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不眠症のポエム
<dusk> 覗き込むと水晶体が合わせ鏡になって遠くに 自分を映し出すいつもと同じ形同じ音、部屋 の中だけが明るく取り残されてたから今日も 昨日の視界を盗んでる今頃僕はどこかで一人 置き去りにされていておそらくシューベルト でも聴いているんだろう、だけど今のことは もうよく思い出せないどうしてもどうしても (0/140) ・ <a story> 古い時計の鐘が昔私に零を教えてくれました それと同じ鈍い音で今日も誰かがショパンを 弾いています急に風が吹いてカタカタと悲鳴 が窓枠を開けましたその日、落ち葉と記憶が さらわれた。取り残されたのは静脈まるで蔓 のよう。リネンのシャツを一枚、長袖のやつ それから、ブーツとピアノを買いましょう。 (0/140) ・ <a memory of parents> 硝子のような深緑色に染った夕方のその橋に 沢山の人達を掻き分けて僕はみつけたようだ 声をかけても振向きもしないその二人は二人 きりの男と女で沢山の人混みの中でただ二人 だけの女と男で寄り添うその刹那、深緑色。 それは連続した一瞬という訳の分らない名前 がついた出鱈目な永遠という事になるらしい (0/140) ・ <dawn> 眠られなかった夜は夜なのか朝なのか寝返り を打ったらぞろ目の時計と目があったきっと 切符を買い忘れたのだ冷蔵庫のなかにそれを 求めて今、僕はどこ、そこ、ここ。ボートに 横たわったまま沖へと送られる自分を思い浮 べれば霧雨いつの間にか僕は花葬されていた おはよう、そこのカラス、僕はもう寝ます。 (0/140)
不眠症のポエム ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 905.3
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-09-07
コメント日時 2017-09-18
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
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可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
ツイッターの制限文字数で書くというのは使い古されたネタではありますが、書いていて楽しかったです。
0花緒 さん コメントありがとうございます。レスしにくいという点に関して言うと、前作は無意識のうちにそんなものができあがってしまった。今回は、レッサーが評価しにくいものをわざと作ってみたい、と意図したところがあります。が、とんだブーメランですね。いざレスを頂くと(勿論とても嬉しいのですが)、レスに対するレスを返すのが非常に難しいです(汗)。Taylor Deupree をあげてくださったのはとても嬉しかったです(大好きなので)。しかも、Taylor Deupree の作品のなかでも4つ打ち系の作品ではなくアンビエント系の曲を挙げてくださってたのが特に。 花緒さんのコメントでいろいろ考えさせられたことがあるので、もう少し頭を整理してから(うまくまとまるかどうか自信はないのですが)また後日改めて返信させてください。
0花緒さん ちょっと、というかだいぶ長くなりますが、改めて返信させて頂きます。自分のコンセプト的なことを直接書いてしまうのはあまり好きではないのですが、今回はなんか語りたい気分なので、お時間があるときにでも読んでくだされば嬉しいです。 まず花緒さんのコメントで「日を変えながら何度も読んだ。」という言葉がとても嬉しかったです。というのは、そもそも作品をこの形に閉じ込めたのは、ネットにおいて表現物(詩、文章に限らずイラスト、写真そういったものすべて)は、本当の意味で深く鑑賞されることはあり得ないかもしれないし、自分もまるで消費するかのように鑑賞してしまっている(情報量の多さゆえにそうせざるを得ないし、おそらくこれからもそうだろう)、という一種の諦めが出発点となっているからです。 消費するように表現物を鑑賞してしまうというのは、あるいはネット上のことだけではないのかもしれません。自分の場合、昔のいわゆる文豪が書いた文学作品などはそれこそ時間をかけて本当にじっくり味わいながら読みますが、最近の作家さんの作品はどうしても消費するように読んでしまうものが多い。自分の怠慢だと云われればそれまでの話なのですが…。 詩であれば、例えばリルケの詩を読むときは一つ一つ隠喩の意味を考えながらじっくり読むのに、最果タヒさんの詩の場合は理解することをある意味放棄して、表面の感覚だけをさらうように読んでしまうところがある。(ちなみに最果タヒさんは大好きで詩集は何冊も持ってます。自分は詩のコンテキストにはあまり通じていないので、あくまで素人意見なのですが「グッドモーニング」などを読んでると、自ら他者の理解や共感を拒否して書かれているようにも感じます。一番好きな詩集のひとつです) で、自分の作品の話になるんですが、今回の4連はもともと別々の作品として書いたものです。