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拝啓カント、または親愛なる絶対的あなた
歩道橋の上に立つ。角張った街の、不機嫌な空気を肺いっぱいに吸い込んで、目を閉じてみる。網膜を泳いでいた光たちは姿を消して、今度は濃い暗闇がどっと視神経へ、流れ込む。この世界が、夢だったらいいのに。そんな願いを、灰色の風がどこからともなくやってきて攫っていく。 夢だったら、逃げてもよかったのに、逃げる必要もなかったのに。歩道橋から羽ばたく前に、翌朝ニュースに流れる自分の名前のことなど気にしなくてもよかったのに。きっと死後の世界なんて無いし、来世だってない。不幸のまま死んだあの人も、教科書に載ったあの人も、死んだら何にもならない。無に行き止まるだけ。それ以上でも以下でもない。救われないし報われない。祈りは決して届かない。 むかしは赤い錠剤とか、水槽に浮かぶ脳とか、考えたこともあったけれど、どれもカントに一蹴されて終わった。たぶん、簡単にそれを認めたのは、どこかでそれを知っていたから、気づいていたから。光より速く動けないと知ったとき、ブラックホールの謎が解き明かされたとき、この世界がどこまでもつまらなくて、真面目ないい子だって、本能か、もっと別の、それこそこの世界に近い部分で悟ったからだと思う。 嫌だなぁと思っても、受け入れるしかない。好きなあの子も、いつかはしわくちゃになって、気持ちでさえ、気づいたらもういない。そんなことより、あの子、すね毛が生えてた。気持ちなんてそんなもん、また嫌になる。 美は、形象は長続きしない。乱雑だけが、混沌だけが繁茂していく。エントロピーは増大するしかないと、あなたが決めたから。世界はそうするしかない。心底可哀想。僕も可哀想。この世界は、滅びると知ってて生まれてきたんだろうか。それとも、僕みたいに、死ぬことも分からないまま産み落とされたんだろうか。だとしたら、可哀想。ほんと可哀想。 この世界が夢だったら、歩道橋の先に続くあの継ぎ接ぎだらけの道路は、真っ直ぐ続いていただろうか。下校中に見たあの景色では、たかだか1キロも行かないところで建物に阻まれ右に逸れていたけれど。もし夢ならば、曲がることなく、無限の地平線へ収束してくれただろうか。僕の視界で、嘘みたいに真っ白な空の下で、一点透視図法で結ばれてくれただろうか。もしそうだったら、この世界が夢だったら、僕は、夢から夢へと目覚めてみたい。不変の自分が織り成す永遠の中で眠っていたい。そしてできれば、そう願うことを、許して欲しい。あなたはきっと許さないだろうけれど。あなたは、絶対だから。
拝啓カント、または親愛なる絶対的あなた ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1040.9
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 3
作成日時 2020-11-05
コメント日時 2020-11-05
項目 | 全期間(2024/12/22現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 3 | 3 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 3 | 3 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
カントはたしか哲学者でしたでしょうか。永遠平和のためにでしたか、くわしくはありませんが聞いたことのある名前です。 無関係かもしれませんが、イスラムの回教やインド思想、宗教などをどこか喚起させるようでした。散文詩ですが、より論に比重を置いた思索詩といった感じがしました。
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