「……」
Tの息子が帰ってきました
「……」
午後四時ごろ、太陽はまだ空の上にあります
随分日の長くなったものだね
「……」
なんだか家の外から声が聞こえた気がします
籐の机のガラス天板の上の灰皿は吸い殻でいっぱいでした
私はここに座ったままなんとかその声が何をいっているのかを聞きとれないものか
しばらくやってみましたが ついに観念して 煙草の吸い口にもう一度唇を当て
深く煙を吸い込んでから
日記帳の全体の真ん中の見開きの
かがり糸の見えるページの
その横長の判型のびっしりと書き込まれたその中央のあたりに
吸いさしの煙草を無意識に押し付けて火を消し
すぐに立ち上がろうとしましたが
私の興味は 外の声にも惹かれつつやはり
日記を改めて眺めてみることにも惹かれます
それで私はしばらくまだ座ったままで かがり糸の見える
本のちょうど真ん中の見開き(今火を当てて消したページです)をひっくり返し
表紙と裏表紙を平らにして見てみます
その一連の手つきは手品師のような胡散臭さと正確さに裏打ちされたように――
いえそれはどうでもいいことです
手帳にとっても そして 私にとっても
手帳は〈正確〉な長方形でなく形がなんだかひどく引き攣っているのです
一度や二度ではないのでしょう
何度も雨に濡らしたとか水溜まりに落としたとか
日記帳全体を濡らしては乾かし
濡らしては乾かししたあとが散見されるのです
かつて私は〈奇妙に混乱した現在〉といいました
それはつまるところ現在はからっぽで そこに過去が充填され
満たしていると考えていたからです
いま というのはからっぽである
――過去 生活の歴史 そういったものを入れぬかぎり そうなのだ
いまは空っぽである。だから私は本来虚無であるはずのいま現在において
何も怖がることはない いまは過去で 私は満たされているから
しかし 私よ 未来もまた 〈奇妙に混乱した現在〉が満たしている――
日記を閉じ――眠れ、日記よ――ようやっと外へ出ました
日記帳も もはや今の私には関係がありません
そのはずなのです
玄関戸を開けると 門扉の向こうに 隣近所で
見掛けたことのある主婦が 二人立っています
「どうか、しましたか?」
主婦たちはもじもじしています
おかしなことです そんな歳でもないのに
ふたりはなんだかそっくりです エプロンが違うだけで
同じ髪の長さ 結っていません 少し濡れた髪
「どうかしましたか」
再び問うと返事が返ってきました
「子供の泣き声が聞こえますよ」
「でも子供ではありませんよ」
「子供の泣き声が聞こえますよ」
「でも子供ではありませんよ」
呪文のように唱えます
「もっと そうですね もっと幼いもののような……」
「いいえ そうでないような もっと年を取ったような……」
向かう途中から、泣き声は大きくなってきました
はて、私は今の今までそこにいたというのに……
辿り着きました
そしてどういうわけか広縁に置かれた
先ほどまで私が片方に座っていた対の籐椅子の上には
それぞれ おべべを着せられた赤子の姿が一つずつありました――
座面の窪みにすっぽり包まれて
眼からは涙がこぼれ
泣くその口からはクリアなよだれが糸を引いて
前垂れを清く汚しているではありませんか――
ピンクのべべと白のべべの並んだ光景はまるで紅白饅頭を思わせて
今その瞬間 命を言祝ぎなさいと誰かに背中を押されるようであり
あるいは優しい目に見えぬ引力で
(それはクリアなよだれそのもののようで)
赤子たち自身が無意識に引っ張るようであり
こうしておそるおそる近づいていくと
それは錯覚なのか
私達は彼らに接近しているのでなく 彼らのいるこの空間が彼らの内部であり
その中へ入り込んだようで
まるでわたしたちは乳臭いそこに
おずおずと入れてもらっているような気がいたしました
まるで目の前の赤子の輪郭が透明に広がって
それに包まれているようなのでした
「二度童子だっ!」
私はその瞬間、頬を平手打ちされたような気がいたしました
いま いま 目の前で火のついたように
泣き声をあげている赤子は
二度童子これ 正確には年を取り痴呆し赤ん坊のような状態になった老人を
指して言う古くからの私の故郷での呼び名です
二度童子だっ!
