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知らない顔のあの人
知らない顔のあの人 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1930.8
お気に入り数: 2
投票数 : 1
ポイント数 : 33
作成日時 2020-10-22
コメント日時 2020-10-31
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 10 | 10 |
前衛性 | 3 | 3 |
可読性 | 2 | 2 |
エンタメ | 1 | 1 |
技巧 | 7 | 7 |
音韻 | 3 | 3 |
構成 | 7 | 7 |
総合ポイント | 33 | 33 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 2.5 | 2 |
前衛性 | 0.8 | 0.5 |
可読性 | 0.5 | 0.5 |
エンタメ | 0.3 | 0 |
技巧 | 1.8 | 1 |
音韻 | 0.8 | 0.5 |
構成 | 1.8 | 1 |
総合 | 8.3 | 5.5 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
早春のお墓参りでしょうか。実際に経験されたのでしょうね。 残雪が残る山道で、残雪に残る足跡にさらに早朝の薄氷がは り、それが別の誰かの足跡のように見えた、幻想的で美しい始 まりです。その薄氷の足跡が、おそらく祖父が亡くなったあ とすぐに亡くなった叔父の足跡に思え、それは祖父が亡くな る時につぶやいた(この時叔父は重病でそれが心配だった?) >オジサン あ、つし アツ、し アッシ が引き金となり、この幼いころのできごとが過去へといざな い、幼いころへとタイムスリッフ゜してゆく。まだ何も知ら ない幼いころ、もちろん鳥の名前や樹々の名前も知らない。 墓さえも。墓につくあたりで現在とオーバーラップして、 幻想的な白木蓮の花弁の描写は、まるで印象派の絵のよう です。最後に薄氷の足跡を踏み抜いて、完全な現在に戻る。 以上のように感じられました。全体が幻想的な美しさです が、"オジサン あ、つし アツ、し アッシ"という部分に 最初は違和感を感じました。亡くなる時につぶやく不明瞭 な言葉ではないかと思って、ようやく納得できました。
0記憶がほとんどない叔父について、綴られた文章の中にしっかりと「叔父の存在」を残しているのが印象的でした。 >オジサン あ、つし アツ、し アッシ は、主人公が微かに記憶している叔父を呼ぶ声なのかなと想像しました。 >わたしはだれ と、主人公自身の存在すら消え入りそうな言葉も交じり、過去と現在が呼応している感覚がとても不思議です。 祖父はなぜ叔父のことを主人公に何度も言い聞かせているのか。主人公はなぜ叔父のことをこんなにも追い求めているのか。そんな疑問がわき、どこかに答えは無いか探りたくなります。 >墓のそば白木蓮の花弁が朝陽に >薄く融けながら舞い塗り潰していく この2行が美しくてとても好きな表現です。叔父が主人公に会いに来てくれたような情景が目に浮かびます。 >薄氷の足跡にさよならを告げ 主人公の中で「知らない顔のあの人」のことが何かしら解決したように思える文章。ふっきれた感じがするのですが、具体的に描かれてはいないところがますます魅力的です。 きっと、祖父にとってとても大切な息子さんだったのだろう。その生まれ変わりである主人公に亡くなった息子のことを言い聞かせていたのだろう。でも、叔父は叔父。「私は私であるのだ」ということを悟った瞬間なのだろうと想像しました。
祖父のお墓を尋ねるその道中が、人生を追体験するかのように綿密に練られて、巡礼のロードムービーを見ているかのような作品だと思いました。
0透明な静けさを感じさせる作品だと思います。 「祖父は私の耳にもういないあの人をそそぐ」や、「ゆっくりと踏み抜いて私は私になる」といった表現にとても新鮮さを感じました。
0この作品は、僕にはとても切ないもののように感じられました。 僕の感覚の中では、薄氷というのは、 一歩間違えると砕け散ってしまうぐらいに、 壊れやすいイメージがあります。 その薄氷の上を歩み続けるなか、 祖父は、あまり交流する機会がなかったであろう、 あるいは関係性が 薄い オジサンの名を私の耳に呼び続ける。(そそぐ) 知らない物事や情景のなかで、 私ががだれかわかりますか その関係性の希薄さの中で、 危うい状況の中、かろうじて歩いてきた その足跡にさえ、さよならを告げ と記述されています。 最後の行には、もう言葉にならないような なにかを感じました、もしそれに近い言葉があるとすれば、 覚悟(かなりの危うさを秘めた)でしょうか。 とても繊細な強度を持った作品だと思います。 ただ切ない..
0そうですね。これは限りなく私に近い主体を設定したので私詩?といえばいいのでしょうか。山の墓の情景などは現実に近いものがあります。人気のない山中を歩いていると知っている場所なのに、どこか違う場所のような感覚を覚えることがあります。そういったものが作品のなかで知らない、という感覚に繋がって書かれていったのかもしれません。
0今はもういない血のつながった人達が確かに自分と繋がっていることを描きたかったのかもしれません。それでいてその人たちの記憶は僕のなかでは曖昧で断片的でしかないし、叔父にいたっては一度も接触すらしてないわけです。なのにその繋がりが自分に覆い被さるようなとき幼い頃は何か恐怖すら覚えていたのかも。明確なのは二人の墓が山に登ればあることだけなんですけどね。
0ロードムービーというとやはりなんらかの体験をして何かを解決したり成長したりする所があるんですかね。作中の人物も山に登り墓を巡るうちに何かを明確にしていったような気がします。
0そそぐ、というのは毒を耳に注ぐという有名なものがありますがあれから連想したのだろうか?自分でも曖昧ですが肉体を如実に感じられる書き方に出来たのではないかと思います。山深い村の墓は本当に人がいなくて静かで人以外の気配はあるんですか、まさに静寂です。
0薄氷という詩句に注目してのコメント大変面白かったです。実際には薄氷は本当に脆いもので践めば簡単に割れてしまう。なのに簡単にそれはできない。そこに危うさのようなものが漂っていますね。言葉にならないものを感じて頂いたとすれば嬉しい限りです
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