あたしなんで抱きしめたいんだろう/chara
「私の愛で ふとったらいいのに
追いかけないで そうなりたいのに」
この遊びを恋と笑って/chara
「僕」は考へる
綺麗なものはわかるが
人に美しさと醜さがわかるだらうか
私の心は醜悪だが、
美しくないわけではなゐ
灼熱 という言葉について僕は考へる
「美しい」と云ても、
はたして本当に美しさだらうか
「考えてる」と云ても
ほんとうに考えただらうか
豚の肌が、色貧しく
愛の
にくみ
悠久の友、
僕をご存知?
「僕」という、これが最終の
この世のあらゆる醜さの
その全てですわよ
あなたの太陽です
悠久の友よ
あなたはオレンジよ
私があらゆる醜さで、あなたは光の私から傷んで
沢山の色彩の涙を流せ
君は愚か者の心を知つてわかり、
ずつと輝きます
紫金に
少年の頬に
「哲学がない」
「何も理由がないぞ
心を
研磨するのだから
星が底に有るのだぞ」
詩に
心を打たれるのが
だらしないのか
ピストルはSEXYで有り
持ってみたいなと思う
君の寂しさを思い
ダストボックスに為ない
意味が
光の横の(光の扉)を叩く
先鋭したあとが本当に大事なのだが
私には哲学がない
キズやカルシウム
此の乳で
大雨(だいう)で
傷付く事に
人間界も
詩の夢も
同じだ
関係かない
棘が刺さる肌に、あなたの
チューリップの色が感覚的にふえる
この花の輝きは
作品データ
コメント数 : 2
P V 数 : 1077.7
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 2
作成日時 2021-03-06
コメント日時 2021-03-07
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 2 | 2 |
| 平均値 | 中央値 |
叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 2 | 2 |
閲覧指数:1077.7
2024/11/21 20時40分58秒現在
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一気に全部を掴もうとすると掴みきれなかったので、僕の勝手で申し訳ないのですが、便宜的に前半部と後半部に分けてから考えてみます。「紫金に/少年の頬に」という二行の後が後半部とします。 前半部では、引用を用いたり、旧字を用いたり、です・ますを使うことで呼びかけのような語りになったりと巧みなナレーターがいるように感じました。目を引いたのが、「美しい」と「考えてる」についての語りです。「確かに」と相槌を打つぐらいしかできないのですが、果たしてそう相槌を打っても「どのようにして確かなのか」と問われてしまいそうな。「美しい」も「考えてる」も形のない思考だからこそ、それが「どのようにしてそうなのか」という部分を説明するには、言葉を使うしかありません。実際に物で示せれば楽なのですが、人間って視覚による情報に頼りがちだよなとか考えてしまいます。あと、「言うは易し」で、実践というのが大事だよなあと。 「僕」という存在がどういう存在であるかの説明をですます調で語りながら、「友よ」という呼びかけ。「僕」は「この世のあらゆる醜さの/そのすべて」だと、なかなか言えないよなあと。そして「悠久の友」という対比。この関係性が「君は愚か者の心を知つてわかり、/ずつと輝きます」と、「君」は「僕」の理解者として示されているのですが、「君は僕の理解者である」ということを理解している「僕」もまた「君」の理解者であるように思えます。これは、後に出てくる「君の寂しさを思い」という一行とも無関係ではないでしょう。 後半部では、二つのセリフから始まるのですが、この二つのセリフの発話者は「君」であるように思えます。内容が愚か者である「僕」を叱咤するように見えるからです。そうした言葉に内省をする語り手である「僕」。思考した結果行き着くのは、「私には哲学がない」という、やはり「君」の指摘どおりになってしまうと。 ここで、タイトルに目を向けてみるのですが、「傷み」ですかと。基本的に語り手は「僕」なので、醜悪な心を持った「僕」が傷を負っているように見えてしまうのですが、そうじゃないかもしれないなあと。「僕」から見て「君」は輝いているようにも見え、「君」は「僕」を叱咤することもあるのですが、やはり「君の寂しさを思い」という一行がすごく効いてくるのと、ここで最初のcharaさんの引用が効いてくるなあと。「抱きしめたい」ってあるんですが、これ、「抱きしめられたい」じゃないんですよね、「抱きしめたい」んです。明言されておらず、勝手な読みですが、「君」は輝いていて、「僕」は醜悪な心を持っているかもしれないけれど、多分、「君の寂しさ」に気付いている「僕」は「君」を「抱きしめたい」のかなあと。 逆読みで申し訳ないのですが、ここで前半部の「あなたはオレンジよ」のくだりが読めてきました。「私があらゆる醜さで、あなたは光の私から傷んで/沢山の色彩の涙を流せ」と。「君」が傷んだりする原因は「僕」にあるのですね、「直射日光はお避けください」ってやつですね。そうか、「君」が輝けるのも「僕」という光があるからなのだと今更気づきました。二者の閉じた世界ではあると思うのですが、それでも、どちらかがどちらかに一方的というわけではなく、循環的な関係性であって、「哲学がない私」なりの声明なのだと受け取りました。
1私はこの時相手にたいして辛かったんですな。なにか「伝説」のように愛してしまおうとして、目に見えない思考、詩も目に見えない努力であり厚みがありますが、日頃の試みを表現した。こういうことを語るには詩人(この場合詩を感じそれに沿う人)も詩人でなければ、人間故に破壊がなされる。今思えば私は神経質になっててそれをそんな恐れる事でありませんでしたが、 ただただ書いて伝えることを、しながら、自分の力量を感じています。「私は醜い」「あなたはオレンジ」だとさらに視覚に示してあげて、弱くいない。私は醜いが、甘心をしているわけではないということを全部書いてあげる。さっき、人の失敗を背負うということばを目にしたのですが、①くだらないことがあって、②人がいて、何か助けて③緊張感があって、 そういう下りの方に行って、アクションしてみなければわからないこともある事とを思い出しました。人生の暗い部分から入った作品ですがそういう練習作ですが、なかたつ様は思考されて、何かに気付かれ、私も嬉しく思います。 長文の考察、コメントありがとうございます。とても楽しく読みました、ありがとうございます。
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