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日記
心配してるんだからね だいたことのある女にいわれて 母を思い出した 野放しにされた羊の 日曜日には何も 記されることがなく かみさまはもういないから らいしゅうはそっちにいこうかな 引きずってきた 洋服は しわだらけ たすけてあげるからね だいたことのある女にいわれた ケンサケッカが出るまではなんとか のんびりとやっていけそうだな 文法をまちがえる 障害 画鋲が今日も靴に入っていた しにたいとしにたくないが 歳をとるたび 手を繋ぐ 焦燥から一歩二歩 於: 田切町立図書館 だいたことのあるあの女は きっと今日とて マーガリンとジャムを塗った しょくぱんなんかを たべたりしてるんだ ○にたい ○にたくない
日記 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 850.2
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-09-17
コメント日時 2017-09-24
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
一度抱いたことのある女は、群衆の中ですれ違ったとしても判る・・・と洲之内徹が書いていたことを思い出しました。 ギリギリの緊張感の中で「そばにいる」状態と、一度肌を合わせた後の、両者を隔てている透明な幕、あるいは薄いガラスの壁、のようなものが失われた、共有空間のようなものが生まれている状態と・・・。 すれ違った際にも、そんなある種の親密さというものが、ふたりの間にはきっと、漂うようになるのだろう、と思います。 その感覚、質感のようなものは、あるいは親子の間に通う感じ・・・肌がふれあうほどにそばにいても、いわゆる「ドキドキ」や「ときめき」はなくて、馴染む感じ、懐かしい感じ、に近いかもしれない。そんな空気感の中で、ふっと感じる淋しさ、うとましさ、のようなもの。 家族的な親密さで、「心配してるんだからね」と入り込んでくる、傍若無人さ。迷える羊である自分を導く存在(希望)は失われている、そんなぽっかりと空間の開いてしまった、日曜日。 特に好きでもない、のに、引かれるように(自身の洋服を引きずりながら)その女のところに行ってしまう語り手、「たすけてあげる」と平然と言う事のできる、女の生命力、ある種の図太さ。 学校での陰湿な虐めを発端とする、心理的な病を得ている、それゆえに生命感や生存エネルギーが希薄になっている語り手と、健康そのもの、のような女性(村山槐多が描く、逞しい女性像、のような)が、対比的にではなく、並列するように描かれている、そんなイメージがありました。 図書館で記している日記、というシチュエーションの暗示、なのか・・・〈於:/田切町立図書館〉の効果が、いまひとつ、腑に落ちませんでした。最後に記すなり、最初に記すなりした方が、シチュエーション設定(であるならば)としてはよかったのではないか、と思います。 ボルカさんも記しておられますが、最後の一行、むりに伏字にしたことが、うまく機能していないように思います。女の生命力、日常力のようなものがくっきりと出ている〈マーガリンとジャムを塗った/しょくぱんなんかを/たべたりしてるんだ〉この行で詩を締めてもよかったかもしれません。
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