自分の上に父と母のビジョンが見えた
思えば私は父と母の子である
父のようなところと母のようなところ
どちらも持ち合わせている
芸術に長け、孤独を愛し、心優しい父
情熱的で、頭の回転が速く、涙もろい母
どれも、私の特徴と類似している
自己の在る無しの先には、自分の親の存在がある
進むには、親と和解している必要があるらしい
運良く私はその問題について独自のやり方ながら解決してきていた
なんやかんやと点に収束していったと思われたこの教え(仏教)
どうやらここから少し広がりを見せる段階らしい
なにごともいつも、回転しながら螺旋を描き上昇していくものだ
つまり、ミクロの次元ではたくさんの次元を背負うので
コロコロと環境が変わるとになる
マクロの次元では引力の変化は少ない
だからと言ってどちらが偉いと言うわけでもない
おっと、少し話がそれたようだ
「いやはやしかし、次元の上昇も下降もしながら次元数を増やす工事ってのは骨が折れるねぇ。」
工事現場の最先端にいるおっさんが言う。
次元の工事現場の最先端
地球で言えばアメリカのNASAで働いてるみたいなもんだ
エリートもエリート
仏も釈迦も点に見えるほどのエリート
ベートーベンも腰を抜かして演奏しだすくらいだ
エリートのためにをね
そんなおっさんでも、令和のジャパニーズと同じような悩みを抱えているんだ
大変だなぁ、
仕事したくないなぁ、
寝てたいなぁ
はい、そこなあなた、気づいた?
気づいた?
気づいたでしょ?
気づいてくれよぉ
結局さぁ
なんでもさぁ
他人との関係に溺れちゃダメってことなのよぉ
どの次元でもよ、ミクロでも、マクロでも、親でも、子でも、なんでもさぁ
選ばされるのは構造の適用に同意しちゃってるからなのよぉ
どっちか選べばぁ
またどっちか選べってことになってぇ
選んで選んで、
選び続けて
一生ずーっと選び続けて踊ってなきゃなんねーわけぇ
ところがよ、どちらでもないです!ってしちゃえばよぉ
選んだ過去未来、選ばなかった過去未来、
どっちも選んだようなものになるわけよぉ!
なるほど、と思った
評価を下さないことが吉
どちらからも存在を認識してもらえる
偏らないでバランスを見極める姿勢
好きも嫌いもどちらも含む
…
それはまるで愛の構造と同じだった
愛して仕舞えばいいんだな
全て包み込んで
包み込んだ何かも包み込んで
包んで包んで包んで
包んで包んで、また包んで
だから時に愛は
包んだ皮の枚数が多すぎて
中身がどんなものだったかを忘れてしまって
伝わりにくいのだ
そしてその場しのぎの誤魔化しだと勘違いされる
僕らは愛し合っていたはずなのに
包みすぎた愛はそのことを忘れさせる
愛の深さによって愛は失われる
それで?その先は?
それ以上は…
いやいやここまできたのにそれはないでしょ。
いやしかし…
何がそんなに怖いのさ?なぜ怯えてるのさ?
あ、それがその
バタン!!!!「手を上げろ!構造警察だ!!!」
構造警察:常日頃高速移動する構造の階層の旅人を取り締まる奴ら
俺はまた、構造警察に捕まった
実は構造警察は実際のところ
構造不法侵入を見つけても
案外の話にしてくれるのだけど
たまには見せしめで捕まえとかないと
バカな旅人が増えるからって
気まぐれに俺たちを捕まえるんだ
今回で六千九回目を数える気まぐれ逮捕
三年ぶり
めんどくさい手続きの諸々を考えるとうんざりだ
国選弁護人、今回は誰かなぁ
「おっ」
と俺は新聞を眺めながら思う
「今度の弁護人、五億年後の俺じゃん」
なかなかの奇跡だった
一年後の俺から十の百二十八乗年後までの俺
どの弁護人がつくかは選べない
一年後とか十年後くらいまでなら
数がめちゃくちゃ多いせいでしょっちゅう来る
ところがどっこい五億年後の俺に当たる確率は
一年後とは比較にならんくらい低い
十の百二十八乗年後まで俺がいるにしても
億はすごいぜ億は
胸の鼓動ドキドキ
まったく、俺は逮捕されてるっちゅーのに
何を呑気に弁護人に合うことを楽しみにしちゃってるんだよ
これが俗に言う未来お化けがきたってやつ
これに取り憑かれると、合計未来数が十億年後の自分と一致するまで次に進めない
それでもなんでなのかストレート抜けなやつもいるのよ
あなたみたいにね
一瞬耳にゾワゾワした感覚が走ったかと思うと
私は父と母のビジョンの前にいた
二人してアイコニックな笑みを浮かべている
キョロキョロと周囲を見渡し
グーグルマップで位置確認する
あれ、ここはまだ
ガンダーラじゃないか
作品データ
コメント数 : 4
P V 数 : 1417.3
お気に入り数: 0
投票数 : 1
ポイント数 : 4
作成日時 2021-07-11
コメント日時 2021-07-15
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 2 | 2 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 1 | 1 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 4 | 4 |
