ヒーローなき世界
「中学校はね、灰色の時代です。」
と、先生がおっしゃった。
学校のつまらなさ。
友人も人気者で、
すぐとられる。
可愛い子がいて、いじめをする。
仲良いと思ってた友達からははぶかれる。
それでも「おはよう。」は、言い合う。
カッコイイ男は敷居が高い。
仲の良かった男子はタバコを吸い出して理解出来ない。
万引きは悪い事。
いくら
なんぼ自分にとっての世界に善悪が「無」くても、
親の躾と、学校での自由は関係がない。
本当は世界には善悪がはっきりあって、
でもよく分かることはない。
何か有るとすれば、
逆に自分の店から
黙って取って行くのは愛想がなさ過ぎて、しかも悲しい。
たまたま、その家庭に善(よ)い力の強かった子、
私は、そう呼ぶが
も、「私はしていません。」
じゃなく、風みたいなどの子にも罪はなく、
その事象は何らかの因果を抱えていて、
中学校生活にそもそも、親の躾けとは、心の自由な私達にほぼ関係がない。
「わたし」は、の独立の事しか考えてないし
子供が大人に、なり始めるきたいだ。
万引きの理由
・皆と一緒にいるのが楽しい
・上手く取るのが面白い集中力とか。
・モテたい(モテたいのが悪いことじゃない)
蓋を開けたらこんなもので、
ばれた時、先生に「この手か!この手か!!」と
何度も当然叩かれ、
お母さんには独り凄い形相で、当然殴られた。
それでも明るくやっている。
クレージュの二色のリップスだった。
ラメがきらきら入っていて見事に綺麗だった。
「私たちの事」は、年上や、優しさと云うものに埋もれて消えるから。
誰しもが、怒ったきり、悲しみを見つけられない。
何度もすいません、と思う。
親や、先生と、ともだちは、
私たちの事も考えて欲しい。
結婚
人が誰だか覚えている。
色んな興奮が冷めず、そそうをすいません、明(あ)くまでこのことばを割って、あうて行く。コトバが乱雑であるが、偬は猫のように楽しいと思う、栗暖簾。ト、演劇“さるかに合戦”は久しぶり弥ね(うそつき)。
サンキューどおりは、有名だが
それを何かは決して知れないが、そこから
東に向くと長堀を超え、有る末吉橋の姿は。東横堀川沿いに、紙幣か何かの建っている脇に「酷摘み」とうとう書かれた蒔絵が立ち並ぶ。寂れた角だが、酷摘みは、自分だけのふ幸を云う、其の尊さを書いて表して居る。個人や個性、オリジナルの事か、「ぱちもん」のCHANELの靴下やヘアゴムを持って居たが、本物よりかわいいと女の子では好評だった。それがビトンの財布では、「布団(ふとん)」と笑って居た。
此橋から臨むと、川の上、東横堀(ひがしよこぼり)には何と高速がでかんと真上に走り、周囲はいっとう暗澹と為って居る。
之はおそらく、何かに付けてものを投げ出す大阪さんの事、いつものことで有る。「もうええわ、ずばーん。」と引いた、川に、高速…。川が、実は堀(人工)だと云うのでま逃れた。しかし、それは末吉橋。末はきちを云って、幸福を歌うのだぜ!
