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視点
僕の視点は常に、地面から137センチほどの所に浮游していて、いつも通る路取りをゆるゆると僅かに上下左右に揺れながら漂っていて、道端に落ちているポテトチップスの空き袋や、まだ開店していない居酒屋や、電柱の先端にとまっているカラスなどを眺めている。その視点は僕が電車に乗っていても、コンビニやスーパーの店内をうろついていても、カフェでコーヒーを飲みながらガラスの容器に入っている白い砂糖をぼうっと見ているときも、やはり地面から137センチほどの所にふわふわと浮いていて、僕がぼうっと見ている所の5.9センチほど向こう側の空間を凝視しているようだ。 この視点は僕から独立しているのではなく、それでいて僕に従属しているわけでもなく、あえて言えば付かず離れずといった状態で、時々「相手の身になって考えろ」とか「客観的に自分を観てみろ」とか言う人がいるけれど、そういうことを言う人達は皆、他人の眼からのインサイドアウトや外側からのアウトサイドインの視点をきっと持っているのだろうが、こんな中途半端に浮游する視点を他の誰もが持っているのかどうか僕は知らない。それから「視点を変えてみろ」とか「複数の視点を持て」などと言う人もいて、それなら僕にも少しはできるかもしれないが、なぜか僕の視点は地面から137センチほどの所に固定されてしまっていて、それは僕の身長と関係あるのかもしれなくて、そうであったら今となってはもうそれを変えようもないけれど、もしかしたら身長とは何の関係もないかもしれなくて、とにかく視点はを変えることには限界がありそうだ。 僕は時々手元にある小さな麻袋から、大きくも小さくもない木槌を取り出して、壁や柱や机やコーヒーカップや便器などを叩く。そんなときはいつも、周りの人達から奇異の眼で見られたり、ときには「うるさい」と怒られたりするのだか、それは中に空洞がないかどうか打音検査をしているわけではなく、材質の良し悪しを調べているわけでもなく、ただ僕の視点に映るものが夢でも幻影でもなく、本当にそこに存在しているかどうかを確めたいという、自分ではどうにもできない衝動に駆られて、止むを得ずしていることで、更にそれが高じて叩く音を聞くだけでは安心できずに、カンカンとかゴンゴンとかいう音を、自分の口で復唱して確認する時もあったりして、そんなときは、周りの人達から更に気味悪いものを見るような眼で見られたり、何も見ていないふりをされたりする。 僕の視点が地面から137センチほどの所に固定されて、常に付かず離れずゆるゆると揺れながら漂っていて、僕の視線の5.9センチほど向こう側の空間を凝視しているような状態になってしまっているのは、やはりそこに強い不安があるからのようで、その不安というのはやはり、僕を取り巻いている道路や建物やテーブルやコーヒーカップや便器や壁などの、この世界全部が夢でも幻影でもなく本当に存在しているのかどうか確信が持てないということのようなのだが、こんな中途半端に浮游する視点を他の誰もが持っているのかどうか僕は知らない。
視点 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 865.9
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-09-12
コメント日時 2017-09-14
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
一読して面白いと思った。読み始めは、これは、詩だろうか、あるいは、エッセイなのか、と定まらない気持ちであったけれども、読後感として、これは詩だと、私は受けた。内証についての他者と自己の比較、あるいは、実存への迫り。観念的な語りと合理的な表し方が合致されないながも一定のリズムによる読み続けたくなる流れがある。そのことが、イメージ作りへの必要な「構造に強度を持たせること」を無用にしている。とても不思議な文体だと思った。私的には。おそらく、私は半年一年の後にでも、もう一回読みたくなっていると思うほど、本作を好きになった。また、作者m.tasaki氏の他の作品も後で読んでみたくなった。
0三浦果実様 コメントをありがとうございます。 この様な形式の詩を書くのは実は初めてで、自分の内にある心情を比較的自由に表現してみました。 読みにくくなっていないか心配でしたが、面白いと仰っていただき、大変嬉しく思います。 ありがとうございました。
0作品のなでも「浮遊」という言葉が何度も出てきますが、文章自体にも不思議な浮遊感があって非常に魅力的に感じました。「この世界全部が夢でも幻影でもなく本当に存在しているのかどうか確信が持てない」といった説明的な表現もあまり説明的とは感じさせないところがとても不思議です。「137センチ」や「5.9センチ」といった半端で具体的な数字が度々出てくるのも、また、いちいち木槌で叩いて「本当にそこに存在しているかどうかを」確かめるといった行動を取るといった描写もなかなかに偏執症的だと思うんですが、それが淡々とした語り口のせいなのか、強迫的で神経質に感じられるというよりはむしろ、ふわふわとした独特の心地よさと共に感じられる気がします。表現されている感覚に対するある程度の共感もあるのかもしれません。
0survof様 コメントをありがとうございます。 確かにこの詩を書いているときにはある種の浮遊感がありました。 自分の視点がこの肉体に固定されていることの不思議さ、あるいは違和感、周りのもの全てが、この視点の側だけをそれらしく見せているだけの、張りぼてのようなものではないかという不安感などを、表現したかったのですが、そこに多少なりとも共感していただけたならば嬉しいです。
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