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そのつぎ
奏法的に言われればそうでもあるし かといってわたしという存在は なることも出来なければ吹くこともなく そういえば散ったのでした 葉や花が その擬音を表現することもなく ただ見ているのでした ただ 汲み上げた水は 濁った水ですね 問いかけの中には 含まれた頬の膨らみ そうこうしている内に 忘れられていくものもあるんですって 賢者は言った さかしまの柔らかさに 目を閉じて 嫌がる風に 頬ずりして 道の上に舗装された道があって その上には舗装された空気があって たとえば そこを幽霊が歩くのです その歩調を音階で表してください かごめかごめのなるような 後ろの正面の語彙は欠損して それでもあるき続けるような そういえば さかなの形の雲でした たくさんの群、むれるから 空気が吸えないのかもしれません さかなはみんな浮かび上がって 舗装された道を歩きます 奏法的にはそうなのかもしれませんが 指穴があかぎれ いきだけが漏れて 秋と名づけられた季節が 風に吹き飛ばされて 花が降りますもうすぐ すぐに 膝までその中に埋もれて 冷たさにぬくもりを探り その姿は祈りの相似でしょうか あ、 山茶花ですね 血を流すように はらはらと 涙のように 雲が そのように聞こえるのですね 無重力から程遠い くるぶしからひじにかけての 道筋を旅人が歩いていきます それを見送るしかない季節に 振動をください あたらしい指使いを 吹いて 新しい名を 息継ぎして
そのつぎ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 909.8
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-09-28
コメント日時 2017-09-30
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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エンタメ | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
これは素晴らしい作品。と個人的に思う。先日、森田さんのリトル・ムーブメントでもコメントしたけれども、詩はささやかであることを、私は好む。ささやかであり、宇宙を感じさせるもの。また、オリジナリティについて。オリジナリティについて一般的な錯覚をこの場で指摘しておきたい。オリジナリティとはその作者の個性が満ち溢れたものと思われがちであるが、実は違う。真のオリジナリティとは「これは誰の作品だろうか?どこかで読んだ覚えがあるような」となってこそオリジナリティなのである。既視感でなく普遍性であり誰が書いたのかわからないけど知りたくなる「大衆的な匿名性」が具わっている。これが私のオリジナリティの定義である。作品を読んだら即、あ、これは三浦くんの作品だ、というのはオリジナリティとは言わない。マンネリというのだ。前説が長くなったけれども、本作「そのつぎ」はオリジナリティがあり、大層でなくミニマリズムとしての詩の世界が表現された傑作だと、私は思う。キュレーター外から敢えてプレッシャーをかけるとすれば、キュレーターは現代詩のトレンドを知る前に、ホンモノの詩情を感じとる感性がなければならない。と個人的に思う。
0三浦さんの〈現代詩のトレンドを知る前に、ホンモノの詩情を感じとる感性がなければならない〉に抗弁しますが(笑) この流れるような筆致の作品、思い出したように入る「かたりかけ」や「つぶやき」の絶妙なバランスと共に、書き慣れた手つきと自由な崩しが上手く響きあっていると思いました。 新鮮な息吹を感じる作品でした。〈なることも出来なければ吹くこともなく/そういえば散ったのでした〉こうした飛躍、植物や水といった自然のエレメントに還元されていく思考。 〈含まれた頬の膨らみ〉fの音の響きあい、そして、冒頭の〈奏法〉とも相まって、オーボエやクラリネットを思い出させる具体的な実感。〈道の上に舗装された道があって/その上には舗装された空気があって/たとえば/そこを幽霊が歩くのです〉観念的、イメージとしての道(人生とか、将来の道、というような)の上に舗装という抑圧。その上の空気ですら舗装されている、という、言葉のロジックが生み出す斬新なイメージと、空気ですら型にはめられていくような感覚。肉体という実感を伴わないまま、ふらふらとそこを歩き続ける幽霊は、わたしたちの分身でもあるのでしょうか。