「お父さんと…… お母さんだ」
一歩、二歩と前に出たTの息子の声が聞こえました
「泣いてるね……」
誰にいうともなく彼はそういいました
赤ん坊の泣き声に掻き消されることはありませんでしたが
それは赤子とそうでないものの使う言葉が違うからなのかもしれません
「僕のお父さんとお母さんは 僕よりもずっと子供だ」
そして私はこの時はっとしました
赤子と死者は同じ あるいはとても近い――
そういった〈観念〉が縦横無尽に
私の裡に溜まった様々な事柄のあいだを
道筋づけて通過していきました
「僕のお父さん お母さん 子供にかえった――」
そう赤子と死者
だからその論理は例えば――
赤子のいる部屋 死者のいる部屋 そこへ足を踏み入れることは
彼らの充満した部屋 彼らの輪郭線の中に包まれるということです
一緒なのです
(これはけっして「匂い」や「気配」のことを言っているのではありませんし
もちろん「死臭」や「乳臭さ」とは別のことです)
先ほど感じた 部屋に入ることイコール 赤子の命の中に入っていく錯覚も
それなのでした
そして例えば「二度童」
これもよくよく考えてみれば赤子を二度やるのも
何も老人になるという必要はないのです
老いて痴呆になることはないのです
痴呆になるということは死ぬ前に
生と死後の順序が瞬間的にあるいは長期的に逆さになることで
本来死んでから訪れるはずの「この世ならぬ二度目の赤子の世界」が
まだ生きているうちにその人の裡にやって来てしまうということなのですから
自ずと老人期を迎えて痴呆にならずとも
いつでも人は死ねば赤子の世界に還る論理は成り立つのです
「二人とも泣いているね でももう僕は彼らの笑顔を知らないわけじゃない
(ここで彼は私に向けて)
このまま泣かせてあげよう
泣かせたままにしてあげよう
僕は 二人の笑顔を 覚えてないよ
でも 僕はもう今では毎朝 鏡の中に
二人が生きていた頃は知らなかった二人の笑顔を
僕自身の顔の上に見ているのだからね
(再び赤子に向けて)
だから泣け 泣け!
だから泣け 泣け!
そして大きくなったらまた僕を育ててくれるよね?
僕と暮らしてくれるよね?
どこかできっと、また必ず出会うんだよね?」
(野の原にて)
「こら!
みんないじめるな
僕以外誰も泣かせるな
この子たちは僕の
お父さんとお母さんなんだぞ!」
彼は笑って 赤子たちの頬を撫でた
赤子はそれから成長していった
私は一人こうしてあるということが
一人であったにもかかわらず
どういうことか知らなかったと思う
しかしそれはもとより知りようがないのだ
一人でいるということは
こんなにも多くのことにその生命を 精神を 存在を寸断され
それに付随してにぎやかな絵付けを施すように
耳裏や瞼を絵筆でくすぐられることになるのだから
私は他人様の未来に来てしまった
一人でだ
Tの息子は Tたちが親たちが いる 私とは関係がない
未来は
私は
私が一人であるかどうか それすらも判断のできぬところに来ているのだ
なぜなら今もこうして家に一人でいても
こう思考することすらもそこになかったはずの
なにかをも 私の思考になにかをも書き加えながら
ほら そうしていても あなたが
私がTの日記を見たように
あなたがこうして私の現在を盗み見るではありませんか
作品データ
コメント数 : 4
P V 数 : 1699.3
お気に入り数: 2
投票数 : 2
ポイント数 : 26
作成日時 2021-04-02
コメント日時 2021-05-11
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 10 | 10 |
前衛性 | 3 | 3 |
可読性 | 3 | 3 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 5 | 5 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 5 | 5 |
総合ポイント | 26 | 26 |
| 平均値 | 中央値 |
叙情性 | 10 | 10 |
前衛性 | 3 | 3 |
可読性 | 3 | 3 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 5 | 5 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 5 | 5 |
総合 | 26 | 26 |
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2024/11/21 20時55分32秒現在
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久しぶりにB-REVIEWを開いて、この作品を読んで、僕は深く安心しています。理由は分からないけれど、そう感じました。大抵、コメントした後になってから、もっとこう伝えたらよかった。 と、感じる場合が多いのですが、 そういった感覚を保留させてくれる感覚が文章に宿っているように感じるのです。
1そのような感想を寄せてくださってうれしいです。私も「深く安心」しました。 ありがとうございます。 私はコメントした後、たぶん「もっとこうお礼を伝えられたらよかったと感じる」かもしれません笑
1この作品で、二度童子という言葉を初めて知りました。調べてみると還暦ともあり、なるほど、となりました。 リアルだけれども、倒錯的で、怪奇小説のようでもあり、とても面白かったです。 煙草を吸うところ、日記帳の描写など、淡々とディテールを語っている部分が、くどくならずに次へ次へと読ませるのが凄いです。
1コメントありがとうございます。 褒められて私も(そしてきっと)作品も喜んで小躍りしています。 嬉しかったです。
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