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透明な統計表
1 東日本大震災・死者・行方不明者数 二〇十二年三月十日(石巻日々新聞) 死者 15854名 宮城県 9512名 岩手県 4671名 福島県 1605名 茨城県 24名 千葉県 20名 東京都 7名 栃木県 4名 神奈川県 4名 青森県 3名 山形県 2名 群馬県 1名 北海道 1名 行方不明者 3155名 数字だけが書いてある 死者を数量で表せば 伝わりやすいし 分かりやすいだろう 掲示板もだいぶ傷んでいて 新聞記事が剥がれかかっている あと二、三日したら 風に飛ばされ どこかに消えて 無くなるだろう でも 私が読み終わり 遠く 水平線に眼を逸らすまで 新聞記事は いつまでも 数字の視線の高さで 影のように 血のように 私をみている 風が唸る音がした いつまでも 身体を撫ぜる 大気が剃刀のように 斬りつけているのに 空だけが なぜこんなに青いのだろう 私は 廃屋の 古びた土の壁に 思いついた名前を 拾った鋭利な石で刻んだ 佐藤一郎 山田邦夫 福島たか子 水野久子 石川ゆきえ 斎藤 まさよ 2 そこにいる 眠れる数字を アサガオと言おう もし それがアサガオでなければ きみは誰だ でも アサガオにしては 蔓がない 葉がない 花もない アサガオだ アサガオをアサガオと言おう ほら みずみずしく 赤い花を咲かせている 花の名を 私は 地面に 強くアサガオと 木の枝で書いた 3 私の眼のなかで 笑っている 一組の家族 稲を刈る農夫たちが 鎌を振っていた ふむ土に 青く塗された 草の名前は セイヨウタンポポ 一面 夕日にむかって 繁茂している 私の耳のなかで 熱気をあげて 海の魚を待つ人たちがいた 市場を 通った 冷たい風が だれもいない街の 留め金が取れかかった バス停の時刻表を ゆらしている 番号を付けられた 木棺のなかの きみたちは いつも 熱狂的だった やがてあたたかい血は 雨で すこしずつ 冷やされていった 小学校の 体育館には 片づけそこなった 椅子が 山積みにして置いてある 4 錐のような声 かつて 安住の地であった川面に 身体を休めている 傷ついた水鳥の群れ やがて 空に一羽ずつ 飛散する 大地を斬るような声をあげて 凍える冬に 翼を むけている いくべき場所に 数字を ひとつひとつ 背負っていくだろうか 私は 知っている在郷の詩人の名前を 紙に書いて 海鳥の足に結び付けた 6 海辺に 一人の少女が ランドセルを背負ったまま いつまで立っている 逆光線のように ひかりが海辺で 乱反射している それを鋏で切り取れば 枯野のような空と海と大地と 間を埋める 昼と夜のひかりと影が 止めどなく 溢れだしてくる 私はスマホで撮り 映っていない少女の写真に 東京の知り合いと同じ 女性の名前を付けた
透明な統計表 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 858.0
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-09-12
コメント日時 2017-09-22
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
素晴らしい詩ですね!! 以前から硬質な詩体で書かれる方とは思っていましたが、 この詩には深い感銘を受けました。 どこを切り取っても平凡でない、自ら考えた喩が成立していて それが、読むものに荘厳なレクイエムとして迫ってきます。 最後の少女のくだりも、逆光で写っていなかったのか、 あるいは、最初から作中主体の心の中のみにいた存在だったのか、 そのわざとぼかした感じが、余計に詩を感じさせ、切なさを増幅させます。 全体も、感傷的にならず、しっかり震災という悲劇を描き出していると感じました。
0ふむふむさんが投稿された「愛の名前」の続編、もしくはもうひとつの「愛の名前」といった感じで読みました。 比喩を数珠つなぎに連想させていき、描きたいもののひとつであろう感情を強く形成していく。 やがて風化してしまうだろう記憶も強く書き留めることで忘れないようにしたい、という決意も自己だけに留まらずに読者にも決意させるような、そんな強度をもった詩文の連続に感動しました。 これは傑作だと。