どうなる、大阪さん。
もえぎ色をした水面をきり抜いた巨大な柱が、古代的にそれらを、話し出す。
闇を浴びることでその裾の「まっちゃまち」がいまも全然白っぽくなく現存して居る、家がちかくなので教えてあげるが、松屋町での看板は角の増村人形と有るが、アーケードの影を歩く程、深々とした「表情」に出会える。その裏に瓦屋町が有って、郷土史に書いていたが瓦を作って居たのたそう、だからその先は凹んでるのだけど、桃園と云う所で、其の花は、冬に育つのだから人も色々渋いのが多い。賑町と云うのが下町だ。ボロ屋がかわいい私の家は伯父が鞄工場をして居る。春風から贈られる夢は、からくりなど、祖父は印刷所を立てて居たらしい、母と私が二人で住んだアパートの箪笥には喧嘩した際「死ね」の文字を刻んで居る。凝した私は恋をして春風と向かう文楽座は、南に歩き続けて千日前の大きな交差点を右いったら、玉出を通って直ぐだから、人形はそこまで歩いて探したら良い。この辺りで横転して、かすり傷をゆるしてもらったのがDAX50の黒い中古車。
道はセピア、飴色を維持したまんま、とろんと季節や時を仰いで哀しみだのをいつくしく想う、おもう時期には鶴見緑地線のクリスタ地下通り開通、そうゆう大人の暗さ、その明度、と、都の建築はお洒落。
そんな風にどこへ淀むねを、大阪さん、絵画的なのが何して居てもで、神様(かみよう)が難波の都を隠蔽せざるを、なにわのみやはけっして目立たね公園で有る。と、我の鷹(たか)ぶり。
火傷(やけど)
霊を思う。
最近は江戸っ子の精が飛び跳ねて遊びに来る。
包装加熱製の白米は、260円程で3個パックがお買得。だが、280円で6個パックを選ぶ。目的は、半量が茶碗一杯として、20円で時間とやさしさを購入する。そのこしひかりを私たちは囲って、「北国のやつは危ねぇ。」と聞く。
一軒挟んだ向かえ、その向かえに住む伯父は誠吉と云う、たまにそっちに行く私は、新潟から送られた純米を炊かれ。卵の入った味噌汁と食べる。玉出の惣菜と、そのひ。NHKや、深海魚の泳ぐ50インチのテレビを背景に鋭い誠吉の目がひかる、「おっちゃんは、見とるぞ。」と云う
「まさこ、遠慮はしたらあかんぞ。」
誠吉っつあん、と呼ぶ伯母のキヨミが私は羨ましい。“口先”が垢抜けて居るから、聞いて私は飛んで遠慮し、ぞぞっと息飲んでその部屋で孤独になるんだ。
後はずっと黙って居る、飯を食べたら、えらい懐いてくっつきお昼寝を楽しむ、健康も市民プールへ、付いて行く日について行く。清水谷には子供のころによくキヨミにつれてもらい、実母とも周りは思ったが、つらく当って私は、わかかったのだ、成人したら成ったで、世間や年寄りをえらいきらったから、誠吉が、此の此れまで嫌がった事をすっぱく息を吐く様に、私を相手とし泣かされた、誠吉が自分を師として知って居て、私の反省点を数えていたのだから。泣いたら、根情が湧いて、自分から工場に入り両目テープを貼ったり、ハンマーでピンを止めたり、カッターで襞を作ったりをした。
此の何となく日が過ぎて、遊びに出掛けたら子供が出来た。水浸しの話も有るが、
コロナの一面(コラナ)
光に進む、と聞いた。
最近、
霊が見えて精は精の「形」をして、私の周りに居るんです。心斎橋筋を一緒に歩いてると、向こうからおっさんが歩いてきたんです。Tシャツを来て太ってるから、胸が膨らんで見えるんです。大きな精が服の上からそれをペロッと舐めて確かめるような素振りをしたから、笑って仕舞いました。それを2回やってみせて、
ほかの精が皆何かを怖がってて、それを一生懸命、笑わせて宥めてくれたんです。
言葉はないけど、
「サンプルとったったでぇ!」と、云いった。
人間の血の「採集家」がおったらしいです。天災コロナの一つの面は、コロナワクチンでそれを怒ってて、
要は、どこにいるかわからないそいつたちの居所が摂氏マイナスのそこだぞ、と仰り、其れを広く伝えるのは、
「彼ら」を、もとから本当に怯える人がいたから。
「血の採集家」が、私は正直にその善悪は分かりませんが、色んな価値観がもしあって、人のわからないところだったら良いということが、よそでは成り立つことがあり得るから、けど、病院行くと思うと凍りつく気持ちです、心が痛く、怖ろしいです。
自分は前に高熱を出して病院行ったけど、青タン付けて帰って来、礼をされ注射を打たれた箇所が、痛くて、翌日、両腕青く腫れた。その日丁寧にごみ袋に荷物を入れて、熱は引いたから帰された。。
それって、
「来るな!」って事ですよね。