| 平均値 | 中央値 |
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 2 | 2 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 1 | 1 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 4 | 4 |
閲覧指数:1417.3
2024/11/21 19時57分28秒現在
※ポイントを入れるにはログインが必要です
※自作品にはポイントを入れられません。
誤字があります。失礼しました。 2連5行目「コロコロと環境が変わることになる」 7連4行目「案外野放しにしてくれるのだけど」
0ビーレビを開いた時点で最新の投稿であったことと、ちょっとタイトルからして気になったので読んでみようと思って開いたら長かったので印刷して読みました。長さを感じませんでした。読んでよかったです。おもしろかった。こういうの書ければなぁ。無理だなぁ。才能ありますね。頭いいなと思いました。 >「いやはやしかし、次元の上昇も下降もしながら次元数を増やす工事ってのは骨が折れるねぇ。」 >工事現場の最先端にいるおっさんが言う。 このおっさん、おもしろいです。 >包んだ皮の枚数が多すぎて うんうん、なるほど、と思いました。 あとまだ良いところはたくさんあるのだけれど、長くなるのでそろそろ。 構造警察ですか、ここの発想も良い。 「グーグルマップ」で位置確認すると、ガンダーラなんですね! 拙い読みですみません。が、一票。
1yasu.naさん はじめまして。 正直なところ、まだまだ現代詩については学ばせていただいているようなレベルだという自己認識があります。 そのためまさかこんなに早くコメントがつき好評いただけるとは思っていませんでした。 大変うれしいです。 才能があるかは、このあとの作品から試されるのだろうなと思っています。 いや、才能のあるなしに関わらず、どれだけ書き続けられるかが大切になるかもしれませんね。 「頭いい」について今日考えてみました。 頭がいいかはたまた悪いか。 人は他人と接する際、無意識のうちにその基準で相手を見極めようとします。 そのように飼いならされているため仕方のないことです。 私は思います。 頭の良し悪しは相対的なものでしかないと。 AさんがBさんを「頭いい」と思うとき。 AさんはBさんと自分、あるいはBさんと他の誰かを無意識に比べています。 上記は、他者による他者の認識についてです。 では、私自身の自己認識はどのように成り立つのか。 私は私を頭がいいと思うか否か。 いいと思います。 しかしそれは、私の肉体と精神を比較した際、肉体の発達よりも精神の発達が過剰に進んでいると、私自身は思っているからです。 他者との比較ではなく、自己の内における、肉体と精神の発達度合いの比較によって、私は私を頭がいいと思う。 さて、ここB-REVIEWは現代詩投稿掲示板ですね。 私は詩について全くの門外漢です。 そんな私ですが、良いと言われる詩と悪いと言われる詩、何が違うのかと、数年来ユラユラ考えるともなしに考えてきました。 最近それが何なのかについて、ようやく一つの光明が見えたように思っています。 詩人の皆さんはおそらく、ご自身で思っているよりも、精神より肉体の方が、より優秀な受信機として発達しています。 そして、いい詩だと言われる詩は、作者の肉体と精神の発達が、偶然なのか必然なのかうまくぴたりとより添えた瞬間に生まれているようです。 私は「頭がいい」がために肉体の持つ素質を全力で生かす努力を怠ってきました。 このことは、詩作のみならず、あらゆる私の生み出す芸術作品から輝きを失わせていたと感じています。 無論このような姿勢は人生にも大きく影を落とします。 とにかく、そんな状態では何を書いても詩にならなかった。 実はこの作品は、やっと私の精神が肉体のありかを思い出し、その結果生まれた、ある意味では処女作なのです。 そんな作品を褒めてくれて、ありがとうございます。
2素敵な返信をいただきました。なので私からもう一度、一点のことについて。それは精神と肉体についてのことです。 私も精神と肉体について考えることをずいぶん昔からせざるを得ませんでした。現在のところにおいてですが、私は一つの考えにたどり着いています。それは、自己の肉体は他者の肉体と違って、自己の精神のうちに存するのではないかということです。 他者の肉体は絶対、外的です。他者の精神も外的ですが、自己の精神に取り込むことができそうだと考えています。そして自己の肉体はどうか。これは実は自己の精神のうちに存する内的なものだと思うのです。自己の肉体のありかは、自己の精神の中ではないかと、そしてすぐれた詩は、この精神的肉体とでも言うべきものがよく働いた結果に生まれるものではないかと、こう現在のところ私は考えているわけです。
1