0こんにちは。 白島さん。ご批評ありがとうございます。 素晴らしいと、賞賛されると、少々はずかしいです。^^ でも、とてもうれしいです。 この詩の原型は、同じ題名で 2013年に初めて書いたのです。 でも、内容が極めて同情的になり、 実際、災害を受けていない、関東地方の人に、本当にわかるかと、 言われ、酷評を受けたのでした。 でも、僕でも書ける、震災の詩とは、どういうものなのかで もう、5-6回、書き直しました。最初の原型は、一部を除いて 留めていません。何度も推敲、修正を重ねました。 これは、そういう思いで書いた詩です。 ですので、ご評価を頂いて、凄くうれしく思っております。 有難うございました。 エルクさん、こんにちは。 ご批評ありがとうございます。 傑作^^であるか、どうか分かりませんが、 「愛の名前」も僕の言葉で書けているかなと思いますので、 そういう意味で、白島さんの、ご批評も手伝って、何とか、書けていると思いました。 そういう意味では、似てるかなと思いました。 震災の詩は、後いくつか納得できない書きかけがあるので、こういう方向性で、 書いていこうかな、と思いました。 とても、おほめ頂き、大変うれしく思いました。 自身にもなります。ありがとうございました。
0間違えました。詩の番号6を5に訂正をします。よろしくお願いいたします。
0前田ふむふむさん こんにちは。 非常に良いと思いました。 「良い」という価値言明を詩文に対して、どのように使用するかは難しい問題を孕むかとは思いますが、「傑作」や「快作」といったことばを私はこの詩文に対して使いづらく、ただただ「良い詩」であると申したく思います。 後日、もう少し述べさせてください。
0〈でも 私が読み終わり 遠く 水平線に眼を逸らすまで 新聞記事は いつまでも 数字の視線の高さで 影のように 血のように 私をみている〉 このくだりから、数字、ではなく、名前、を刻む、という行為へ至る流れ、そこに・・・数字、という無機物の背後に、血肉を持ったひとりひとりの人間の姿を切々と感じている、見られている、と感じる、鋭い感性を感じました。 二連目の「アサガオ」の部分は、若干、観念的かな、という印象も受けましたが・・・名付けることによって、そのものとなる、名付け、という行為の神秘。 三連目、〈私の眼のなかで 笑っている/一組の家族 稲を刈る農夫たち〉と、〈私の耳のなかで/熱気をあげて 海の魚を待つ人たち〉・・・踏みつけられても逞しく繁茂する西洋タンポポの繁る大地と、〈だれもいない街〉・・・目について離れない、耳からあの声が・・・というような言い方はしますが、この作品では、語り手の眼の中に、耳の中に、まるで住んでいるよう。こうした、理屈ではあり得ないけれど、言葉の論理ではあり得る断定、こうした作者の「独断」こそが面白いのですよね。面白い、と書きましたが・・・眼、耳の中に、くっきりと住まう存在である、数字、ではない、血肉を持った存在に還元された死者。〈番号を付けられた 木棺のなかの/きみたちは いつも 熱狂的だった〉と急転する部分ですね。それから、死者たちが、本来座るべきだった席・・・を思わせる、〈片づけそこなった 椅子が/山積み〉のフレーズ。 四連の、渡り鳥のイメージと、死の国へ旅立っていく死者たちのイメージ。 五連、が無くて(ここにも、大きな空白、透明、がありますね・・・)六連、語り手の眼には、くっきりと見えているのに、スマホで撮ると、写らない。他の人たちの眼には見えない少女、語り手にだけ、見えている少女。その少女に、知り合いの名を付ける・・・つけると、付けられた者は、その者となる。語り手には、その知り合いの女性、として立ち現れて来る、のかもしれません。 〈私は 知っている在郷の詩人の名前を 紙に書いて 海鳥の足に結び付けた〉ここは、詩人の想いを、死者の元に届けてほしい、ということ、なのか・・・誰もが、いつ、死者となるか、わからない、ということ、なのか・・・他の方の評をぜひ伺いたいと思った部分でした。 全体に、分断されたイメージが連なっているように見えるのに、語り手にだけ、くっきりと見えて来る死者、あるいは、語り手によって、名付けられ、そこに「在る者」「いる者」として確認され直す死者たち・・・という首尾一貫したイメージで統合されている。分断と統合、その飛躍の具合とか、読者に手渡すときの可読性の問題、そこが難しい作品でもある、と思うのですが(特に、二連の観念論的な部分)コメンテーターが既に軒並み、良い、と評していますし・・・読むのが難しい作品であるとは思いますが、読者にしっかり、手渡されていく作品である、と思いました。
0こんにちは。いろいろあって、 遅くなり、申し訳ありませんでした。 Bananamwllowさん、良いというご評価、ありがとうございます。 まりもさん、 きめ細かく、丁寧なご批評有難うございました。勉強になります。 2、ですが、 これは、詩を書いているとき、脳裏に浮かんだフレーズなので、 どうしても、花も、蔓も,葉もない、殆ど原型をとどめていないものを 自分だったらどう思うか、という事を書いたのです。 頭に浮かんだフレーズなので、やや観念的なのかもしれません。 詩は、難しいですね。 3.11の東日本大震災のことを書いていますが、 この出来事を、自分だったら、どう書くかというチャレンジであったので、 好意的に受け取って下さり、ありがとうございました。
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