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非対称な鏡の言い分
「君のせいだよ」 そう呟いて消える事が許されるなら 幸福な事じゃないかと僕は思う 「僕のせいだよ」 そう呟いて自分のメンツを汚して済むなら 幸運な事だろうと君が話した 一向に止まない軋轢の連鎖が 「悲しい」という安易な言葉で踏みにじられる 俺は「悲しい」と言わない 「苦しい」と言う そうすれば 多少は 当事者意識を持てるだろうと思うから 沈黙する事が正義だなんて思わない それは世界から逃げ出す事でしかないだろう 血まみれになる事の痛々しさから逃げ出さない そうして私は 私である事に幾らか成功したような気がする
非対称な鏡の言い分 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 905.6
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-09-19
コメント日時 2017-09-21
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
「非対称な鏡の言い分」というタイトルに惹かれて読んだ。非対称な鏡からイメージするのは私の場合は、合わせ鏡の逆。背を向け合う鏡であり、それぞれの鏡が映すのは君であり、僕なのだろうか。それぞれの言い分。 正義の反義語は別の正義である、そのことを思い出した。
0三浦果実さま コメント頂き、ありがとうございます。 なるほど、そんな見方もあるんだな……と興味深く拝読しました。 私が念頭に置いていたのは、「『僕』と『君』が向き合いながら(つまり合わせ鏡の位置関係にありながら)、お互いに少しずつ異なる像を鏡の面に描いている状態」でした。 人は他者と関わる際、(とりわけある種の好意や愛着を持った相手に対しては)自分と似ている部分を発見し、自分の思い描くイメージを、相手の心に投影しがち……そんな傾向があるように思います。 しかし実際には、多少のズレや歪みを伴っている場合がほとんどで、それに気付かず交流を続けていると、ある段階で自分の幻想が崩されてしまう。そして深く傷付いてしまう。 私は最近、こうした状況をしばしば経験していました。それで「もともと君の描いているイメージは幻想でしかないんだぞ」「君のイメージがどうであろうと、僕は僕の生を生きていく」……そんな言い訳めいた事を書きたくなって仕上がったのが、本作「非対称な鏡の言い分」でした。 三浦さまの仰る「背を向け合う鏡」のイメージは、本作を書く上で念頭にありませんでした。……がしかし、「僕と君」の間に存在するズレや歪みが前景化して、深く傷付け合ってしまった場合には、背中合わせの位置関係に早変わりして、おのおの相手に対して異なる図像を描き始めるのかもしれませんね。 この状態を、例えば国同士の外交関係に置き換えるなら、「正義の反義語は別の正義である」が成り立つのでは、と思います。
0【追伸】 すみません。自分の作品を読み直しましたが、私自身が「正義」という表現を使っていたのでした。これは少し大袈裟に過ぎる単語であって、本来ならば「正しい」「妥当」などの言葉を使うべき所ですね。 自分の心理的葛藤を必要以上に膨らませつつ考える事によって、生きる意味を自分で再確認するような癖が私にはあります。
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