心が折れるほど繊細になって、あと病院って休むとこでもありますが、死ぬところでもある、を考えてたら、ずっしり重くなって来て、せかいが暗鬱であることとか、
そうは思わなかった事が過去でもないこととか、医者をずっと考えた。
人の道徳に触れ過ぎたら、ダメなんだと思います、善悪は。
助けてくれた方々に感謝、心が安心しました。
武士道(隠れキャラ)
負けるのが嫌なのと過剰な恥らいで一切戦うことなく今、剣道が、それが一級の試験だが、興奮して再チャレンジして居ます。
ふだん、お金をほいほい使うのも、リュックがいろいろ背負ってて何かと重い理由。布が黒く、目立たず人にわからなくても、父母の忠義を学んでいるなら、咲かせてもらえる花も有る。松が哀しくいびつに生えるのは、全面的に「悲しみ」が悪い、と云って居る。歌は、喜びにしろ。
悲しみを多く持ち、それの強い人であっても
努力して生きて行くことが出来る、と伝えたい。
竹刀は確かに重いが、胴体でそれを軽く持つ。
腕でばかり、振り回さない。
防具の後ろの長い紐が、自分からは見えないが、美しいと知る。
大阪市内とは、色んな「あかん」モニュメント彫刻でいっぱいやねん。それらは所にわりと大きく作られてる。東京は風水を強く起用して、気が清いんやけど、茶の濁りを
茶臼山は幸村が陣をとったところ。でも、そればかりが茶臼山ちゃうんや。たんこぶあるやろ。たんこぶ、やねん。
半分わろて、気を保つ。
古(いにしえ)からの知恵が、尊さも感じさせない真面目さが、人がお高くするものを本当の価格を告げている。
もしかしたら、いくさなどそうやって「笑うこと」でしてきたんちゃうかと想像する。日本軍や戦国とか、
私は、信長が鉄砲を花火みたいに打って相手の家で披露したとか、麒麟と云われるイケメンだとか、幸村様とか感じると、お茶が好きらしく、「良いもの」としての一環で旧ぷよぷよや均等の取れたキャラクターなどに宿られたりする。同時にそれは我々日本人に告げたいこと。まるでたちをひとつ卸したが、
私が砂埃になっている。太閤秀吉、名をそうお聞きをしても、秀吉は農家からお殿様になったけど、私は剣の道を想像する。
父が農家、現代に生まれた自分というものは絶対に武士ではないが、姿勢は厳しめに言われてきたから警察署で剣道をしていたとき、痺れず立って先生に褒められた。小さい時から仏壇の御前(おまえ)に座ることを教えられたからだ。筋がある、それだけが、剣はしぐさ、趣味、ものの食べ方、言葉、剣が美しいと云う少しの思いさえ有ったらば何にでも宿らせる事が出来る。
人を殺す為に造られた「もの」。ただこれは、殺さぬと云う言葉の洗練が芸術を超えた代物として肉眼で見ることの出来る光になっている。
剣道でも、大事なのは、
行って、
戻ってくること。。
何かに成功したら、そこにぼさっとしてるんじゃなくて、地元を思い出せば、次はその輝きの源である自分の傷や、自分を鍛えたつまらない空や冬を、を、いつでも手に治める。子供が出来た時には、そうしよ。
行って帰る事を、サラリーマン(武士はサラリーマン)という事でその精が宿ってて、仕事をしてたら自然と覚えるが、肉体が「わかってる」それを、精神に繰り上げる。だから、死ぬ思いで「趣味(子供の頃から好きなこと)」はやってたら、何事も教えやすくなるのだ。
波が高く上がったら、皆、ナルシシズムだ。
剣道は、各小中学校で無料〜月三百円で出来る。
「」
東京弁がわかるのは背が高くなってから、短くて深いのが桜。
でも「私」の歩くぺーすが遅いから、風が角がよくあたると思った。私は、死にたくなる、その時に風がヤカンに為って熱々する、ああ忙しい、、って、ちょっとお待ち下さい今沸かしてまーす、何の家庭やねーん、客間はないですよ、小さな夢だけ。私をたたくな、みずや。どうする、こうしたいじゃない。
六本木の鉄の音はエスカレータで聞く。
「ああ、若し羽柴の天下とりの一端、北国が寝ているなら寝ているで良かったが、汚れない雪が知らないあいだ、歌われ何となく傷付いた、こんな氷のようなものを、みはかられて、」私のご飯もほろほろした、この次に冬がやって来る、こころをぎゅっとした九月の末。
「北国のやつは危(アブ)ねぇ。」
そんなんわかってる、雪が降ったらと思うとたいへんだ。だれかがせき止めた、雪達磨や!
人を傷付ける私だから、本物(イキテル)の人間は、塵芥化(ごまか)した川、美しさよりもずっと強(た)ける。
のろい、愛。火傷は痛いが、人が人を好きになる言葉ってどんなの弥?