自分が個人的に体験した感覚とか、または論理的な文章にはならない思考とか、そういったものをどうしても表現したくて、技術的には拙いながらも、かなり切実な思いで書いたものです。 で、最初の出発点に戻るんですが、どんなに切実な思いで書いても、それは読者には伝わらないのではないかという疑念、そして自分も他の人の詩に対してそこまでじっくり対面できていないし、もしかしたらものすごく切実な思いで書かれたものに対して、とても的はずれで辛辣なコメントをしているかもしれない。そう考えたときに、じゃあいっそのこと、自分が大切な思いで描いたこれらの作品を表面的に扱われるようにしてしまおうと考えたんです。 そして、どうすれば表面的にしか読んでもらえないような形に落とし込めるか、ってことを考えたときに、まりもさんの「奏楽」をお読みしたときの自分の感覚を思い出しました。まず綺麗な長方形のフォルムに目を奪われてなかなか読み始められなかった。もう一つは読み始めてもなかなか頭に入ってこなかった。ということです。ただ、まりもさんの詩は個人的にとても好きなのでやっぱりきちんと読みたいと思った。何回も読んで、少しずつ頭に入ってきたな、と感じたときに、詩で描かれている情景がとてもコンパクトに感じられてこれは非常に美しい、と感じました。それでそのフォルムをそのまま自分の作品にも適用してみようと、ということが一つあります。 (すごく好きだなと思う詩人さんは他にも何人かいらっしゃって、それでも残念ながらじっくりと対面するというところまでは読み込めない。スマホで読むときはもっと親密さをもって読むことができたりするんですが、それでもやはり深いところまではなかなか潜れない。) もう一つは消費される表現、ということを考えた場合にやはりTwitterが頭に浮かぶんです。なので、Twitterの制限文字数140文字ぴったりに収めて、なおかつ長方形のフォルムしてみたら、フォルムは綺麗になるし、読みやすさは減るかもしれない。やってみると、どの小品もだいたい140文字前後。あとは改行の位置の都合であちこち微調整をする。でも、改行を意識して仕上げたのでそのままツイートしたら言葉のちょっとリズムとかが変わってしまう。そのこだわりは残したい。限りなくツイートのよう見えて、厳密にいうとツイートではない、ツイートできない。 長方形のフォルムに無理やり押し込めることで、自ら理解されること、共感されることをある意味拒んでおきながら(というより、そういう心持ちでいながら)、やっぱり消費されるように鑑賞されたくはないという気持ちがあって、この方法は自分の今のアンビバレントな感覚にうまくマッチしている。などと、いろいろグチグチ考えた結果、この表現に落ち着きました。 意図どおりの効果がでているかどうかは、まだ自分でも客観視できていないので他の方の意見が欲しいところでもありますが、まずこのコメントで書いていること自体、正確に理解されないのではないかという思いもありつつ……(あるいは自分がきちんと書ききれていないのではないか、という問題もありますが….) <書かれている内容というよりは筆致を楽しむタイプの作品だと思う。とするならば、純粋に技術力こそが批評の俎上に上がるべきだが、下手だとは思わないが、秀でて上手いと思わせる詩文もない。> 以上の流れがあって作品を作ったので、花緒さんのこのご指摘は、私にとってとても核心をついたものに感じられました。おっしゃる通りで、もし自分が「純粋に技術力こそが批評の俎上に上がる」ような詩文を書けていれば、もっと格好がついていたはずで、それこそ Taylor Deupree のようなミニマルな美しさをより十分に表現できたかもしれません(そして内容に関してはじっくり読んでくれた限られた人だけに何かしらが伝わればいい)。ただ、こればかりは一朝一夕では何ともし難く、あとは数書いて技術を磨くほかないのが今の所なんとも悔しく、またもどかしいところであります。 と以上、長文失礼しました。
0作品そのもの、も興味深く拝読させていただいたのですが・・・コメント欄のレスの往還、これが実に・・・。 「奏楽」を例にあげて下さって、恐縮です。あれはもともと(コメントにも書きましたが)ある種のアンビエント音楽、とも言える(宗教音楽でもあるのですが)メシアンのピアノ曲を聴いていた時に浮んだイメージから、書き始めました。ガラスの鍵盤の前に少年が座っていて・・・白い指が音楽を奏で始めると、周囲の森(ガラスの森のように透き通った、イマージュの森、のような)が生成していく、そこに空間が現れる、というような・・・その「生成」というイメージが、ひとつの観念として私の中に戻ってきて・・・詩を産むという行為であったり、子を生む、個を生む、という行為へと転換されていった・・・のが、あれかなあ、という・・・。 〈水晶体が合わせ鏡になって〉薄闇の中で鏡を覗き込んだ時のイメージが浮かびました。自分で自分を見出した瞬間の恐れ、のような・・・。振り返った瞬間、開いていた三面鏡に写り込んだ自分の姿に、見つめられている、と感じた瞬間のおののき、のような。