我が子を、純粋に愛せなくなった。
それは間違いなのかもしれない。
それでも
前まではもっと純粋な気持ちで愛せたと思った。
私が
つらい思いをして、時には嬉しかったり、苦しかったり。
そんな経験を経て、いざ目の前に現れた我が子は
大変醜く見えた
だからかもしれない。
片腕がない。盲目。左右反転していたかもしれない。
それは、ただただ私の力不足で
誰が悪いってことはない。
いってらっしゃいと。胸を張って
羽ばたいていきなさいと。
自身をもって送り出せない。
だれにも気づいてもらえないかもしれない。
誰のためにもなれない我が子を
安心して送り出せる親なんて、いるのか。
それでも
目の前の我が子は
私から受けた愛情をめいいっぱい受け止めて
無邪気に、その姿を見せてくれる。
それがまた、なんだかとても苦しいのだ。
命を与えたのに、閉じ込めておくのか。
育てたのに、歩いて行ける足はあるかもしれないのに
その骨を折るのか。
この子は、私の子。
私の人生を、青春を分け与えた
私の、魂の子。
作品データ
コメント数 : 3
P V 数 : 1037.3
お気に入り数: 2
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2021-08-02
コメント日時 2021-08-29
#現代詩
#縦書き
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2024/11/21 19時39分52秒現在
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関係がよくない親子の話を聞くことがありますが、親子というレッテルを剥がすと身近な他人というのが出てくるような気がします。 親子、というのも妄想のひとつでしかない、かもしれません。 なのでその子を産んだ親としては不本意でしょうが、 >大変醜く見えた これは仕方ない気もします。 牛ですら自分がたった今生んだ子供を拒否することがあるので、人間も拒否感が湧くのも仕方ない一面があるのでは。 それならば落としどころがあればよいのですが。 最終連を読むとそう強く感じました。
0深い... それは誰の闇なのだろうか...? 真っ暗闇に見えた一筋の道を、稲妻のような閃光で照らす人がいた! それは、あなただ! あなたの覚悟の声が、ここまで響いた!
0>だからかもしれない。 ここまでは、ふつうに出産したお母さんの詩なのかな?と思ったんですけど、ここから一気に考えが変わりまして、 >片腕がない。盲目。左右反転していたかもしれない。 ここの「左右反転」という言葉が鍵となって、「我が子」=創作物、ひいては創作界隈でよく使われる「うちの子」という言葉にかけているのではないかと。(絵に自信がない人は腕や手を描きたがらない、片目だけ描くなど)左右反転に関しては、何度繰り返しても納得することはできないので、『ここらへんでいいだろ』という点を見つけて止めた方が今後の為にもいいんですけどね。 >命を与えたのに、閉じ込めておくのか。 >育てたのに、歩いて行ける足はあるかもしれないのに >その骨を折るのか。 ここ、良いですね。自分の作品に自信が持てない人や、何かと理由をつけて創作をやめがちな人に向けて、この詩のリンクを送りたい。そんな気分にさせてくれる。大事な部分だと感じました。 どうか、あなたのお子さんが活躍できる、輝ける世界でありますように。
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