大阪市は、女が強い。
朧な卵に胡椒を掛け、それと食べたはもう腹の中。今日は、こしひかり。ふくろはごみ袋。
心斎橋記録
好きな歌により親しみを持ち、「良く」なる為にculb(イベント)に、
文化がどうでは無く、好きと云う気持が、町人が、其を背負って居るのだから。
文化の続くに、偬は寄り添い心は走る。
母が百円マックに連れて行くような男と結婚をしてはいけない、と仰って、
それも私は疑う事の気持を柔らかに持って居て、あなた男の態度はそれでないのも分かります。
にーくんの店に行って来たのですよ。
私は布施の、店の前で佇んで居ました。会うのが久しぶりで、入れなくて、戸が向こうに有り、此胸が、胸を思えぬ空虚でらんと音楽が重く聴こえる、でも蜂蜜色の夜に道からねこが動き居って、人の顔以外は、体も自転車も音楽の様に思えます、倒れた心が、私の狭窄とした心が蜂蜜に浮く。ヴェルサーチを羽織り、ナイキを履いたが靴齬れして居て、「入るの?」と云って、戸からにーくん自身が、思って居たら影と光の向こうで来はるよ。斑と私を好きな男が笑顔で喋りかけるのだから、私は徐ナイキを見せる。
男が、私をどんなに好きかを云う時、僥倖とせつなを砕き切ったにーくんが、「ちぇけらっ」と云って、跳ね睨んで居ました。男が、顔色を変えず片足を長く伸ばしてからにーくんを見ました。にーくんが、腕をくんで顎を引いて。昨晩、男と女が別の生き物だとバーで聞いたのですが、面白い人やものと対峙される様な自分の色の方が、確かに上手、うわてで私は、他には暗く、知識も頭の良さも思い馳せる為に、此男の、ぼさっと花茎を包んで居ます、口に於いて亦しゃがんで留守っす。
にーくんの猫が、にーくんそっくりで、
大阪の猫は基本人相がわるいが、
目が大きかった。
私が可愛がってるうちに、なんか昔のことを思い出してきて
昔の事、じぶんが可愛いとか思うような頃、アルバイトをしていた時ににーくんが中古の紺のBMで谷六まで送ってくれて居た。にーくんがねむそうで、
「目が3になってるで。」と云ったから、無表情で「4にしといて。」と答えてくれる。
BMで
「嗚にーくん、実行する事はその都度都度で、乾いた洗濯物みたいに一つを取りあえず折りたたまなきゃと、考えても、
例えば服の間に何か有り、行為を完結することが難しい! 君は、君は、そうやってくれ必ず。」と云う事を話す。
千円するうどん屋に行きたいから「はい。」で連れてもらったら
「高いな。」と言っていたのを。
結局、今は立ち食いうどんが旨いとは、わかり、
にーくんの店には色んな人が来てて、
気が多いと云うのは、気が遮断されて居る事が有って、
誰かを探していたような素振りが止めれなくて、またその自分の素振りが
心細くて、ひもじいとも、
こう何でも繊細に感知して、「人の顔をあんまり見れない年頃」というのを、
私は満たしていた。
「お前は、かわいいな。」とにーくんが云って居た。
うどん屋の近くは、一見風情の無い長堀通りでも、
一本中にいくと画材屋や、アンティークショップがある。
上をみると、お水の看板が立って居て、
大阪はどんどん切って返していかないと流されるんだ、とそこで読むが、
川も濁っているから、ごちゃごちゃして居る、その中でも
光はきらりと見つけやすいからかえって絵画的で、詩だ。
だから、本当の事を誰しも云わなくていい。
川が冷たくて至上にあたたかく、歳を上げれば高いほど安らぎを得るようなからくり。それもきっと誰かの。
着物を今更千円で古着を買って居る。
着物、新作も何も変わらずに美しいが、町から自分を切り立てる自信というもの、
これがなかったので、なんとか折りの羽織も、すすめられた大島を、着ない。
自分の着物を持っていないのに大島を買うのは努力がいる。
感謝祭に向かった時、色んな人を横目にしてあれもこれも着て、
畳を歩き回り、
「いいね、いいね。」と笑っていた。
付き添いが、道路に出た後「皆キツネさんみたいやった、やめとき。」と云ったが、
「知るか。」と考えて、
本当にこれが欲しいから、寝る時でも想像をどんどん膨らませた。
此んなんは、少なくとも三代は雑巾になっても残せるので、ハンカチやオブジェになったらまったく安いと思うのだ。
宇宙の、どこを見ても輝きの有る設計を
未だに手にしない。
お金がない事が言い訳にならない程、肌や色んな出来事に強力に馴染んでる。
私は着物が欲しいで、あなた様。
作品データ
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作成日時 2021-10-01
コメント日時 2021-10-12
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2024/11/21 21時16分09秒現在
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わぉ、沙一さん、ありがとうございますです。
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