シューベルトの持つ質感・・・湿り気があって、内向的に心を鎮めていくような(高まっていく部分があっても)そんなイメージを重ねつつ。 〈古い時計の鐘が昔私に零を教えてくれました〉この印象的な出だしに、誰かが弾くショパン・・・これは、マズルカやスケルツォではなく、雨だれ、のようなプレリュードか、ワルツ系でしょうね・・・。ぴったり140字に収める、という目的が先に立っての、語尾の不統一、なのでしょうけれど・・・これが思考過程をそのまま取り出したような、中途感としてとらえるのか、不統一のもたらす不安感と読むのか・・・一連目の緊密な印象に比べて、二連目は特に後半が散漫になる印象があり、語尾の不統一が、この短さの中ではうまく機能していないようにも感じられました。 〈硝子のような深緑色〉三連目。ここは、三面鏡を直角に立てて覗き込んだ時の、永遠の回廊に迷い込んだような心細さと酩酊感を思い出す部分でした。深緑色に沈んでいく空間に、私、が映るのではなく、両親、が映る。それも、男と女、女と男、という極限にまで象徴化された、二人。最後の〈出鱈目な永遠という事になるらしい〉ここが、なんとなく緩いなあ、という印象を受けてしまいます。連続した一瞬、この硬質な質感を持続したまま、もっと何か、別の言葉で、言い重ねられなかったか・・・と、欲張った注文を出したくなりました。 〈ぞろ目の時計と目があったきっと/切符を買い忘れたのだ〉冷蔵庫の中にそれを探す、という無茶ぶりが、逆に面白いと思いました。きっと、きっぷ、という、音が引き出していく軽さに加えて・・・切符=移動するためのもの、というイメージ、冷蔵庫=冷たく保存する場所、という停滞のイメージ。そこから、今度はボートに揺られているイメージ(水、という冷たい場所で、揺られている)流れが、突拍子もないものを無理やりにひねり出しているように思われるのですが、深い所でつながっている、そう納得させるものがあります。〈花葬〉はしばしば用いられる、美しい造語ですが・・・人によって、かなりイメージも異なる言葉ではないか、という気もします。夢のはざかいに漂う自分を、ボートに浮べ、花で埋めて、霧の向こう側へ押しやる・・・そんな眠りへの導入のイメージでしょうか。
0まりもさん コメントありがとうございます。勝手にまりもさんの作品を引き合いに出してしまい、こちらこそ恐縮です(しかも、まりもさんの本来の意図とは無関係に自分が感じたことを主体に語ってしまいました)。その後、まりもさんがコメントでメシアンに言及されていたのでメシアンの「鳥のカタログ」を聴きながら改めて「奏楽」をお読みしたのですが、なるほどイメージに相通じるものがある気がしました。メシアン自身、共感覚に似た感覚の持ち主だったと云われていますので、音から色や形や空間が自然に生まれていく、そうした「生成」のイメージはメシアンの曲にちょうどぴったりのものかもしれませんね。 それぞれの詩を丁寧に読んで下さりとても嬉しいです。ご指摘の通り1連目はわりと緊密に書けたな、という気がしているのですが2連目はまだ書き途中の段階でこの作品に無理やり組み込んだ感があり、やはり後半部分、散漫になってしまったのは否定できません。もちろん、ご指摘のように「不統一のもたらす不安感」を狙った部分はあるのですが(ちょうどショパンのソナタ2番の終楽章のような…)もう少し練り込む必要がありました。具体的なご指摘、とても嬉しく思います。ちなみに「誰かが弾くショパン」、これは自分のなかではまさしくプレリュードです。でもワルツでもいいかもしれませんね。楽しいはずなのにどこか心許なげで、不安さえ顔を覗かせる、そんなところがワルツのひとつの魅力だと思います。 <三連目。ここは、三面鏡を直角に立てて覗き込んだ時の、永遠の回廊に迷い込んだような心細さと酩酊感を思い出す部分でした> このご感想はとても嬉しいです。「酩酊感」!まさしくそれなんです、表現したかったものは!あと最後の部分はご指摘の通り、もうちょっといい表現がありそうですね。改めて読んでみて〈出鱈目な永遠という事になるらしい〉の部分で、確かに集中力が切れてしまってる感があるなあ、と気づかされました。 <冷蔵庫の中にそれを探す、という無茶ぶりが、逆に面白いと思いました> この4連目に関して言うとこれは冷蔵庫じゃないとどうしても駄目なんです、ごく個人的な理由なんですけど、冷蔵庫がとても大事でこれは外せませんでした、笑。自分のなかではどれも関連しあっているんですが、確かに全体的にちょっとシュールな連鎖かもしれないですね…。「深い所でつながっている、そう納得させるものがあります」と言って頂けたのがとても嬉しいです。 「花葬」という言葉に関して言うとちょっと安易に使いすぎたな、、と思っています。改めて読んでみて、ただでさえ無関連に思えるものが連鎖している表現のなかで「花葬」というさらにイメージの強烈な(しかも「人によって、かなりイメージも異なる」)言葉を持ってきたのは無謀だったかもしれません。もう少し静謐な雰囲気の言葉を慎重に選ぶべきだったかもしれないな、と思います。 いろいろと勉強になりました。丁寧な読解、ありがとうございました。
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