光を蹴る日 - B-REVIEW
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光を蹴る日    

柔らかな葉をつける木と話をするように 移民は崩れた水に口づけて 言語を失って水は生きられない と、 叫ぶ地面について書き始める ぶらぶらと足を揺らして 身近なものへ熱を預ける アルミの机が体温を下げるあいだにも魚は前に進んでいること そっと開いた瞳の中に収まるつむじ風に 僕の所在を問いかけたこと 蒸発する前に 降り注ぐのを待つそのために傘を置く 手を広げた


光を蹴る日 ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 8
P V 数 : 1623.8
お気に入り数: 0
投票数   : 0
ポイント数 : 1

作成日時 2021-02-19
コメント日時 2021-02-25
#現代詩
項目全期間(2025/04/09現在)投稿後10日間
叙情性11
前衛性00
可読性00
エンタメ00
技巧00
音韻00
構成00
総合ポイント11
 平均値  中央値 
叙情性11
前衛性00
可読性00
 エンタメ00
技巧00
音韻00
構成00
総合11
閲覧指数:1623.8
2025/04/09 11時35分48秒現在
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    作品に書かれた推薦文

光を蹴る日 コメントセクション

コメント数(8)
福まる
福まる
作品へ
(2021-02-19)

昔の私の地元も移民で多くの人々が海外へ渡っていきました。それに思いを馳せると少し辛いものがあります。詩的には苦難を経験してきた移民の方々の思いが綴られてると思います。いい詩だと思います。たまに移民の子孫の方々が地元に来て交流を深めているので良いことだと思っています

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n
福まるさんへ
(2021-02-19)

ありがとうございます。移民が近くにいる環境にいたのですね。 自分を俯瞰するために必要だったので、移民を借りてきました(言い方はあれですが)。木なら地中でどこへでも通じていると思ったんです。

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ほば
作品へ
(2021-02-20)

>移民は崩れた水に口づけて >言語を失って水は生きられない 水が合わないとかいいますが移民と言う単語から故郷の水を懐かしむようなものを感じます。手を広げた、に何か風のようなものを感じました。具体的でないのが申し訳ないが。素晴らしい、と思う。

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n
ほばさんへ
(2021-02-21)

水たまりの水をイメージして書きましたが、故郷の水という捉え方も悪くないですね。うまく終わりを結ぶことができたので満足しています。ありがとうございます。

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なかたつ
作品へ
(2021-02-23)

 数日間に分けて、10回ぐらい読んでようやく見えてきました。  正直に言えば、最初全くわからなかったんですね。それで「手を広げた」という終わり方は何となく素敵だなあと思いながらも、「手を広げた」と同時に作品が開かれて終わる。作品が開かれるというのは、逆に言えば、作品が閉じるというのは一つの帰結が示されることとほぼ同義であって、「手を広げた」その先に何があるのだろうということが、作品が開かれるという表現になって。  説明的ではなく、ましてや独白や感情吐露ではなく、淡々と出来事、動きを捉えた作品。僕が得意なのは、語り手の「私」の姿が見えてくる作品ですが、こうしたカメラアイに徹して、感情吐露のない作品に対しては、いつもいつも頭を悩ませつつ挑んでいる感覚です。  「移民」というのは、文字通り移動する人であって、「口づけ」るという行為は、かつて神が息を吹き込むことで生命を与えたように、水に生命を与えるかのような印象をいだきながらも、水は「言語を失って」いて、「生きられない」と。逆に言えば、言語を得ている水は生きられるのだろうと。そして、「叫ぶ地面」とあり、水は言語を失い、地面は声を持っています。「書き始める」主体はおそらく移民。息を吹き込むのが生命を与える、と例示しましたが、ここで移民がしようとしていることは、吹き込むのではなく、吸い込むこと。「口づける」というのは与えるばかりでなく、受け取ることもできる行為であり、「水」が発する言語を受け取ろうとしてもできず、代わりに、「叫ぶ地面」の声を聞き取ったということなのでしょう。  二連目はは「僕」の行為。「熱を預ける」という行為は、片方が熱を与えると言う行為であると同時に、もう片方が熱を受け取るという行為でもあり、授受が表裏一体、これは口づけもまた同様であると。「瞳の中」とあるのですが、「瞼の中」ではなく、「瞳の中」というのは本当に僅かな空間であって、そのほんのすき間で「つむじ風」をこれまた受け取ることによって、「僕の所在を問」うということ。「熱を預け」て与える存在であると同時に、「つむじ風」を受け取る存在でもあるという表裏一体。  三連と四連は合わせて読むのですが、やはり「手を広げた」がなんなのか。掌を握れば、熱が手の中にこもりますから、手を広げることによって掌を逃がすことができるなあと。これは最初の読みだったんですが、「傘を置く」からの「手を広げた」という繋がりを読めば、あれですね、街中でよく見かける、雨が降っているかどうかを確かめる行為として、手を句中に広げるあの光景がぱっと思い浮かび、これが正解かどうかではなくて、ドンピシャにはまったということになります。まだ雨は降り続けているかもしれないですし、止みかけかもしれないですし、全く降っていないかもしれないですが、傘を置いたことによって空いた手が広げられるのはやはり、それを確かめるという行為。これは前段にある「僕の所在を問いかけたこと」にも繋がってきており、この作品は淡々と出来事を書いているだけだと最初述べたのですが、語り手自身、この出来事に対して確固たる自信を持って語っているわけではなくて、起こったことをそのまま語りつつも、その不確かさをも抱えているということなんだと勝手ながら思った次第であります。

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鈴木歯車
作品へ
(2021-02-25)

>ぶらぶらと足を揺らして >身近なものへ熱を預ける >アルミの机が体温を下げるあいだにも魚は前に進んでいること >そっと開いた瞳の中に収まるつむじ風に >僕の所在を問いかけたこと この第2連(第2カタマリ)が良い.とくに1~3行目と4,5行目の乖離が心地よい.ただ,もっと語を削ったり,改行で空白感を持たせても,伝わるものは伝わると思う.

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n
なかたつさんへ
(2021-02-25)

私が詩を書くときには、大抵球体があります。表裏一体ということに言及していただけて嬉しいです。 >「口づけ」るという行為は、かつて神が息を吹き込むことで生命を与えたように、水に生命を与えるかのような印象をいだきながらも、水は「言語を失って」いて、「生きられない」と。 ああ自分が書きたかったのはこういうことだよなあ、と教えてくれます。

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n
鈴木歯車さんへ
(2021-02-25)

最近知人に詩をみせて、一行が長くないか?と言われたばかりでした。自分ひとりだとなかなか気付かないものですね。感想も励みになります。

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投稿作品数: 1