているわけではない。自分のこころの目と同時に、事物や事象を通した目からも眺めているのである。真に考えるとは、そういうこと。
二〇一六年九月二十五日 「僥倖」
大谷良太くんちの帰りに、いま日知庵から帰った。日知庵では、東京から来られた方とお話をしてたら、その方が、ぼくの目のまえで、ぼくの詩集を Amazon で、いっきょに、3冊買ってくださって、びっくりしました。『LGBTIQの詩人たちの英詩翻訳』と、『全行引用詩・五部作』上下巻です。翻訳は、もとの詩人たちの詩が一等のものなので、ぼくの翻訳がそれに見合ってたらと、全行引用詩は、もとの詩人や作家たちの言葉が活かされていたらと、こころから願っています。
二〇一六年九月二十六日 「花が咲き誇る惑星」
花が咲き誇る惑星が発見された。それらのさまざまな色の花から絵具が取り出された。その絵具を混ぜ合わせると、いろいろな現象が起こることが発見された。まだ世間には公表されてはいないが、わが社の研究員のひとりが、恋人に一枚の絵を送ったところ、その絵が部屋にブリザードをもたらせたという。
二〇一六年九月二十七日 「カサ忘れ」
あ、日知庵に、カサ忘れた。どこか抜けてるぼくなのであった。
二〇一六年九月二十八日 「言葉についての覚書」
ある書物のあるページに書かれた言葉は、その書かれた場所から動かないと思われているが、じつは動いているのだ。人間の頭がほかの場所に運び、他の文章のなかに、あるいは、ほかの書物のなかに運んで、もとの文脈にある意味と重ねて見ているのである。そうして、その言葉の意味を更新し拡張しているのである。しばしば、時代の潮流によって、ある言葉の意味が狭められ、浅い薄っぺらなものとされることがある。これをぼくは、負の伝搬性と呼ぶことにする。人間にもいろいろあって、語の意味を深くし拡げる正の伝搬性をもたらせる者ばかりではないということである。
二〇一六年九月二十九日 「メモ3つ」
2016年9月16日のメモ
言葉が橋をつくり、橋を架けるのだ。
言葉が仕事をし、建物をつくるのだ。
言葉が食事をつくり、食卓を整えるのだ。
言葉が子どもを育て、大人にするのだ。
言葉が家庭をつくり、国をつくるのだ。
言葉がなければ橋は架からないし
言葉がなければ建物は築かれないし
言葉がなければ食卓は整えられないし
言葉がなければ子どもは大人になれないし
言葉がなければ国はないのだ。
2016年9月18日のメモ
言葉が種を蒔き、穀物を育て、収穫する。
言葉が網を張り、魚を捕えて、調理する。
言葉が、子どもを生み、育て、老いさせる。
言葉が、酒を飲ませ、笑い泣かせる。
言葉が、酒を飲ませ、ゲボゲボ戻させる。
言葉こそ、すべて。
2016年9月21日のメモ
詩のワークショップが
東京であって
ジェフリーも、ぼくも参加していて
発泡スチロールで
ジェフリーは飛行機を
ぼくは潜水艦をつくってた。
ふたつとも模型のちょっと大きめのサイズで
発泡スチロールを
両面テープで貼り合せていったのだった。
ただそれだけの夢だけど。
つくってる途中で目がさめた。
ジェフリーは完成してた。
二〇一六年九月三十日 「接続」
ネットが20分前にぷつんと切れたので、電話して聞いたら、言われたとおりに、いちばん下のケーブルを一本抜いてしばらくしてつけたら、直った。ケーブルのさきが蓄電していることがあって、放電すれば直ることがありますと言われた。機械も、人間のように繊細なんやね。直ってよかった。憶えておこう。
二〇一六年九月三十一日 「人生の縮図」
寝るまえに、お風呂に入って、お風呂から出て、パンツをはいて、シャツを着て、台所の換気扇のそばでタバコを一本吸ったら、うんこがしたくなって、うんこをした。なんか、ぼくの人生の縮図をそこに見たような気がした。
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作成日時 2021-10-08
コメント日時 2021-10-08
#現代詩
#縦書き
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2024/11/22 00時46分13秒現在
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