〈その歩調を音階で表してください/かごめかごめのなるような/後ろの正面の語彙は欠損して/それでもあるき続けるような〉語彙の欠損! 表現の不能、空白のイメージと、詩、うた、音楽・・・のイメージ、音階の持つ階段のイメージ。いくつものイメージが軽やかに重なりますね。 この連が、音楽でいうところのクライマックスで・・・〈秋と名づけられた季節が/風に吹き飛ばされて/花が降りますもうすぐ〉ここでまた、冒頭の〈そういえば散ったのでした〉が呼び戻される。 膝まで花に埋もれる・・・まるで死後の花野を行くようなイメージが、最後のコーダへと引き継がれる。 〈無重力から程遠い くるぶしからひじにかけての 道筋を旅人が歩いていきます〉 ひとりの肉体の中を歩む旅人のイメージもあり・・・全体に響く音が呼び出す音楽の女神、ムーサの〈くるぶしからひじ」へと歩みを進める・・・と読むと、たおやかな官能性をもたらすものでもあり・・・そこに 〈それを見送るしかない季節に 振動をください あたらしい指使いを 吹いて 新しい名を 息継ぎして〉 見事なエンディングです。新たな振動、刺激、そして新しい名(それは、新しい命、ということでもあるでしょう)彰から冬へ、そしてまためぐる春へ。命のさやぎが、奏でられていきます。
0三浦果実さん お読み頂きましてありがとうございます。しかし、いささか辟易しました。 >これは素晴らしい作品。と個人的に思う。 この部分には素直にありがたく思います。 >詩はささやかであることを、私は好む。 あなたの好みはそっと自分の胸にしまっていて下さい。批評とは何の関係もないです。 それとも三浦さんは印象批評の大家でいらっしゃるのですか?それでしたら個人の印象を普遍化させるような論を展開して頂きたいと思います。 >オリジナリティについて一般的な錯覚をこの場で指摘しておきたい。 詩に対しての批判・批評ではなく自論を展開されるのでしたら、フォーラムで行なって下さい。 >前説が長くなったけれども 前説の意味をお調べ下さい。 >本作「そのつぎ」はオリジナリティがあり、大層でなくミニマリズムとしての詩の世界が表現された傑作だと、私は思う。 ここも素直に受け取ります。ありがとうございます。 >キュレーター外から敢えてプレッシャーをかけるとすれば、 フォーラムかどこかでやって下さい。 **** 結局、「良い」という印象評価の所以も曖昧で、作品鑑賞にかこつけた自論の展開は果たしてマナーガイダンスに則った発言でしょうか? 荒れると悪いので、再レスは不要です。 フォーラムか、ご自身のSNSアカウントでお好きに展開して下さい。 お読みいただいてありがたいという気持ちはありますが、体よく自論展開するための道具としてわたしの作品が扱われているような気もして、不快でした。 失礼しました。
0まりもさん お読み頂きましてありがとうございます。 感じて頂く箇所がありましたこと、嬉しく思います。 F音という語彙を見てびっくりしました。わたしは多分、他の詩人さんと同じようにF音を用いて詩作しようという意図はありませんでした。F音は現代では特殊な音なので、上代の発音を読みへと飛躍されるその知識には驚きましたが(明らかにH音で記述したと考えていたので)その齟齬は否定させて頂ければと思います。 イメージがBBのような層を持つことを喜びとしています。 その点に関するお褒めを頂き、恐縮しています。 というか、ともかくまず褒めようとして頂いているお心遣いに篤く感謝いたします。 詩的な批評、ありがとうございました。
0まりもさんが音楽的な分析をなされていますが、この詩に音楽が流れたなら心地よいだろうな、とわたしにも感じますね。 「ヴィラ,ロボス」というブラジルの作曲家が記譜したクラシックギター曲に、前奏曲が一番から五番まであります。 短調の重苦しくてせつない冒頭の一番から、最後は軽やかで穏やかな風景が偲ばれるような長調で終わります。哀しい出来事がある。三番などを聴くと本当に胸に沁みてきます。特にE.フェルナンデスの演奏が好きですね。機会があれば一度手にしてみてください。素晴らしい演奏です。 久しぶりに聴いているのですが、その三番から五番までの曲と相性がいいような気もします。もしも朗読されたなら、と。あの曲に合うかな、と感じたので、言葉の流れとしては非常に響きを意識してしまいますね。長短調の明るさ暗さのメリハリもある。内容的には詩形態の有り様を自身に向けて問うておられるのかな。音楽を流しながら朗読されると、雰囲気はより高められる詩だと、拝読して思いました。
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