大きな影ほど
早く来て早く去るようだ
残飯を食べに
小さな虫が集って
後に残るのは
脱皮し
また少し大きくなった夜
鳥たちの目に
月よりも眩しいものが見えたか
知りたくて
しょっちょう眠くなる
頼りない灯りを頼り
何も起きない
騒々しいだけの毎日を過ごすと
幻の声や色が
煙のようにあちこち染みて
薄汚れる
使い古した名札に
蓮の花を挿して
ああもう
明日には終わる
明日には終わる
と
めいめいが繰り返す姿は
物悲しい
人間の森には
祭り囃子が流れ
出店が並び
絣の子供が
参道を駆け抜ける
賢い旅人達が
開いた宴の酒の肴に
骨組みに似た
枝葉の影を眺めながら
ぼんやり
古い本を読み腐している
あれは誰だった
作品データ
コメント数 : 14
P V 数 : 1722.4
お気に入り数: 0
投票数 : 1
ポイント数 : 4
作成日時 2021-07-03
コメント日時 2021-08-28
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 4 | 4 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 4 | 4 |
| 平均値 | 中央値 |
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 4 | 4 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 4 | 4 |
閲覧指数:1722.4
2024/11/21 20時06分29秒現在
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まず、どういう場面であるのか自分の理解が覚束ない。<祭り囃子が流れ/出店が並び>だから夏祭りの境内であろうか。幾日か続く祭りの夜、高い樹木の高みから、人間どもの様子を眺めている鳥…?人間どもが騒いでるのに比較して、この詩は静かで静寂さを感じます。大きな影とは、何の影なのか、神輿なのか。そういう風に読んでしまいました。理解という面で言うと、今年初めの「恋文」にコメントをしたらよかったのでしょうか。
0喧噪の背後にある静寂のうらさびしさが すっと入ってきました。 詩情の醸している感覚に、 とても共感をおぼえます。
0読んで下さって有り難うございます。 連ごとに舞台が違うので、何の事か作者にしか分からなくて当然だと思います。人間の世界とその外の交錯。過去に遡り、現在に至り、でもそれを語る聞き手がいないので筋道を必要としていない。好きな話をするのが楽しいだけで、ポイントもつかないです。笑 恋文の方が理解は確かにしやすいなと思いました。お好きな方でお願いします。
0現在地はめちゃくちゃうるさいみたいで、創作の世界はだから静まり返るのでしょう。特に思い出話なので、ひっそりしたものです。 共感して下さって有り難うございます。
0>大きな影ほど >早く来て早く去るようだ まずこの二行の質感がいいと思う。この定理または仮説は何かを象徴しているのだから、これはある種の比喩と呼ばれるべきだ(たとえば寓話が寓喩と呼ばれるように) 提案だから提喩? それはすでにあるから仮説の比喩で仮喩だろうか まさに「僕らの無意識は勝手に研ぎ澄まされていくようだ」に見るスピード感がある(早く来て早く去る、という文意もさることながら) ただこれはある意味どう書いても勝手に完成されるのであまり語る必要がない むしろ目を向けるべきはこういうキラーフレーズをおいてセーフな詩のバランスがあるかどうかということで、それができないと甚だ失速してしまう >めいめいが繰り返す姿は >物悲しい ・・・・・・・・・しかしこの作品は弾みをつけて前に進むことに成功しているようだ ただ、後の連は少し好きではなかったかも。でもいい詩だと思いました
0物思いの朧さ、知恵、哀しみ、落ち着きを感じました。好感です。人の森、というと旅を思います。
0後半は人間の話をしてますね。好きなんですけど、全く向いてないので。いつか面白くなるといいのですが。 とりとめのない作ですが、お褒めいただいて光栄です。有り難うございます。
0有り難うございます。身の回りからものを考える習慣が消えていくのは寂しいです。
0淋しい人が好きですが好きです 一人でいいから マヨネーズでもかけて喰ってやりたい 苦手だけれども 分かってくれるのであえば 憧がれ媚びて恋いたいです そんな感情を覚えました
0とても素直なコメントだな、と思いました。ありがとうございます。 人の淋しさは独特の魅力がありますが、マヨネーズをかけてやろうとする所に笑いました。
0自分と神の寝物語ですかね。 使った神という単語、 守ってくれる存在すべてを指すし、 破壊するものも含みます。 でもいわゆる現実の宗教とは水と油みたいです。 噛み合わない。 こちらは簡単に偶然だけを信じている感じ。 暦よりも正確な自分の時間に則って、 生きている人達のいうところの、 「真夜中」に、 他人が知人に、知人が他人になっていく。 常に様変わりする関係で、 今この時に出会って、そうと思うから神がいて、時たま奇跡を起こす。 旅先であんなことがあったよ、と笑ってる人達の話って楽しいよね、 俺たち私たちもそういう気分が自由に味わえたらいいのにねって嘆く神と、 それを聞いてる自分。 ストーカーから逃げ出そうとして食パンくわえて走ってたら、 出会い頭に神と衝突してしまった、そんな所ですね。 恋人が一番近い気がする。
0凡庸ですけど載せときます 恋かな… また書くと思います。親切に質問して下さって有難うございました。 ─ 僕らには欲しいものがないことが あまりの不足です 与えられ続けることに慣れてしまった もうあなたにはなれない 大人になればあなたになれると思った 隣を歩いて遠い所に旅立つ 与える人間のことを神だと僕らは思う 人間です わたしたち人間です 人間が人間を産んで 人間を使い捨て 人間から芽吹く人間を 人間と呼ぶ わたしたち人間です いつかわたしたちと僕らが あなたになれると思っていた頃を 忘れたいんです 晴れが来れば暑いと言って服を脱ぎ 病気になって巣ごもりし いつまでもそうしてはいられず 朝になればまた太陽の下 同じですか? あなたも同じなんですね 詩人の癖に 本当のことを言えば 全てが変わることを知らないみたいに わたしたちは駒になりたい 夢に溺れて 麻酔をかけても眠れません 一個の大事な駒として使って下さい そうすればきっと 忘れられますから もうわたしたちなんです もうあなたたちなんです
0大きな影とは自分の影なのかもしれませんが、脱皮した自分は月を眩しく感じる。太陽と比較して強がりなのかもしれませんが、一定の雰囲気はあると思いました。騒々しいだけの毎日は使い古した蓮の花を挿された名札で代表させたのかもしれません。物悲しい雰囲気は頼りない灯りが象徴しているのかもしれません。祭りの最終連。古い本を読み腐しているのは自分か自分を投影した他者か、それら全部が集約された「もの」なのかもしれません。
0コメント有難うございます。 神から見れば、ずっと話を聞いているだけの'自分'のことを、誰かと尋ねるのが、最後の「あれは誰だった」です。そこは何も知らなくても大体伝わりそうだなあと思っていたので納得でした。
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